呪術とジェンダーに関する歴史人類学的研究――ビルマにおける霊媒カルトの事例から(2008-2010)
目的・内容
本研究は、ビルマ(ミャンマー)における呪術とジェンダーの関連を、通時的・共時的観点から探ることを通して、非西洋社会におけるモダニティの受容と展開の様相を明らかにすることを目的としている。 具体的には、以下2つのアプローチからこの問題への接近を迫る。まず共時的アプローチでは、ミャンマーの人々が呪術を用いて近代化とグローバル化に対峙する様子を、霊媒カルトの事例から明らかにする。 第2に、呪術的実践におけるジェンダー規範の変容と、それが人々の生活に与える影響を歴史的観点から考察する。これら2つの観点から、資本主義やグローバリズムに象徴される急激なモダニティの経験が、 ビルマの宗教とジェンダーをめぐる秩序をいかに変化させているのかを解明する。
活動内容
2010年度活動報告
これまで精霊を奉じる霊媒を中心に形成される霊媒カルトは主に女性の関わるものとされてきた。そこで、『現代ビルマにおける宗教的実践とジェンダー』では、従来の議論の理論的整備を行うと同時に都市部霊媒カルトとの比較対象として村落部における女性の精霊信仰への関与のあり方を明らかにした。また女性と仏教のかかわりについては、『ミャンマーの女性修行者ティーラシン―出家と在家のはざまを生きる人々』で論じている。
このほかにも、霊媒カルトにおけるジェンダー規範の変容に関し、複数の研究発表を行った。近年、ミャンマーでは主な霊媒の担い手が女性からメインマシャーと呼ばれるMtoF(Male to Female)トランスジェンダーへと変化していることから、「宗教と社会」学会における発表では、なぜ霊媒となる女性が少なくなっているのかについての考察を行った。また、日本文化人類学会ならびにフランスで開催された2010 International Burma Studies Conferenceでは、トランスジェンダー霊媒の間で顕著な、精霊からの招命の証としての精霊との性的な夢の語りの不在や、成巫儀礼を精霊との「結婚」と捉える従来の解釈の否定、神話の創造といったいくつかの変化が、精霊の主体性や神話における異性愛主義を否定することなく、ビルマの精霊信仰における異性愛主義を脱構築するための交渉的過程となっていることを示した。一方で、通時的課題については史料の限界から捗々しい成果を挙げることができなかったため、今後の課題としたい。
研究成果は今後さらに6月の国際シンポジウムや英文出版等によって国際的に公開していく予定である。
2009年度活動報告
昨年度の調査から、都市部霊媒カルトでは霊媒と精霊との関係性や儀礼解釈に変化が見られることがわかったため、今年度は他地域との比較を共時的課題の第1点目としてあげていた。2009年8月に約2週間上ビルマの巡礼地で実施した調査からは、守護霊の選択や霊媒と守護霊との関係性には地方毎に特定の傾向が見られるが、いずれの地方でも異性愛に基づく婚姻関係を中心としており、都市部のような変化はあまりみられないことがわかった。これは都市部霊媒カルトにおける変化が、従来指摘されてきたローカルカルトの多様性からではなく、近代化やグローバル化という文脈から捉えるべき問題であることを示すと同時に、近代化やグローバル化が呪術的実践に変化をもたらすという仮説を証明するものとして大きな意味を持つと考えられる。
共時的課題の第2点目に挙げていたカルト内のパトロン・クライアント関係については、顧客と霊媒見習いはともに「弟子」と呼ばれ、師である霊媒は両者を区別せず自らに対する忠誠と活動への全人的参与を求めるが、一方の「弟子」は自分に合う師を見つけるまで師を渡り歩くことがわかった。また、トランスジェンダー霊媒の増加はこれまでにも報告されているが「弟子」全体としては未だ女性が多く、カルトへの関与のきっかけについても近親者に霊媒カルトの信者を持つ者、持たない者、トランスジェンダーで異なる傾向が見られることなども明らかとなった。
通時的課題に関しては、植民地期以前の精霊信仰の状況について明らかにするために、王の勅令集である『The Royal Orders of Burma, A.D.1598-1885』(全10巻)の検討を実施した。ここから精霊に関する記述には時代により大幅な偏りが見られること、コンバウン時代後期には鉱物資源発掘前に土地の精霊に許しを請うため、頻繁に役人や霊媒に祭祀の実施を命じていることなどがわかった。
2008年度活動報告
本研究は、ビルマ(ミャンマー)における呪術とジェンダーの関連に共時的・通時的観点から迫ることを通して、非西洋社会におけるモダニティの受容と展開の様相を明らかにすることを目的としている。ミャンマーの人々が呪術を用いて近代化とグローバル化に対峙する様子を霊媒カルトの事例から明らかにする共時的アプローチと、呪術的実践におけるジェンダー規範の変容とそれが人々の生活に与える影響を歴史的観点から考察する通時的アプローチのうち、本年度は主として共時的アプローチからの調査研究を実施した。
2008年8月に17日間実施した現地調査では、霊媒カルトのメンバーが集結する大規模祭礼の一つヤダナーグーでの祭礼に参加し、儀礼時における霊媒とクライアントの関係についての調査を行った。同時に史料収集として、タウンビョンと呼ばれる別の著名な祭礼地にも足を運び、祭礼に参加した歴代霊媒のリストの入手を試みた。2009年2月の約10日間のヤンゴン調査では、8月に観察できなかった霊媒に成るための成巫儀礼の調査を行ったが、これらの調査を通していくつかの興味深い事実が浮かび上がった。その一つとして、従来の指摘において霊媒は「守護霊」と「結婚式」を挙げることで霊媒となり、両者の関係性は異性愛に基づく婚姻関係を基本とするとされていた。これに対し調査では、儀礼内容に大きな変化はないにもかかわらず、成巫儀礼がもはや「結婚式」とは捉えられていないだけでなく、両者の間の関係性もキョウダイ、親子など夫婦以外の関係性の方が一般化していることが明らかとなった。近年のトランスジェンダー男性霊媒の増加に関する報告はあるものの、これらの報告は今のところなされていない。また、こうした変化は、資本主義やグローバリズムに象徴される急激なモダニティの経験が、ビルマの宗教とジェンダーをめぐる秩序に変化をもたらしていることを示す意味で、貴重かつ重要な事例と考えられる。