イベリア半島におけるブタ飼養と地域ブランドとしての「イベリコ豚」の形成過程(2008-2011)
目的・内容
本研究の目的は地域社会における動物の位置づけを人類学的な立場から考察し、 現代社会における人間と動物との関係の新たな展開の様相を明らかにすることである。 具体的には、イベリア半島で飼養されている「イベリコ豚」が当該地域で地域ブランドとして確立していった過程について、 現地調査を中心とした人類学的な視点をもって分析し、現代社会における人間と動物との新たな関係づくりを、 従来、一般的に採用されてきた生態・環境モデルに、 社会的・地域文化的要因を連結させて考察するための関係モデルを提示することにある。
活動内容
2011年度活動報告
本年度は、研究計画にしたがい、昨年度調査を実施したエストレマドゥーラ地域の継続的な調査を行った。具体的には地域住民のイベリコ豚飼養に関する意識調査に加え、家畜飼養の拠点となっているDehesa(地中海性森林帯)の土地利用ならびにそれに伴う物質文化の形成過程に関わる調査を前年度に継続して行った。イベリコ豚の生産農家ならびに地域型の食肉加工従事者を対象とした聞き取り調査を行った結果、原産地証明(D.O.)がイベリコ豚に関する産地証明を行った結果、ブタの飼養サイクルや飼養方法が異なることが明らかとなった。すなわち、かつては2年以上の飼養期間をおき、秋から冬にかけてのドングリ飼養(Montanera)が2回行われていたのが、現在は規定により1歳獣までの個体でなければ、条件にあわなくなる恐れがあり、早期の出荷に切り替えられるというかたちに変わっていた。また、イベリコ豚の純度、給餌と成長の条件、飼養場所の状態といった諸条件による細分化が進んでおり、副業的にブタを飼養するかたちでは採算がとれにくくなることから、規模を比較的大きく維持できる者がブタ飼養を維持できるような状況であることも明らかとなった。また、ヨーロッパにおける経済危機の影響から、生殖メスを廃畜にするケースも増えており、グローバル市場の中で家畜動物のブランド化が抱える問題点も明らかとなった。これらのブタ飼養の現在的状況に加えて、歴史的な背景を明らかにする調査も継続的に実施した。産地証明制度による経済市場重視の以前の状況について、とくに現在ではほとんど見られないブタの預かり飼養の専業従事者(concejil)の経験者を対象とした聞き取り調査を行った。これはこれまでにも報告例の少ないもので、貴重な歴史民俗資料が得られた。
2010年度活動報告
本年度は研究計画にしたがい、スペインにおける野外調査を実施した。具体的には、イベリコ豚を用いた代表的な加工食品であるハム製造に関わる、企業、品質管理協会、ブタの放牧農家、地域の博物館関係者に対する聞き取り調査ならびにブタ飼養の観察調査を行った。調査地は前年度のギフエロ地域と比較対象する基礎的なデータを収集することをねらいとし、エストレマドゥーラ地域を中心にした調査を行った。
エストレマドゥーラ地域のイベリコ豚のブランド化の過程はギフエロ地域もしくはフエルバ地域におけるものとは異なる要素を有することが現地の調査によって示唆された。すなわち、ギフエロやフエルバでは資本力がある比較的大きなハム製造業者の企業化が一部で進んだ結果、品質管理協会の認定を受けない自社ブランドの製品を流通させているケースが見られたのに対し、エストレマドゥーラは基本的に品質管理協会と製造業者との関係が保たれた製品生産ならびに販売が行われていた。 これは、製品の流通という観点から考えた場合には必ずしもエストレマドゥーラ地域の産出する製品が国内ならびに国外における競争力を十分には持ちえていないことにもつながっている可能性がある。すなわち、大企業化した場合には独自の集約的な経営戦略等を採用した展開が可能となるのに対して、中小企業が連携したかたちにおいては各企業のバランスがとられる必要もあり、製品の流通も周辺地域の地縁関係が委ねられる場合も少なくない。一方で、当該地域はDehesaとよばれる地中海性森林を活用したエコツーリズムとイベリコ豚とを組み込んだ観光開発が模索されているのも新たに得られた知見であった。地域ごとに博物館施設が建設されており、観光誘致の要素とすると同時に、伝統的なブタ飼養の資料等の保存が試みられていた。
2009年度活動報告
本年度は研究計画にしたがい、スペインにおける野外調査を実施した。具体的には、イベリコ豚を用いた代表的な加工食品であるハム製造に関わる、企業、品質管理協会、農家、自家加工を行っている食肉販売店での聞き取り調査ならびに参与観察を行った。企業ならびに品質管理協会については、イベリコ豚生ハムの4大産地の一つであるギフエロ地域において、JM社(仮名)ならびに品質管理協会である、G.O.ギフエロにおいて聞き取り調査を行った。これらの調査から明らかとなったのは、品質管理協会による、地域ブランドの産地証明が、大手の企業と中小規模の畜産農家にとっては異なる位置づけになったということである。すなわち、品質管理や商品化について自社で行うことが可能な企業にとって、公的機関である品質管理協会の手続き等は必ずしも、企業の利益や思惑とは一致せず、これらの管理協会からの認定を受けないで、自社ブランドを自力で流通させる試みが行われていた、一方で、競争力が必ずしもついていない、中小規模の企業や農家は、品質管理協会の認定による、品質の保証とそれにともなう価格の引き上げが産業化に重要な機能を有している様相が具体的に明らかとなった。また、イベリコ豚を飼養していない地域では、品質管理協会は設置されておらず、地元の食肉販売小売店が自家加工、製造の生ハムを自家ブランドとして販売しており、地域ごとに特徴のある商品化が行われていたことが明らかとなった。これらの地域では、イベリコ品種の重要性は必ずしも強調されておらず、地域ブランドとしてのイベリコ豚はスペインの地域的な畜産業の戦略から作られている可能性が示唆された。
2008年度活動報告
本年度は、科研費の当該課題の計画研究にしたがい、イベリア半島におけるブタ飼養ならびに他の家畜飼養に関わる文献を渉猟・収集すると同時に、日本国内における地域ブランド創出の現状を概観するための国内調査ならびに文献調査を行なった。
国内における調査は、予定どおり鹿児島において実施し、「鹿児島黒豚」としてブランド化されている六白品種の飼育状況、食品産業との関連等について資料を収集した。鹿児島では家畜豚飼養が食品産業の中にくみこまれていることが一つの特徴であり、回収された食物残滓が酵素処理されることによって家畜の飼料にされるという、食品の循環系が成立しており、それがブランドの一つの要素として組み込まれていた。これは近年、意識されている環境への負荷を軽減する「エコロジー」への指向が動物ブランドの肯定的なイメージ作りに使われており、家畜動物の飼育が社会的な価値観とは無関係には行われないということを具体的にしめすものと言える。すなわち、生態学的な資源の獲得のみならず、社会的にも肯定的な意味を付加することが、ブランドとしての動物種の確立に必要な条件であることが結論として導きだせることになった。
また文献の渉猟調査から、日本周縁地域における家畜豚の導入についても留意するべきことが明らかとなったため、スペイン統治がかつて行われた台湾でも補助的調査を行い、島嶼地域における豚飼養の歴史的背景についても資料を収集した。