国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

生理用品の流入による女性の身体観の変容――パプアニューギニアの事例から(2012-2013)

科学研究費補助金による研究プロジェクト|研究活動スタート支援 代表者 新本万里子

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究は、モノの受容・流通が起こす身体観の変容を、ジェンダーの視点から文化人類学的に考察する。具体的には、メラネシアにおける生理用品(ナプキンなど西洋起源の道具)の受容を事例に、月経にまつわる慣行や、その使用による身体観の変容を明らかにすることを目的としている。月経と出産などの生理的現象を忌避する社会は広く世界各地にみられ、死の不浄などとともに、文化人類学においては「ケガレ」として理論化されてきた。申請者は、先行研究を踏まえたうえで、メラネシアにおける身体観の変容を、女性たちの生理用品受け入れの経験という次元で考察するために、月経の禁忌が発達したパプアニューギニアの村落を調査地として取り上げ研究を進めていく。

活動内容

2013年度活動報告

本研究課題について、資料の精読による歴史人類学的研究と、参与観察による民族誌的研究を行った。人口840人の調査村において、10代から80代までの50人の女性に、月経処置の道具の変遷と処置法に関する調査を行った。研究成果を整理すると以下のようになる。
生理用品を使用する慣行を生み出した近代医療や学校教育などの制度の導入は植民地時代に始まった。1960年代には医師・看護師による妊婦と乳幼児の健診が調査村でも始まり、月経小屋での出産が危険視され、月経処置は不衛生だとされたが、月経小屋を中心とする慣習は簡単には変わらなかった。生理用品が調査村で使用されるようになり月経小屋が数を減らしていくのは、都市部で生活し学校にも通学した経験のある女性の帰村と、生理用品の流通ルートが確保されたことによる。
生理用品の普及以前、女性たちは、土間式の月経小屋のなかで、ヤシ科植物の仏炎苞(羽状の葉で、人間一人が座ることのできるほどの大きさ)を敷き、下半身には何も纏わずに座っていた。仏炎苞は経血を吸収せず、女性たちは座っていなければならなかった。当時は、集落の誰もが月経期間の女性を知ることができ、月経小屋は女性の性を可視化する装置として機能していた。月経処置の道具には、仏炎苞、布、パンツ、ナプキン、タンポンという変遷が認められた。なかでもナプキンの使用によって、女性たちは月経期間でも人前を歩くことができるようになった。月経期間の女性が不可視となり、月経という身体の出来事が女性個人のものとなった。
本研究では、月経に対する忌避観の強い地域における生理用品の受容に関する具体的資料を収集することができた。身体に直接触れるモノの受容から身体観の変容を考え、対象社会の変容を女性の経験に即して描き直すことのできる資料となった。今後は、生理用品の流通とイメージ、月経に関する言説の消費に研究を展開させていきたい。

2012年度活動報告

a.「パプアニューギニア国東セピック州マプリック地区ニャミクム村でのフィールドワーク」(1)月経処置の道具(仏炎苞・布・生理用品など)についての収集と計測、聞き取りを行う。(2)現存している高床式の月経小屋について、村落内での配置と数を記録し、計測を行う。また、月経小屋のなかでの姿勢、過ごし方についてを聞き取りを行う。(3)使用後の月経処置の道具の処分についての聞き取りを行う。(4)生理用品と身体観の関係についての調査を行う。
b.「史資料・統計資料に関する補足調査」フィールドワークを通じて、史資料と統計資料の調査の不備を確認する。そして再度、収集が必要な資料については、パプアニューギニア国立古文書館を中心に調査を行う。
c.「研究成果の公表」日本文化人類学会、日本オセアニア学会、生態人類学会で口頭発表を予定している。『文化人類学』『国立民族学博物館研究報告』のほか、『Journal of Material Culture』へ論文の投稿を行う。