国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

国立民族学博物館研究報告 2006 30巻4号

目 次
アイデンティティ概念の再構築の試み
―イタリア人アイデンティティという事例とともに―
宇田川妙子
455
「ラクダの火をまつる儀礼」から民族誌の政治性をよむ
―ネイティブ人類学徒の曖昧な喪失の視点から―
楊  海英
493
珠江三角洲城市外来少数民族的流动与适应
馬 建釗 陈 晓毅
533
『国立民族学博物館研究報告』30 巻 総目次
 
579
寄稿要項・執筆要領
 
580


BULLETIN OF THE NATIONAL MUSEUM OF ETHNOLOGY Vol. 30 No. 4 2006

Udagawa, Taeko
Towards Revisioning Identity: Another Phase of Italian
Identity Discourse
455
Yang, Haiying
Reading Political Dimensions into the “Camel Fire
Ritual” in Mongolia―Ambiguous Loss and a Native
Anthropologist―
493
Ma, Jianzhao
Chen, Xiaoyi
Floating Population and Acculturation of Urban
Nonnative Ethnic Minorities in the Pearl River Delta
533



 

アイデンティティ概念の再構築の試み
―イタリア人アイデンティティという事例とともに―
宇田川 妙 子*
Towards Revisioning Identity: Another Phase of Italian Identity Discourse
Taeko Udagawa

アイデンティティという概念は,現在「アイデンティティ政治」に代表されるように,多くの弊害が取り沙汰されているが,その一方で,この概念を擁護する声もけっして小さくない。近年のアイデンティティ論は,構築主義的な転回を果たしたと言われているものの,いまだ根源的な問題は放置されているからである。本稿は,そうした問題意識の元で,アイデンティティ概念を,「関係性」という概念を新たに導入しながら再構築していくことを目的とする。実際,従来のアイデンティティ概念をもう一度振り返ってみるならば,その最大の問題は,それが異同という指標,すなわち「我々/彼ら」を分離・分類する論理によって構成されている点にあることが浮かび上がってくる。とするならば,そこにあるのは,関係性ではなくて基準である。これに対して関係性とは,関係の非決定性,多義性,偶発性,歴史性を積極的に評価した概念である。この概念とともにアイデンティティのあり方を定位し直していくならば,そこには新たな主体や連帯のあり方,すなわち新たな社会のあり方も浮かび上がってくるだろう。しかも,そうした新たなアイデンティティのあり方とは,けっして机上の空論ではなく,たとえ萌芽的ではあっても,実際に我々の周囲でもすでに見出すことができる。その一例がイタリア人アイデンティティである。それはこれまであまりにも脆弱なナショナル・アイデンティティであると見なされてきたが,別の視点からみれば,そこには,ナショナル・アイデンティティとは異なる語りの位相が見えてくるのである。この事例は,わずかな兆候に過ぎないかもしれないが,アイデンティティがこれほどまでに社会問題と化している今,その混乱のなかから新たな社会の展望を探っていくためにも,そこに積極的に注目して理論化していくことはけっして無意味な作業ではないだろう。

Today some severely accuse identity of having caused and causing many serious problems, represented by identity politics, but others vigorously defend the concept as effective in spite of difficulties. Identity theory, even after the constructionist turn, has not resolved this dilemma yet. This article attempts to rethink and reconstruct the concept of identity. The key notion that this article brings into the discussion is relationship. In today’s concept of identity, we can easily identify the logic of separating and categorizing same/ different, that is, us/ them. This logic is just a rule, and is not concerned with any notion of relationship. By contrast, relationship means undecidability by any rule, and so is ambiguous, contingent, and constructive. The relationship concept suggests that we reconstruct identity, through which we can also rethink the issues of subject, solidarity and society. This alternative version of identity is not only an armchair theory. We can find some examples in daily life, even if they are poor and slight―one of them is Italian identity. Usually this is said to be a very weak national identity. But from another point of view, we can find there another phase of identity discourse, based on relationship. We need a more accurate discussion to recreate the concept of identity, struggling with the theory and the reality harder than at present.
 
* 先端人類科学研究部
Key Words:the concept of identity, constructionism/ essentialism, same/ different, relationship, Italian identity
キーワード:アイデンティティ概念,構築主義/本質主義,異同,関係性,イタリア人アイデンティティ

1 はじめに
2 アイデンティティ論の現在
 2.1 構造主義的「転回」とは
 2.2 主体は解体したか
 2.3 異同は関係性か
3 新たなるアイデンティティの語り
 3.1 個体主義から関係性へ
 3.2 理論と現実との懸隔
4 イタリア人アイデンティティ
 4.1 「弱い」イタリア人アイデンティティ
 4.2 ナショナル・アイデンティティとしての
    「イタリア人」
 4.3 もう一つのイタリア人アイデンティティ?
5 おわりに


 

「ラクダの火をまつる儀礼」から民族誌の政治性をよむ
―ネイティブ人類学徒の曖昧な喪失の視点から―
楊   海 英
Reading Political Dimensions into the “Camel Fire Ritual” in Mongolia ―Ambiguous Loss and a Native Anthropologist―
Yang Haiying

アメリカの社会学者ポーリン・ボスPauline Boss はベトナム戦争やカンボジア戦争で行方不明と宣告された兵士らの家族を対象に研究した結果,「曖昧な喪失」Ambiguous Loss という概念を打ち出した。いわゆる「曖昧な喪失」には二つのパターンがあり,第一のタイプは死んでいるかそれとも生きているか不明瞭な為,人々が家族成員によって身体的には不在であるが,心理的には存在していると認知される場合である。第二のタイプは人が身体的に存在しているが,心理的には不在であると認められたケースで,アルツハイマー病などがその例証とされている。
私は本論文において,中国内モンゴル自治区のモンゴル人たちを「曖昧な喪失」感に陥った集団だと定義している。彼らは人口の面では少数派でありながら,政策的には「主体民族」とされている。文化大革命など過酷な政治運動を経験してきた彼らは,同胞の国たるモンゴル国への憧れも政治的には危険な行動とされている。本論文はこのような「曖昧な喪失」感に包まれている内モンゴル人を対象とした際に,どのような民族誌が作成可能かを探ろうとするものである。具体的な事例として「ラクダの火をまつる儀礼」をとりあげている。この儀礼には「牧畜儀礼」的な側面と,「拝火信仰」的な側面,という二つの性質がある。儀礼に使用される供物と儀礼の流れを詳細に検討し,またモンゴル人が「ラクダの火」を「生命の火」と呼んでいることなどから,古い「原初の火」崇拝の要素が確認できた。
「曖昧な喪失」に陥った個々のクライエントたちに対し,共同体や国家レベルでの癒しが必要不可欠であるとされている。同様に,「曖昧な喪失」感に包まれた集団や民族の場合だと,民族文化の復興が有効な「癒し」の一つとなる。「ラクダの火をまつる儀礼」を近年から復活させたモンゴル人たちにもそのような強い意識が確認できる。こうした中,現地出身の私,つまりネイティブ人類学者の私は,復活された民族文化に積極的に関わっていくことになった。

The American sociologist Pauline Boss conducted a survey of families of soldiers designated as missing in action during the Vietnam and Cambodian Wars. Her study culminated in the launching of a concept called “Ambiguous Loss”. There are two different types of “Ambiguous Loss”. The author describes the first type as those where a family member is physically absent, but psychologically present because it is unclear whether they are dead or alive. The second type of ambiguous loss is where the person is physically present, but psychologically absent, as exemplified by patients of Alzheimer’s disease.
In this paper, I would like to propose that Mongols living in the Mongol Autonomous Region in China are also people who have been traumatised by this sentiment of “Ambiguous Loss” like those described in Pauline Boss’s book. As far as population size is concerned, these Mongols represent an ethnic minority. Nevertheless, in view of government policies, they are defined as a “major ethnic group” (zhuti minzu). These Mongols have undergone a series of harsh political upheavals in their history, including the “Great Cultural Revolution”. Even today, the admission or disclosure of any special affinity to, or adoration of Mongolia, the nation of their compatriots, is politically dangerous.
This paper aims to explore and identify what sort of ethnic recording and archiving would be feasible for these Mongols in Inner Mongolia, who have been immobilised by the sense of “Ambiguous Loss”. As an example of possible measures, the author presents the “Mongolian camel fire ritual”. This ritual consists of two elements. One is the tradition of “nomadic rituals”, while the other is associated with a reminiscence of the Zoroastrian faith. The author scrutinises the offerings and procedures of the camel fire ritual. It is noted that Mongols call “camel fire” the “fire of life”. Based on these observations, it is demonstrated that underlying the Mongolian camel fire ritual people’s worship of the “Primitive Fire” in ancient times.
It is strongly urged in society that support for healing be provided by communities and national governments for those individuals afflicted by “Ambiguous Loss”. Such an effort is indispensable. As for ethnic groups traumatised by a sense of “Ambiguous Loss”, the restoration of their traditional culture would be an effective method of “cure”. For example, in Inner Mongolia, the “Camel Fire Ritual” was reinstated by Mongolian communities in recent years. Such an initiative indicates how strongly they are aware of the importance of their ethnicity, culture and tradition. I was born and brought up in Inner Mongolia. As a native Mongol anthropologist, I am now actively engaged with the restoration of Mongolian ethnic culture.
 
* 静岡大学人文学部社会学科
Key Words:Ambiguous Loss, ritual of fire, nomadic rituals, camel fire, Political Dimension of Ethnography
キーワード:曖昧な喪失,拝火祭,牧畜儀礼,ラクダの火,民族誌の政治性
1 はじめに―曖昧な喪失と民族誌の衝撃
1.1 曖昧な喪失―主人公になれない「主体民族」
1.2 「主体」の中の個人―日本人が描く民族誌の衝撃
1.3 「研究上の空白」と虚栄心
2 儀礼の背景
2.1 拝火祭研究からのアプローチ
2.2 牧畜儀礼と「オルドス暦」からのヒント
3 儀礼の実態
3.1 儀礼の担い手たち
 3.2 儀礼の名称と時期
 3.3 「ラクダの火」の供物
 3.4 儀礼の流れ
 3.5 「ラクダの招福」というテキスト
 3.6 儀礼本来の性質
4 おわりに―曖昧な喪失の政治性
 4.1 「内モンゴル」という政治的概念の曖昧性
 4.2 儀礼と社会主義イデオロギーの日常的な衝突
 4.3 「曖昧な喪失」の第三のタイプと人類学の限界


 

Floating Population and Acculturation of Urban Nonnative Ethnic Minorities
in the Pearl River Delta
Jianzhao Ma, Xiaoyi Chen

珠江デルタは中国南部の広東省にあり,13 の市・県(区)を包含する。急速な経済発展にともない,同地域は広州を中心として,活力に満ちた都市群を形成している。農村労働力がこうした都市部に流入し就業しているが,そのうち常住少数民族は約67 万人である。本研究で用いた資料は,文末の参考文献を除いて,すべてフィールドワークによる参与観察とインタビュー,及びアンケート調査に基づくものである。本稿はそうした資料をもとに,珠江デルタ都市の外来少数民族の流動と文化的な適応の問題を論ずるものである。
本研究では,珠江デルタ都市の外来少数民族には次の四つの特徴があることが分かった。1)人口増加の驚くべき速さ,2)集団性,3)チュワン族が最多で,土家族,ミャオ族,トン族,ヤオ族の順で続く民族分布状況,4)「大雑居」,「小集住」の空間的分布状況構造である。
珠江デルタの外来少数民族の流動には,客観的要因と主観的要因がある。客観的要因には,政治的要因と経済的要因がある。政治的には1980 年代以降,都市と農村とを二分化する統治モデルが徐々に解消され,農村や牧畜地域から都市へと流入した少数民族のために,政策と保障を提供している。経済的には,計画経済が市場経済へと軌道変更し,労働力の自由な転職が見込まれるようになった。珠江デルタ都市の経済は,少数民族が居住している広大な「少・辺・貧」地域から見れば,巨大な経済格差を有している。主観的側面での主な要因は金儲けであるが,それ以外にも様々な要因がある。すなわち,珠江デルタ都市の繁栄へのあこがれ,故郷での発展機会の欠如,大勢に従おうとする心理,父母の世代のように一生田畑に縛られたくないという気持ちなどである。
本研究で明らかになったのは,都市外来少数民族には物質面,制度面,精神面での適応問題が存在し,ある種の特徴や傾向があるということである。
物質面での適応は,従業員が珠江デルタ地域でうまく生存していくことができるかどうかに関係しており,極めて重要なものである。気候面から言えば,珠江デルタの近隣地域から来ている従業員にはとくに不適応の問題は存在しないが,雲南・貴州の両省から来ている従業員は,珠江デルタ地域の夏の暑さに強い不適応反応を示す。飲食面では,それぞれの意見はばらばらである。衣服に関しては,民族的な特徴を強調する必要があるときに,少数民族の従業員が民族的特色のある服装を身につける以外には,職場内で民族的特色を明らかにしようとはせず,少数民族従業員の服装も漢族従業員の服装と変わらない。生活条件の良い従業員は,故郷の習慣に合わせて住居を改装するが,生活条件のよくないものは自らを積極的に適応させるしかない。既婚労働者の多くは企業主の提供する部屋にそれぞれ居住し,夫婦が一つの部屋に住むことは少ない。交通面では,中小都市からの従業員のほうが,農村から来ている従業員よりもはるかに適応力が高い。
制度面での適応状況は,外来少数民族従業員の珠江デルタにおける生活の質を反映している。珠江デルタ都市に居住するモソ人のなかには,伝統的な妻訪婚(走婚)にアイデンティティを見出す人もいるが,一方で主流の婚姻制度に順応するものもいる。都市制度や企業ルールに徐々に適応するにつれて,珠江デルタの不満は徐々に解消されており,指導的な地位に就くと同様なルールやシステムの制定を提唱する。社会関係の面では,外来少数民族従業員は,中国郷土社会の「差序格局(格差と序列によるモデル)」から,「『都市型』差序格局」への構造転換を経験している。珠江デルタ都市の少数民族は現地の戸籍を有せず,そのため国の教育や医療などの福祉を現地の人々と同様には享受することができない。よって,実質的に彼らは,この制度外の二等市民として生活することになる。
精神面について言えば,外来少数民族の思想観念と宗教信仰とは,レベルの異なる適応の問題が存在する。珠江デルタ都市少数民族の生育観念,時間観念,規律観念などは大きな変化を受けている。自我意識が徐々に覚醒され,現代の社会的市民が有すべき自由で自覚的な生存状況へと変化しつつある。多くの民族が共存し繁栄している環境において,他者と平和裏に共存するために必要な寛容性と他者を理解する態度を獲得している。珠江デルタ都市の外来少数民族の中には,元来の宗教的タブーを守り抜こうとするものもいるが,一方で生存はタブーよりもずっと重要であるため,宗教的タブーを克服しマジョリティの文化に進んで適応しようとしているものもいる。また,現世利益が来世への誓いよりも現実的であるので,信者の中には宗教信仰が希薄化してマジョリティの生活様式に適応している人たちもいる。
物質,制度,精神という三つの側面からの適応状況を総合的に考えると,珠江デルタの外来少数民族には,都市暫定居住者,将来の都市居住者,都市農村両棲者という三つの異なる分化が見られる。

Located in Guangdong, South China, the Pearl River Delta (PRD) includes 13 cities, counties or districts. With the high-speed development of the PRD economy, a prosperous city group with Guangzhou as its center has come into being. A huge rural labor force, including about 670,000 urban nonnative ethnic minorities (UNEM), have swarmed into these cities and lived in them for over half a year. Except for the references of this paper, all materials were obtained by personal observation, deep interviews and questionnaires during the field work period. Based on these materials, this paper discusses the floating population and acculturation of these UNEM.
The researches show that there are four features of the floating population of UNEM: their numbers increase at a surprising speed; many UNEM float in groups; the Chuang nationality is the largest UNEM, followed by the Tujia, Miao, Dong, and Yao nationalities; the spatial distribution of UNEM takes on the patterns of “integrated” and “scattered groups”.
There are both objective and subjective reasons for the floating population of UNEM. The objective reasons are mostly political and economic. Politically, the government has gradually been canceling the management pattern of urban-rural duality since the 1980s, and this policy provides admission for rural and pastural minorities to urban areas. Economically, the PRC has been shifting from a planned economy to a market economy, so that rural and pastural labor can move freely. Compared to the rural and pastural areas of “minority, borderland and poverty”, the PRD cities exhibit a large “economic gap”. The most important subjective reason for migration is to earn money, but there are many other reasons for the floating UNEM population, such as yearning for a rich and prosperous life, shortage of chances for development at home, the psychology of following others, unwilling to be earth-bound peasants like their ancestors, and so on.
The research finds that there are acculturations for UNEM in the three dimensions of substance culture, system culture and spiritual culture, and that acculturation takes on certain features and trends.
The acculturation to substance culture is extremely important for UNEM, because it relates to the basic necessities of life. Workers from near the PRD have no great problems with the climate, while workers from Yunnan and Guizhou often feel very uncomfortable during the sweltering summer in PRD. Different workers have different tastes, so it is difficult for enterprises to solve such problems. Except in certain special situations emphasizing ethnic features, minority workers are not willing to wear ethnic clothes, so in corporations where there is no need to emphasize ethnic features apparel is no any difference from Han nationality workers. Some workers make use of favorable factors to reconstruct the insides of their houses according to hometown styles, while others just have to adapt to what they get. UNEM couples seldom sleep together, because they have to live in different houses provided by their respective bosses. As for transportation, the adaptability of workers from middle sized or small cities is better than that of workers from rural and pastural areas.
Acculturation on the system dimension reflects UNEM quality of life. Some Mosuo people determinedly identify with their traditional visiting marriage system, while others shift into the leading marriage patterns of PRD cities. With gradual acclimation to the urban system and enterprise regulations, UNEM discontent grows less; when some of them become leaders, they also advocate or even make similar regulations. In social relationships, UNEM experience a process of separation from the rural version of the “Differential Mode of Association” towards the reconstruction of its urban version. UNEM are not registered permanent residents of the PRD, so they cannot share in national welfare such as education, medical treatment and so on. Therefore, they are second-class citizens outside the welfare system.
As to the spiritual dimension of acculturation, there are different degrees of acculturation problems for UNEM in terms of concepts and faith. In the PRD, UNEM concepts of procreation, time and discipline have been changing a lot; UNEM self-awareness increases little by little, and they have been heading for that state of free and self-conscious subsistence possessed by people in the modern society; gradually, they are obtaining the feelings of tolerance and understanding needed for peaceful coexistence with others in the multiethnic environment. Some UNEM stick to most aspects of their various primary religions and taboos, others adapt themselves to the dominant culture and overcome their religious taboos, because life is more important than religious observances; actively weakening their religious feelings, some religious disciples are seasoned with the dominant life style, because secular benefits are after all more realistic than pie in the sky.
Taking the entire acculturation situation of the three dimensions of substance, system and spirit into consideration, UNEM in the PRD fall into three groups: the “passing travelers” of cities, future citizens and “amphibian” people living both in the PRD cities and in their rural hometowns.

"珠江三角洲"(以下一般简称"珠三角")位于中国南部的广东省,包括13个市、县(区)。随着经济的高速发展,该地区形成了以广州为中心的、充满活力的城市群。农村劳动力大量涌入这些城市就业,其中常住少数民族约有67万人。除了文后罗列的参考文献外,本文材料都是在田野调查过程中通过参与观察、深度访谈和问卷调查得来。本文以这些资料为依托,论述珠三角城市外来少数民族的流动问题和文化适应问题。
研究发现,珠三角城市外来少数民族有以下四个特点:人口增长速度惊人;群体性;民族分布以壮族最多,土家族、苗族、侗族、瑶族次之;空间分布呈现 出"大杂居"、"小聚居"的格局。
珠三角外来少数民族流动有客观和主观两方面的原因。客观方面主要是政治、经济原因:政治上从20 世纪80 年代起逐步取消城乡二元分割治理模式,为农村、牧区少数民族人口进入城市提供了政策保障;经济上实行计划经济向市场经济转轨,劳动力的自由转移成为可能;珠三角城市经济相对于广大少数民族居住的"少、边、穷"地带而言,有着巨大的"经济势差"。主观方面的主要原因是挣钱,但不排除各种各样的其他原因:向往珠三角城市的繁华富庶、家里缺乏发展机会、从众心理、不愿像自己的父辈那样被束缚在田地里面而终老一生,等等。
研究发现,城市外来少数民族在物质层面、制度层面和精神层面都存在着适应问题,并呈现出一些特点和趋势。
物质层面的适应关系到员工能否在珠三角城市生存,因而显得极为重要。来自靠近珠三角地区的员工,在气候方面无明显不适,来自云、贵两省的员工对珠三角炎热的夏季则强烈不适。饮食适应状况显得众口难调。除非有必要强调民族特征的时候,少数民族员工才会穿上有民族特色的服饰。而在不要求彰显民族特色的企业内,少数民族员工的穿着与汉族员工没有什么区别。有条件的员工会按照老家的习惯适当改造住房,而没有条件的只能调整自身积极适应;已婚打工者则大多分别住在老板提供的住房里,极少同房的机会。在交通、行走方面,来自中小城市的员工适应能力明显强于来自农村的员工。
制度层面的适应状况反映出外来少数民族员工在珠三角的生活质量。在珠三角城市里,有的摩梭人认同传统的走婚制度,有的顺应主流婚姻制度。随着对城市制度、企业规章逐步适应,珠三角外来少数民族的抵触情绪逐渐减少;当走上领导岗位之后,他们也提倡甚至制定类似的规章制度。在社会关系方面,外来少数民族员工普遍经历了从乡土社会"差序格局"解组到"'城市版'差序格局"重构的过程。珠三角城市外来少数民族不具有当地户口,不能与当地人一样享受国家提供的教育、医疗等福利。因此,他们事实上是生活在这些制度之外的二等公民。
在精神层面,外来少数民族的思想观念和宗教信仰都有着不同程度的适应问题。珠三角少数民族在生育观念、时间观念、纪律观念等方面有了巨大变化;他们的自我意识逐步觉醒,走向现代社会公民应当具备的自由自觉的生存状态;他们在多民族共存共荣的环境中获得了与他者和平相处必需的宽容情怀和理解心态。有的珠三角外来少数民族员工尽量坚守原有宗教禁忌,有的则克服宗教禁忌,主动适应主流文化,因为生存比禁忌更为重要;有的宗教信徒淡化宗教信仰,主动适应主流生活模式,因为现世的利益毕竟比彼岸的承诺来得实在。
通过对物质、制度、精神三个层面适应程度的综合考察,笔者认为珠三角外来少数民族总体上会有三种不同的分化结果:城市过客、未来的城市居民、城乡两栖人。
*广东省民族宗教研究所
Key Words:the Pearl River Delta (PRD); Urban Nonnative Ethnic Minorities (UNEM); floating population features; acculturation
キーワード:珠江デルタ,都市外来少数民族,人口流動の特徴,文化適応

1 引言
2 珠江三角洲城市外来少数民族流动的特点、原因
 2.1 珠江三角洲外来少数民族流动的特点
  2.1.1 增长速度惊人
  2.1.2 壮族最多
  2.1.3 群体性
  2.1.4 空间分布呈"大杂居"、"小聚居"格局
 2.2 珠江三角洲外来少数民族流动的原因
3 珠江三角洲城市外来少数民族的文化适应状况
 3.1 珠江三角洲城市外来少数民族物质层面的文化适应
  3.1.1 对岭南气候的适应状况
  3.1.2 对衣食住行的适应状况
  3.1.3 对谋生技能的适应状况
 3.2 珠江三角洲外来少数民族制度层面的文化适应
  3.2.1 对婚姻制度的适应状况
  3.2.2 对城市制度和企业规章的适应状况
  3.2.3 对城市社会制度的适应状况
 3.3 珠江三角洲外来少数民族精神层面的文化适应
  3.3.1 宗教信仰的适应状况
  3.3.2 思想观念的适应状况
4 结论