美術を通してアフリカはどう語られているか――ビエンナーレと美術館の力学の研究(2009-2012)
目的・内容
ビエンナーレ(隔年開催の国際美術展)や美術館といったアートをめぐるインフラ整備は近年世界的な広がりを見せており、アフリカも例外ではない。しかし、欧米など先進国とアフリカでは、発信力に格段の差があり、現代美術の世界ではアフリカは依然として特にヨーロッパによって一方的に語られ、周縁化され続けている。本研究では、ダカール・ビエンナーレ(セネガル)とヴェネツィア・ビエンナーレ(イタリア)、およびその周辺に位置する美術館などの展示施設を中心的にとりあげて、アフリカの現代美術がアフリカの内側と外側でどのように生み出され、語られていくかを具体的に比較し、そこに働いている構造的な力関係を明らかにした上で、アートをめぐるアフリカと先進国との間で、一方的な語りではない、双方向的な語りあいの場、相互交流の回路はありうるかどうかを考え、あるとすればどのような形がありうるかを提案する。
活動内容
2011年度活動報告
まず国内での文献調査を通して、終戦後の日本で、仮面や神像を中心とするアフリカ美術が、他のオセアニアや東南アジアなどの美術とともにどのように紹介されてきたか、その変遷をたどった。とくに注目したのは、戦前の一時期、民族芸術の一大コレクションとして知られていた「岸本コレクション」である。これに関する成果は[珍奇人形から原始美術へ―非西洋圏の造形に映った戦後日本の自己像」として『国立民族学博物館研究報告36-1』に発表した。
また、国外では第54回ヴェネツィア・ビエンナーレでアフリカ美術の調査を行った。中国、台湾、香港はもとより、シンガポール、タイ、さらにはサウディアラビア、アラブ首長国連邦などアジア、中近東からの参加国が勢いを増す中で、ガボン、南アフリカといったアフリカからの国別参加国には覇気が見られなかった。特に後者は、会期途中で展示を切り上げてしまった。これはひとつには、中国を中心とするアジアと中近東の資源国が比較的に活況を維持しているという世界経済の反映と見ることができるのだろうが、一方では、美術のオリンピックであるビエンナーレという19世紀末のスタイルが、結局は先進国と持てる国のためのイベントでしかないという、一種の行き詰りにあることを示していると捉えることもできるのではないだろうか。ビエンナーレや美術館という制度そのもののあり方をもう一度問い直すれるべきである。その視点から『美術館という幻想』(キャロル・ダンカン著、水声社)を翻訳出版した。
最後に、北アフリカ、特にモロッコからの連続性を意識しながら、スペインの地中海沿岸でのアフリカ文化の語られかたを調査した。街のつくりや食文化などさまざまな面で、ここは明らかに北アフリカ、アラブ世界と連続しているのだが、しかしながらそのことは意図的に封殺されて、近代ヨーロッパの一員としてのスペインが強調される。それは美術においても同様である。この点については、今後さらに幅広い視点から考察していく予定である。
2010年度活動報告
今年度は主としてセネガルのダカールで行われたダカール・ビエンナーレを調査した。ダカール・ビエンナーレはすでに9回目を迎えて、ますます内容を充実させてきている。今回は主会場のアフリカ美術館で若手アーティストに焦点を当てた「展望」展と同ビエンナーレの過去8回の歩みを各回のグランプリ受賞者の作品によって示す「回顧」展が行われ、また、第2会場のギャルリー・ナショナル・ダールではハイチの4人のアーティストが紹介された。一方、自由参加による「OFF展」として、フランスやナイジェリアなどによる国別展示、さらに個別のアーティストたちの展示など、併せて全部で150近い企画が市内各所やゴレ島で展開されていた。世界でただひとつ、アフリカの同時代美術に焦点を絞った催しとして独自性を示している同ビエンナーレが、いまや単に美術の祭典であるのみならず、セネガルという国の存在そのものを象徴する重要な政治的イヴェントになっていることをあらためて確認することができた。その成果は、「彫刻家エル・アナツイのアフリカ」展とその図録、および『アフリカの同時代美術』(明石書店)に発表した。
このほか、ベルリン、ロンドン、エジンバラ、パリで、近現代美術と文化の展示に関する調査を行った。これらの諸都市ではこの十年、美術館、博物館の整備、新設が進められている。近現代美術のなかでアフリカが、そして異文化としてのアフリカが、展示を通してどのように語られているかを調査した。この調査は次年度以降も一部場所を変えて続行し、最終的な成果につなげる予定である。
2009年度活動報告
まず、2009年に行われた第53回ヴェネツィア・ビエンナーレで、アフリカのアーティストがどう展示されているかを実地調査した。同ビエンナーレは、現代美術のビエンナーレとして世界で最も古い歴史をもち、最高の格式を誇っているが、1990年代以降は、アジア諸国の積極的な参加もあって地域的に多様化している。アフリカからの参加も今では珍しくなくなっており、今年は国別部門でガボンが参加していた。一方、統括キュレーター、ダニエル・バーンボームの企画による企画展「世界を構築する」の部門では、アフリカのアーティストとしてはジョルジュ・アデァグボ(ベナン)、パスカル・マルティーヌ・タユ(カメルーン)b、モセカ・(南アフリカ)の3人が招かれていた。このところのヴェネツィアでは、アフリカのアーティストは、例年3人前後ということが多く、ひとつの基準枠になっている感がある。このうち、アデァグボとタユは二度目の参加であり、アフリカ人アーティストへの幅広い目配という点でやや疑問が残る選択であった。こうした現象の背景には、ヨーロッパのアートワールドにおける、アフリカに対する全般的な関心の低下があるものと思われる。こうしたヴェニスでのアフリカの存在感の変化が、いわゆる世界のアートワールドに今後どのような影を落としいていくことになるのか、注目される。またイタリア、イギリス、フランスでアフリカ美術の展示を調査し、一方、北アフリカ、イスラム圏のモロッコでは、そもそも美術がどう認識されているかを調べた。さらに、セネガルのダカールで、ダカール・ビエンナーレがどのように準備されているかも調べた。加えて、ポーランドのアウシュビッツを訪ねて、過去の歴史的トラウマの記憶が展示を通してどう語られているかについても調査を行った。
このほか、国内では、過去の文献によって、1990年以後、ヴェネツィア・ビエンナーレでアフリカの美術がどのように採り上げられてきたかを調査した。