近代化以前の鋳物業の民俗技術と営業形態に関する研究(2008-2011)
目的・内容
鋳物業は日本の歴史や文化を考える上で重要視されているが、従来の民俗学や歴史学の研究は、在郷で活躍した真継家配下鋳物師に偏向し、都市で営業する鋳工についての本格的な研究はほとんどなされていない現状にある。その結果、鋳物業の部分的な担い手に過ぎない在郷の鋳物師を主に、仏具鋳物師、鍋釜屋、仏具屋、釜師、唐物細工師などの呼称で細分化されて存在する様々な業種の断片をつなぎ合わせて、漠然と鋳物業として総括してきた観がある。
そのため、本研究では、伝承技術や用具・製品などの残存状況が良好で、なおかつ様相の異なる4つの特徴的な事例に焦点を当て、それぞれのモノ資料、伝承資料、関係文書などから民俗技術と営業形態を具体的に復元して、比較検討する。民俗学的な研究方法を基盤に置きながら、文献史学や考古学の調査成果も取り入れた複合的な研究により、鋳物業として総括されていた各業種の相違点と特徴を明らかにし、その全体s像を解明することを目的とする。
活動内容
2011年度活動報告
本年度は、平成20年度から4年計画で実施してきた研究の最終年度であったので、これまでに蓄積した調査データを比較検討し、民間で伝承された鋳物業に関する技術について、鋳型造型法、惣型の製品別鋳造法、鋳物土、工場設備、鋳込みと溶解に分けて整理し、近代化以前の真土型法(惣型と蝋型)の鋳造技術を体系的、かつ具体的に復元した。その上で、近世の大阪府域を河内国、和泉国、摂津国(大坂市中を除く)、大坂市中に分けて、それぞれの地域で営業した真継家配下の鋳物師、鐘に銘を残した鋳工などの営業形態を比較検討し、地域及び職種の特徴を明らかにするとともに、鋳物業の地域性と多様性を考察した。以上の成果は、『近代化以前の鋳物業の民俗技術と営業形態に関する研究』にまとめた。
また、民間に伝承されてきた蝋型法の技術の詳細は、今日までほとんど知られていなかったが、本研究において、近世以前より京都市中において営業し、香炉・華瓶・燭台などの大小の青銅製品を、有名寺社に歴代の作品として残している長谷川亀右衛門家の詳細な調査を実施したので、同家の伝承技術及び用具のほぼ全容を『京都長谷川亀右衛門家の蝋型鋳造』にまとめて報告した。
伝統的な鋳物業に関する技術は、近代になってことごとく変貌してしまい、現行技術として伝承している工場(工房)はほとんどなくなった。本研究は、伝統的な技術を現時点で可能な限り体系的に記録保存し、近代化以前の状態を復元できる記録として残した点で大きな意義があり、近世だけでなく古代にまで遡る鋳造技術史の研究に役立つと考える。
2010年度活動報告
本研究では、近代化以前の多様な鋳造業の形態や職分の相違を明らかにすることを目的に、(1)青銅製の仏具類を専門に鋳造する仏具師、(2)鉄製の茶湯釜や鉄瓶を専門に鋳造する釜師、(3)青銅製仏具、鉄製農具、鉄製日常品など多様な製品を鋳造する鋳物師、(4)鋳造のほかに挽きもの技術を併用して錫製の容器を製造する錫師、という4つの様相の異なる事例を主な対象として、平成20年度と21年度の2年間で、それぞれの用具・製品の実測調査と写真撮影、鋳造技術や営業形態に関する聞取り調査などを行ってきた。本年度は、平成23年度に刊行を予定している報告書の作成を念頭におき、これまでの調査で得た成果を整理するとともに、文献史料から得た情報などを合わせて、民俗技術、営業形態、製造用具・製品などについて比較検討を行った。
その結果、仏具屋、釜師、鋳物師、錫師などの多様な職種に分かれて存在した鋳造関係業者には、原料金属、鋳造技術(惣型法・蝋型法)、溶解用具(甑炉・坩堝)において相違点があったことが解明でき、近代化以前の鋳物業の全体像を具体的に復元することが可能となった。この成果のうち、蝋型法・坩堝に象徴される技術を持つ仏具師については、惣型法・甑炉を特色とする在郷の鋳物師との比較に焦点をあて、口頭及び紙面(「京都長谷川亀右衛門家の蝋型法における鋳型造型」『アジア鋳造史学会研究発表概要集』4号,2010年8月)で発表した。
また、錫師については、他の鋳造関係業者と異なる独自の技術を有していることだけでなく、その国内生産が16世紀の堺で行われていたことを明らかにするとともに、錫器が神酒用徳利として位置づけられていたことを示す民俗事例を確認し、それぞれの成果を紙面(「錫器製造技術の地域差」(『鋳造遺跡研究会2010』,2010年9月、「オミキスズ・オミキノスズ」(『民具マンスリー』43巻11号、2011年2月)で発表した。