国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

実業家・富田儀作の高麗青磁復興事業を事例とした植民地のエージェントの人類学的研究(2010-2012)

科学研究費補助金による研究プロジェクト|若手研究(B) 代表者 太田心平

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究には2つの目的がある。第1の目的は、植民地朝鮮において日本人実業家の富田儀作が行った高麗青磁復興事業と、彼の一族による朝鮮工芸品の世界流通、およびそれらが今日の高麗青磁の認識や制作に与えた影響を明らかにするという、史実の究明と地域研究への貢献である。
第2の目的は、これを通して人類学、特に植民地研究とエージェンシー論と物質文化研究へ理論的に貢献することにある。実業家と呼ばれる多面的な活動を行う人びとは、植民地の文化に介入し、植民地を脱した現在の文化にも影を落とす存在であった。だが、その多面性ゆえに研究に時間がかかり、後回しにされてきた経緯がある。申請者は、硬直が見られる当該分野の諸議論に対し、これまでの議論の偏りを修正する立場から、第二段階の研究を展開し、発信していく。

活動内容

2012年度実施計画

本年度は、本研究の最終年度であり、これまでにおこなってきた調査研究の内容を補足し、成果を公刊するための作業にあてる。
これまでの二年間には、植民地朝鮮において高麗青磁の制作技法が復興した過程を記録した日本語、韓国語、英語の文献資料を、当時に手書きされたメモや書簡を含めて収集してきた。また、現在におこなわれている高麗青磁の制作技法と、それに関する制作者たちの語りを収集してきた。
本年度は、以上の蓄積を補足しながら活用して、主として三種類の成果をとりまとめる計画である。
第一に、こうした近代の文献資料と現代の語りを対比させて分析し、両者がどう連続し、あるいは連続していないのかを分析していく。これにより、物質文化の局面的生成過程と長期的連続過程を明らかにしようとする。
第二に、近代の植民地朝鮮における高麗青磁の位相をひもとく。同じ朝鮮の伝統的な物質文化のなかでも、近代日本の知識人たちにオーデットされることで復興した朝鮮白磁や木工芸などと、そうではなかった高麗青磁との差異は、どういった点に起因するのかという考察がそれにあたる。
第三に、上記の二点とのかかわりから、高麗青磁の復興を主導しつつも忘れられた存在としての富田儀作についての総合的な情報整理を進め、その記録を公刊、発信しようとする。

2011年度活動報告

本研究には2つの目的がある。第1の目的は、植民地朝鮮において日本人実業家の富田儀作が行った高麗青磁復興事業と、彼の一族による朝鮮工芸品の世界流通、およびそれらが今日の高麗青磁の認識や制作に与えた影響を明らかにするという、史実の究明と地域研究への貢献である。
第2の目的は、これを通して人類学、特に植民地研究とエージェンシー論と物質文化研究へ理論的に貢献することにある。実業家と呼ばれる多面的な活動を行う人びとは、植民地の文化に介入し、植民地を脱した現在の文化にも影を落とす存在であった。だが、その多面性ゆえに研究に時間がかかり、後回しにされてきた経緯がある。申請者は、硬直が見られる当該分野の諸議論に対し、これまでの議論の偏りを修正する立場から、第二段階の研究を展開し、発信している。
本年度は、富田儀作に関する補充的な資料収集を続けつつ、それらの資料を分析して学界および現地に公開する予定であった。だが、公開に先立つ過程で、この研究は、想定していたのとは違った点で、学界および社会により大きな知的貢献が出来ることが分かった。
それは、これまでに先行研究が多い日本民芸運動および朝鮮白磁の再評価過程との比較研究である。同じく植民地朝鮮における工芸品の復興事業のなかでも、日本の知識人や文化人が主導した朝鮮民芸運動では、朝鮮白磁や木工芸品に偏った評価が行われた。この研究ではすでに、復興された後の朝鮮白磁や木工芸品が「芸術品」としての位置づけを確立していったのに対し、むしろ高麗青磁や螺鈿細工は「土産品」としての産業ベースを得たことが明らかになっているが、両者の復興過程におけるエージェンシーの違いは、この芸術か産業かという差の根本を作ったものと仮説を立てることが出来た。

2010年度活動報告

本年度には、日韓両国において富田儀作や高麗青磁の制作史・制作誌に関する文献資料を収集し、それを分析した。分析において主な観点となったのは、同時期に植民地朝鮮で朝鮮工芸品の評価および復興を試みた柳宗悦や浅川兄弟に関する先行研究との比較である。柳や浅川兄弟は、朝鮮工芸品のなかでも李朝白磁や木工芸品に主たる関心を示していた反面、富田は、高麗青磁だけでなく、螺鈿工芸や編物細工と深く関わっていることが明らかになった。富田は、実業家という立場で朝鮮工芸品に関わったというだけでなく、こうした関心対象の特殊性においても、先行研究があつかってきた過去の人びととは異質だったということが分かってきた。ただし、富田と柳のあいだには、無視できない交流の軌跡が見られ、彼らの活動は同時代的に相互に影響を与えながら進んでいたことも、同時に明らかになってきた。