現代エジプトのオルタナティヴ・モダニティとしての空手実践に関する社会人類学的研究(2012-2015)
目的・内容
中東におけるモダニティの系譜を探求するに際し、「社会階層」は最も有用な切り口の一つである。近年、新自由主義経済の広がりにより、学歴や所得で中流層と下流層を差異化することがより困難になる中、「教養」の有無を指標とする新たな「階層観」が構築されつつある。この文脈において本研究は、エジプトのスポーツ実践に象徴された「身体化された教養」をめぐるポリティクスを、西洋的近代性に代わる、独自のモダニティを創出する試みとして考察する。エジプトを代表する大衆的スポーツである空手道コミュニティ(競技者、指導者、父兄)の事例より、中流層的な倫理観とモダニティの関係性を再考する。
活動内容
2015年度活動報告
平成27年度も引き続き、エジプトの空手実践における「楽しさ」の位置づけと中流層的倫理観の関係性について解明すべく隣地調査と文献研究の両面から本研究課題を進めた。今年度はこれまでよりも長い期間(10月8日~12月22日)カイロに滞在したため、空手家コミュニティの人々とより深い絆を築くことができた。大カイロ市中心部の中流層の住宅街に位置する公営スポーツクラブで開設された大人の初心者向けの空手教室に参加する一方で、郊外の新興住宅街における子供向け教室(3~16歳)の補助教員を務めた。エジプトでは運動が好きか否かに関わらず、多くの人がスポーツクラブに所属している。20世紀末よりムバーラク政府が新自由主義的な公共政策を進め、貧富の差が拡大した結果、どのクラブの会員かということと社会階層意識の関連性がより一層強まったように思える。今回の調査で訪問したクラブの会員は中流層の出身者が多いのに対し、空手の選手は下中流から上流と多様であった。競技会で優秀な成績を残した者は無償でスポーツクラブに所属して稽古に取り組むことができ、遠征費用等の援助を受けることができる。高額なクラブの会費を払うことが難しい階層の出身者にとっては非常に魅力的な制度であることが確認できた。競技者と指導者の両面から空手教室に関わることで、空手道の指導者として活動する経済的な利点や難点を考察できた。今年度の調査から、本課題の申請書を作成していた2011年と現在ではエジプトの政治情勢は大きく変わり、中流層出身の若者の多くは確固たる未来が描けない状況にあることが痛感できた。今後は中流層らしくあろうとする若い空手家が抱く野望や彼らが直面する問題に焦点をあてた研究を行いたい。
2014年度活動報告
平成26年度の目標は昨年度に引き続きエジプトにおける空手道の実践を都市中流層の階級意識に関連付けて考察することであった。
春と冬にカイロに2週間ほど度滞在し、若者文化やスポーツに関する大衆紙を収集するともに、空手道の稽古場や競技会を訪問し、指導者、競技者及び父兄への聞き取り調査を行った。社会理論においてスポーツ実践は「余暇」として捉えられるが、エジプトの中流層出身の空手家はスポーツと「楽しみ」を結びつけることを嫌う傾向にある。エアロビクスやウエイトリフティングなどは体を鍛えるために有意義な行為であるが、試合での勝利やメダルの獲得を目指したスポーツとは異なるという点を強調する。通常の稽古と比べ、試合対する真剣さや勝利への執着心の強さに驚かされた。空手家やコーチの家庭を訪問したり、フェイスブックに掲載された写真を閲覧したりする過程で、試合で獲得したメダルやトロフィーはもちろんのこと、講習会の参加証や写真までも中流層的な階級意識を保つために重要な意義をもつことが明らかになった。試合への真剣な取り組みを見ていると、スポーツが実利的な利益をもたらすことは考えにくいとは言え、中流層の「余暇」として分析することに違和感を覚えた。
今年度の調査から空手道を中流層の文化実践と結びつける手がかりが見つかりつつある。1970年代に日刊紙・アル=アフラームが空手について報道し始めた際に、スポーツ面ではなく、文化面に記事を掲載した。文化面には芸術や文学だけでなく、宗教やスポーツに関するニュースも含まれていた。今年度は「文化」と結びつくあらゆる施設で行われている空手教室を訪問した。中流層が教養を身に着ける機会を提供するために1950年代より建設された青少年センター(マルカズ・シャバーブ)だけでなく、図書館の閲覧室や金曜礼拝向けモスクの庭においても空手の稽古が行われ、多くの子供や父兄でにぎわっていた。
2013年度活動報告
平成25年度の目標は空手の効果に関する機能主義的な言説を、エジプトの都市中流層の階級意識と教育論に位置付けて考察することであった。特に、空手実践における「楽しさ」の位置づけと中流層的倫理観の関係性について解明することを目指した。初年度の調査は高級住宅街にある上流階層向けの会員制スポーツクラブが中心となったものの、空手教室の指導者の多くは中流層出身者であることが判明した。よって今年度は指導者へのインタヴューを中心に調査を進めた。エジプトでは公務員や会計士であっても本業から得る収入だけでは中流層的な生活水準を維持することは難しいため、副業を持っているのが一般的である。空手教室の指導者は学生時代に空手の稽古に励み、エジプト代表チームで活躍した経歴を持つ。ただ、空手の指導を本業としている者は希少で、多くの空手家は一般企業等に就職しつつ複数の空手教室を掛け持ちしている。上流階級出身者にとって空手などのスポーツは余暇を楽しく過ごす娯楽であるのに対し、中流層出身の空手家たちは試合に勝つことを目標としないスポーツは無意味であると主張する。よって健康管理や身体を動かす楽しみのために成人がジムで行うエアロビクスや重量挙げは「スポーツ」に該当しないのである。一方、稽古場や昇級試験においては生徒が委縮しないように、規律を重んじつつも過度に厳しく指導しないように努めているという。また保護者も子供がコーチを尊敬しつつも、楽しんで空手を学ぶことが重要であると考えているようだ。よって、中流階級の教育論において「楽しさ」は全く無縁の概念であるとはいえないことが判明した。今後はスポーツ実践において目的を持つことや、稽古を通じて強くなることの意味について考察を深めたい。
2012年度活動報告
平成24年度の目標は、エジプトで空手道が「大衆的スポーツ」として受容された歴史的経緯の把握し、空手家コミュニティの形成と発展の過程を考察することであった。国営日刊紙アル=アハラーム新聞で空手を紹介する記事が初めて掲載されたのが1972年3月に遡ることから、1960年代後半もしくは1970年代初頭から空手の稽古が行われてきたのではないかという仮説のもとにエジプトでの臨地調査を始めた。
60歳代の空手家への聞き取り調査を行った結果、1969年頃より上流階級向けの会員制スポーツクラブにて日本大使館職員による空手の稽古が細々と行われていたことが判明した。1971年にブルース・リー主演のカンフー映画『ビッグ・ボス』が大流行したのをきっかけに、自己防衛(al-difa‘ ‘an al-nafs)を目的としたスポーツとして空手人気が一気に高まったという。1967年の第三次中東戦争でイスラエルに大敗を期して以来、軍事力の向上のため取り入れられた空手道が「大衆的スポーツ」として認識されるようになった背景には、中国拳法などの格闘シーンを取り入れた香港のアクション映画の流行が深く関わっていえる。カンフー映画をみてブルース・リーに憧れた者が空手を始めたとはいえ、「東洋」をひとくくりにし、日本と中国の格闘技を混同していた様子は見られなかった。カンフー映画の流行が空手の普及に貢献した過程については今後の調査で明らかにしたい。
また、空手の大衆化には政府の青少年教育政策も関わっていたことを裏付ける資料も見つかった。カンフー映画の流行により空手の知名度が向上したとはいえ、空手道の競技者は軍人か高級スポーツクラブの会員である富裕層に限られていた。しかし、1980年代以降に空手が青年及びスポーツ省の推奨スポーツに指定され、公営の文化施設で空手教室が開かれたことが大衆化につながったと言える。