国立民族学博物館研究報告 2005 30巻2号
目 次
大都市と移民 ―ベルリンにおける「外国人」カテゴリーと「多文化」意識― |
森 明子 |
145 |
ソ連期ウズベキスタンにおける陶業の変遷と近代化の点描 |
菊田 悠 |
231 |
中国麗江納西族における東巴文字復興運動 ―1990 年代以降を中心に― |
高 茜 |
279 |
寄稿要項・執筆要領 |
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327 |
BULLETIN OF THE NATIONAL MUSEUM OF ETHNOLOGY Vol. 30 No. 2 2005
Mori, Akiko |
A Metropolis and its Immigrants: the ‘Ausländer’ (Foreigners) of Berlin and their Sense of Multiculturalism |
145 |
Kikuta, Haruka |
An Outline of Modernization of the Ceramic Industry in Soviet Uzbekistan |
231 |
Gao, Qian |
The Revitalization Movement of the Traditional Tompa Script of the Naxi in Lijiang, Yunnan Province in China |
279 |
大都市と移民
―ベルリンにおける「外国人」カテゴリーと「多文化」意識―
―ベルリンにおける「外国人」カテゴリーと「多文化」意識―
森 明 子*
A Metropolis and its Immigrants: the ‘Ausländer’ (Foreigners) of Berlin and
their Sense of Multiculturalism
their Sense of Multiculturalism
Akiko Mori
移民は,ホスト国のローカリティや日常生活に組み込まれていると同時に,それとは別の場所と,さまざまなネットワークを介して結びついている。彼らは,自己の位置や帰属をどのように考えているのだろうか。本稿は,グローバル化する世界において,移民の帰属意識はどのように構成されていくのか明らかにしようとする。具体例としてとりあげるのは,ベルリンに30 年生活しているサラエボ出身の女性の経験である。まず問題の理論的な背景を述べたのち,トランスナショナリズム研究と近年のドイツ都市研究を概観して,移民の階級的な経験に注目することの重要性を指摘する。次に,壁撤去後のベルリンの経済構造と社会構造の変化のなかで,移民が都市の最下層に組み込まれていったことを記述する。ベルリンは,壁撤去と同時にグローバル経済に遭遇し,そこで起こった経済の構造転換は,失業と社会構造の二極化をもたらした。移民は,「外国人」というひとつのカテゴリーに一方的に投げ込まれる。これに対して移民は,ムルティクルティ(多文化主義)という立場を主張する。このことばは,ドイツ人/外国人の境界を疑わしいものとみなし,ドイツ文化をさまざまな移民の文化と横並びの,ひとつの文化として扱おうとする意味を含んでいる。
Migrants settle and become incorporated in the localities and patterns of daily life of the country in which they reside, while at the same time they are engaged elsewhere in the sense that they maintain connections and influence local and national events in the countries from which they emigrated. The purpose of this article is to articulate how migrants construct their sense of belonging in the globalizing world. On this theme the experience of a migrant woman, who emigrated from Sarajevo to Berlin thirty years ago, is described. To begin with, perspectives of some studies on the subject of transnationalism and some recent urban studies in Germany are surveyed, and the importance of paying attention to migrants’ experience regarding social class in the city is pointed out. Berlin first encountered the global economy after the fall of the Wall. The conversion of economic structure from manufacturing to service industry was put into motion, and resulted in a mass of unemployed people and polarization. In this situation migrants were integrated into one category of Ausländer (foreigners), connotative of social class, and incorporated into the lowest class of the city. Migrants themselves dissent from this category, and insist on a position of Multi-Kulti (multiculturalism). This expression Multi-Kulti demonstrates their intention to make the boundary between German and Ausländer porous, and to treat German culture on even terms with any migrant culture.
* 国立民族学博物館研究戦略センター
Key Words:migrant, city, social space, transnationalism, multiculturalism
キーワード:移民,都市,社会空間,トランスナショナリズム,マルチカルチュラリズム
キーワード:移民,都市,社会空間,トランスナショナリズム,マルチカルチュラリズム
1 テーマ 2 問題の背景 2.1 都市への視点 2.2 移民への視点―定住外国人という問題 2.3 多元性という課題 3 議論 3.1 ホイサーマンの大都市研究―「都市 の危機」論 3.2 合衆国を中心に展開するトランスナ ショナリズム論 3.3 ドイツにおける「トランスナショナ ルな社会空間」論 |
3.4 トランスナショナルな社会空間と階 級的な経験 4 記述 4.1 主体―差異のサイトとしての人 4.2 ベルリンの概観 4.3 サラエボの女性が経験したベルリン 5 考察 5.1 「外国人」という階級的カテゴリー 5.2 ふたつの国家 5.3 居場所と想像の世界 5.4 「ムルティクルティ」の意味 6 むすび |
ソ連期ウズベキスタンにおける陶業の変遷と近代化の点描
菊 田 悠*
An Outline of Modernization of the Ceramic Industry in Soviet Uzbekistan
Haruka Kikuta
近代化が各地でいかに進んできたかを考察する近代化論は1960年代頃から盛んになったが,旧ソヴィエト連邦ではイデオロギーや調査上の制約から,そのミクロ・レベルでの近代化の実態を検討することが難しく,近代化論における社会主義体制の意義も十分に論じられてきたとはいえない。
それに対して本稿は,旧ソ連を構成していたウズベキスタンのリシトン陶業が,ソ連時代に経験した変化を,先行研究および人類学的フィールドワークに基づいて仔細に検討する。そしてそれがどのような近代化といえるものだったのかを考察する。具体的には,20世紀初頭,1920年代から1960年代,1970年代から1991年という3つの時代区分を設定し,これに沿って生産体制,陶工の内部構造,技能の伝承という3 点からリシトン陶業の変遷を追う。
その結果,まず組織の面で社会主義的生産のための大改編がなされ,1970年代になってからは技術面の近代化が進み,それに合わせて陶工間関係もゆるやかに変化してきたことが明らかになった。一方で,近代化の枠にはそぐわない技能や組織,観念も国営陶器工場内の工房を中心とした場で見られ,このような工房でのインフォーマルな活動はフォーマルな工場制度と相互補完的に支えあっていた。以上のように社会主義体制下での近代化の実態は複雑な様相を持ち,今後のさらなる人類学的調査を待っている。
それに対して本稿は,旧ソ連を構成していたウズベキスタンのリシトン陶業が,ソ連時代に経験した変化を,先行研究および人類学的フィールドワークに基づいて仔細に検討する。そしてそれがどのような近代化といえるものだったのかを考察する。具体的には,20世紀初頭,1920年代から1960年代,1970年代から1991年という3つの時代区分を設定し,これに沿って生産体制,陶工の内部構造,技能の伝承という3 点からリシトン陶業の変遷を追う。
その結果,まず組織の面で社会主義的生産のための大改編がなされ,1970年代になってからは技術面の近代化が進み,それに合わせて陶工間関係もゆるやかに変化してきたことが明らかになった。一方で,近代化の枠にはそぐわない技能や組織,観念も国営陶器工場内の工房を中心とした場で見られ,このような工房でのインフォーマルな活動はフォーマルな工場制度と相互補完的に支えあっていた。以上のように社会主義体制下での近代化の実態は複雑な様相を持ち,今後のさらなる人類学的調査を待っている。
Using data obtained in a recent field study, this article describes someaspects of the Soviet way of modernization undergone by the ceramic industryof Rishton and ceramists there.
In order to resolve some inconsistencies and make up for the lack of information identified during reviews of the major preceding studies, the author chose to divide the Soviet period into three parts: the beginning of the 20th century, the 1920s-1960s, and the 1970s-1991. Each period is analyzed according to the following indicators: the production system, the organization of groups of ceramists, and methods of passing traditional techniques from generation to generation.
This approach and the new data obtained from the field study demonstrate that there were two stages of modernization in the Soviet factory. The production system was modernized in the first stage, and pottery technologies in the second stage. The research also revealed unique features of the studio system of pottery, where traditional ways of passing technologies from masters to disciples remained.
Finally, the article makes a case for the necessity of more in-depth anthropological research of local history and changes during the Soviet Period to understand the Soviet way of modernization.
In order to resolve some inconsistencies and make up for the lack of information identified during reviews of the major preceding studies, the author chose to divide the Soviet period into three parts: the beginning of the 20th century, the 1920s-1960s, and the 1970s-1991. Each period is analyzed according to the following indicators: the production system, the organization of groups of ceramists, and methods of passing traditional techniques from generation to generation.
This approach and the new data obtained from the field study demonstrate that there were two stages of modernization in the Soviet factory. The production system was modernized in the first stage, and pottery technologies in the second stage. The research also revealed unique features of the studio system of pottery, where traditional ways of passing technologies from masters to disciples remained.
Finally, the article makes a case for the necessity of more in-depth anthropological research of local history and changes during the Soviet Period to understand the Soviet way of modernization.
* 東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程,国立民族学博物館共同研究員
Key Words:Uzbekistan, the Soviet Union, modernization, post-socialist anthropology, Rishton
キーワード:ウズベキスタン,ソヴィエト連邦,近代化,ポスト社会主義人類学,リシトン
キーワード:ウズベキスタン,ソヴィエト連邦,近代化,ポスト社会主義人類学,リシトン
1 序 1.1 近代化論と社会主義体制 1.2 ウズベキスタンにおけるソ連期近代 化への視座 2 対象としてのリシトン陶業 2.1 土が養う町 2.2 先行研究とその課題 2.3 本稿の視座 3 リシトン陶業の変遷 3.1 20 世紀初頭(1910 年代まで):職人 たちの世界 3.1.1 生産体制 3.1.2 陶工の内部構造 3.1.3 技能の伝承 3.2 ソ連時代前期および中期(1920 年代から |
1960 年代):社会主義的生産の整備と葛藤 3.2.1 生産体制 3.2.2 陶工の内部構造 3.2.3 技能の伝承 3.3 ソ連時代後期(1970 年代から1991年): 機械化と安定の享受 3.3.1 生産体制 3.3.2 陶工の内部構造 3.3.3 技能の伝承 4 考察 4.1 ソ連時代の変化 4.2 近代化という尺度から 4.3 結びに代えて |
中国麗江納西族における東巴文字復興運動
―1990 年代以降を中心に―
―1990 年代以降を中心に―
高 茜*
The Revitalization Movement of the Traditional Tompa Script of the Naxi in
Lijiang, Yunnan Province in China
Lijiang, Yunnan Province in China
Gao Qian
中国雲南省の納西族は古くから漢文化を受容してきたことで知られている。文化的および経済的に漢民族から大きな影響を受け,中央からみて周辺民族より進んだいわゆる現代文明を享受してきた少数民族とされている。東巴教は,この納西族に古くから伝わる民族宗教であり,その宗教祭司が用いてきたのが東巴文字である。しかし納西族にとって東巴教および東巴文字に対する思いは,時代とともに変わってきた。とくに1990 年代以降における観光業の発展は,納西族と東巴文字の間にもっとも大きな変革をもたらすこととなった。本稿は,麗江納西族と東巴文字の関係について,とくに東巴文字の伝承活動に注目しながら,その変遷を叙述するとともに,変化の要因となる社会的背景を明らかにしようとするものである。
この民族文化としての東巴文化の伝承活動は,中国のほかの少数民族と同様に,中国の少数民族政策と大きく関わっていることは言うまでもない。しかし,東巴文字およびそれを用いる納西族がおかれている言語的状況は,他の多くの少数民族と比較しても特異なものである。例えば,東巴文字の伝承活動を考察する上で,その宗教的性格や改革開放以後におけるこの地域の観光業の発展などとの深い関係は,中国の少数民族一般に対する言語政策とは同列にして論じる事はできないと考えられる。
そこで本論文では,文化大革命以前における東巴文字の歴史的盛衰,改革開放以降における東巴文字の研究および保護の進展,1990 年代以降における東巴文化に対する政策転換,などを時代背景に即して概観し,現在の東巴文字の伝承活動の状況や課題についても論じたい。本来,宗教祭司だけのものであった東巴文字は,現在,観光業を通して麗江納西族の日常生活と深く結びつき,多様な社会的需要に応じて麗江各地で伝承活動が行われている。このような伝承活動は,伝統的な目的や方法とは大きく異なるものであり,今では学校教育にまで導入されつつある。いまだ十分に定着してはいないものの,伝承活動が推進されるなかで,東巴文字が納西族の新たなアイデンティティー形成に影響を与えつつあるといえよう。
この民族文化としての東巴文化の伝承活動は,中国のほかの少数民族と同様に,中国の少数民族政策と大きく関わっていることは言うまでもない。しかし,東巴文字およびそれを用いる納西族がおかれている言語的状況は,他の多くの少数民族と比較しても特異なものである。例えば,東巴文字の伝承活動を考察する上で,その宗教的性格や改革開放以後におけるこの地域の観光業の発展などとの深い関係は,中国の少数民族一般に対する言語政策とは同列にして論じる事はできないと考えられる。
そこで本論文では,文化大革命以前における東巴文字の歴史的盛衰,改革開放以降における東巴文字の研究および保護の進展,1990 年代以降における東巴文化に対する政策転換,などを時代背景に即して概観し,現在の東巴文字の伝承活動の状況や課題についても論じたい。本来,宗教祭司だけのものであった東巴文字は,現在,観光業を通して麗江納西族の日常生活と深く結びつき,多様な社会的需要に応じて麗江各地で伝承活動が行われている。このような伝承活動は,伝統的な目的や方法とは大きく異なるものであり,今では学校教育にまで導入されつつある。いまだ十分に定着してはいないものの,伝承活動が推進されるなかで,東巴文字が納西族の新たなアイデンティティー形成に影響を与えつつあるといえよう。
It is well known that the Naxi people in Yunnan, China, have been strongly influenced since ancient times by Chinese culture. The Han Chinese have had huge cultural and economic influences on the Naxi, as they have on other ethnic minorities in the south of China, and recently their massive impact is overwhelming the Naxi in terms of modernization. Yet the Naxi have retained some cultural traits to this date, and some are even recovering their foothold through cultural re-interpretation.
The Tompas, the priests of the “Tompa religion,” regarded as the “ethnic” religion of the Naxi, traditionally used the Tompa script exclusively for their religious purposes. But the use of the Tompa script almost ceased with the decline of the “Tompa religion,” particularly during the course of the political reform movements from 1949 through the Cultural Revolution, and later during the modernization of China. But the recent rise of the tourism industry in Yunnan in the 1990s and after has brought an epoch-making turn to the fate of the Tompa script: first, by proving its commercial value in tourism ornaments, and later by reinforcing consciousness among the Naxi of the Tompa script as their ethnic symbol.
This paper, after surveying the decline of the Tompas’ activities and social roles towards the end of the 1970s, describes the rehabilitation of Tompa studies in the 80s, which were mainly concentrated on the preservation of old Tompa documents. Then the author describes in detail, mainly on the basis of interviews with persons concerned, the appearance of the Tompa script in the tourism market, and the development of the revitalization movements of Tompa culture, Tompas, and the script. In the discussion of these developments against their social background, the favorable attitudes of both the local governments and the political authorities towards the movements are stressed. The use of the Tompa script, however, as a working orthography for the Naxi language, which itself is shrinking in everyday usage, is exposed to some serious theoretical questions such as in relation to the existing Latinized (Pingying) orthography of the Naxi language developed in the 1950s. The author further speculates on possible future conflicts between the extended Naxi Tompa script movements and China’s minority nationality policy, which is, particularly nowadays, reluctant to encourage nationalistic or ethnic awareness among the minorities.
The Tompas, the priests of the “Tompa religion,” regarded as the “ethnic” religion of the Naxi, traditionally used the Tompa script exclusively for their religious purposes. But the use of the Tompa script almost ceased with the decline of the “Tompa religion,” particularly during the course of the political reform movements from 1949 through the Cultural Revolution, and later during the modernization of China. But the recent rise of the tourism industry in Yunnan in the 1990s and after has brought an epoch-making turn to the fate of the Tompa script: first, by proving its commercial value in tourism ornaments, and later by reinforcing consciousness among the Naxi of the Tompa script as their ethnic symbol.
This paper, after surveying the decline of the Tompas’ activities and social roles towards the end of the 1970s, describes the rehabilitation of Tompa studies in the 80s, which were mainly concentrated on the preservation of old Tompa documents. Then the author describes in detail, mainly on the basis of interviews with persons concerned, the appearance of the Tompa script in the tourism market, and the development of the revitalization movements of Tompa culture, Tompas, and the script. In the discussion of these developments against their social background, the favorable attitudes of both the local governments and the political authorities towards the movements are stressed. The use of the Tompa script, however, as a working orthography for the Naxi language, which itself is shrinking in everyday usage, is exposed to some serious theoretical questions such as in relation to the existing Latinized (Pingying) orthography of the Naxi language developed in the 1950s. The author further speculates on possible future conflicts between the extended Naxi Tompa script movements and China’s minority nationality policy, which is, particularly nowadays, reluctant to encourage nationalistic or ethnic awareness among the minorities.
* 国立民族学博物館外来研究員
Key Words:China, Lijiang, Naxi, Tompa Script, Tompa
キーワード:中国,麗江,納西族,東巴文字,復興運動
キーワード:中国,麗江,納西族,東巴文字,復興運動
1 はじめに 2 東巴文字衰退の過程 2.1 麗江における東巴教の衰退および伝統にお ける東巴文字の伝承 2.2 建国後の東巴教の形骸化および経典解読の 危機 3 東巴文字の研究の再開と保護政策の開始 3.1 東巴文字研究の衰退と再開―文化大革命を はさんで 3.2 1990 年代後半における文化伝承活動への 動き―麗江東巴文化博物館の役割の拡大 4 1990 年代半ば以降の麗江の東巴文字 4.1 東巴文字市場の形成―商品化する東巴文字 4.2 観光産業と東巴文字 4.3 古城に出現した東巴文字の実態 |
5 民衆普及への伝承活動 5.1 麗江東巴文化博物館における東巴文化の民衆 普及 5.2 民間における東巴文化伝承活動 6 東巴祭司の養成活動 6.1 東巴教祭司養成への経緯―断絶した東巴知識 6.2 雲南省社会科学院東巴文化研究所における 東巴養成 7 学校教育に導入された文字伝承活動 7.1 学校教育導入に際して行われた議論 ―東巴文字と納西語とのかかわり 7.2 民族言語危機および東巴文字伝承の結び付き 7.3 「方案」の確定・実施および新たな動向 8 考察 |