国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

国立民族学博物館研究報告

国立民族学博物館研究報告 2019 43巻3号

2019年1月25日刊行

バックナンバー

目次

 

43巻2号 All 43巻4号

概要

特集 Nationalism in Timor-Leste

 

序論,あるいは欠如のナショナリズム
中川敏

 この特集の目的は東ティモールのナショナリズムを人類学的に考察することにある。東ティモール共和国は独立後16年を経て,大きく変化している。この序論では読者に東ティモールのナショナリズムの全体のイメージを掴んでもらうために,民族誌的な視点からではなく,より鳥瞰的な視点からの分析を試みた。
 わたしが採用した戦略は東ティモールをインドネシアという背景に置くことから始まる。そのように配置した東ティモールを見る視点を二つ用意した。ひとつはインドネシアとの関係という歴史的な視点である。結論は,(アンダーソンによるのだが)東ティモールとインドネシアの関係は,そのままインドネシアとオランダとの関係にそのまま重ね合わせることができる,というものだ。つづいてこの二つのペア(すなわちインドネシアに抗する東ティモール,そしてオランダに抗するインドネシア)とを,ナショナリズムの文脈で比較した。これが第二の視点である。その比較の中に現れる東ティモールのナショナリズムは「欠如のナショナリズム」と名付けうる特異なナショナリズムであった。

1 Introduction
2 Timor-Leste and Indonesia
  2.1 Metonym and Metaphor
  2.2 Church and Tetun
  2.3 Epochalism and Essentialism
3 Indonesia as Metonym — Church
  3.1 Goa, Dili, and Jakarta
  3.2 Holland, Indonesia, and TL
  3.3 1970s, 1990s, and 2010s
4 Indonesia as Metaphor — Tetun
  4.1 If Wehale Had Been Destructed
  4.2 If Wehale Were Inside TL
  4.3 A Structuralist Perspective

* 大阪大学

キーワード:ナショナリズム,隠喩,換喩,東ティモール,インドネシア

 

東ティモールのナショナリズムのきわだった特徴
マイケル・リーチ

 本稿は東ティモールのナショナリズムの現在発展中の特徴を考察する。最初に,現在の東ティモールのナショナリズムの焦点が,ポルトガル語の植民地主義に抵抗から生まれたよくある反植民地の語りから1975年に植民地からインドネシアによる強制的併合への語りへと遷移していること,さらには東ティモールのナショナリズムが内なる「精神的世界」を採用する仕方について述べる。さらに,公式の東ティモールナショナリズムにおける最近の変化,すなわち,政府がティモールのアイデンティティの証しとしてのカトリシズムの到来に言及し,伝統的な「起源神話」を部分的に反映している近代のナショナリストの語りを支持している点である。そして,政府の最近の試み,すなわちこれまでの抵抗の歴史に焦点をあてたアイデンティティから開発というゴールをめぐるアイデンティティへと焦点をシフトさせていることを指摘する。最後に未来の東ティモールのナショナリズムについて述べたい。それには,東ティモール社会における「ユースバルジ」(若者の人口過剰)が重要な意味を持つことになる。

1 Introduction
2 Types of Nationalisms: The Asian Context
3 Historical Overview: The Slow Emergence of a Collective Identity
4 Competing ‘Nations of Intent’
5 ‘Nations of Intent’ and Multi-party Democracy
6 Attempts to Reformulate East Timorese Resistance Identity
7 The Distinctive Character of East Timorese Nationalism
8 The Future of East Timorese Nationalism

* スウィンバーン工科大学

キーワード:ティモール・レステ,ナショナリズム

 

ティモール・レステの伸縮するナショナリズム
―ライ・ナインとライ・ティモールの間で―
アンドリュー・マクウィリアム

 歴史的にティモール・レステのさまざまな民族はローカルな伝統(先祖からの取り決めによる資源の裁定,交換・縁組・居住に関する神話的歴史)を通して自らを定義してきた。土地と所属に関するこの考え方に中心的な位置を占めているのがライ・ナインである。「ライ・ナイン」はテトゥン語で「土地の守護者」を指す。しかしながら,暴力的で一世代にわたる独立への闘争は,想像上の連帯と所属の新しい形,「ライ・ティモール」あるいは「祖国」の概念を産みだした。ライ・ティモールの考え方は,単にローカルな共同体の土地にむすびつきながら継承されたものをより包括的にしただけではない。それは全く違った仕方で想像されているのだ。それは下から,集団によって,「民衆」(彼らこそが国家の作り手となるのだが)の試練から作られた領土なのである。伝統的な統治のイデオロギーの中での主体の重要な行為が儀礼的・政治的リーダー(ライ・ナイン)の権威を認め・それに従うことだとすれば,国家に属するという中での重要な行為は国家(ライ・ティモール)のために殉教し犠牲になることである(McWilliam and Trauve 2011)。この論文はティモール・レステにおける想像された共同体(「ネイティブの集合体」(Anderson 2003))の,このような意味での拡張された意味の力を,慣習や伝統的権威の復活というよく知られた動きと対照させながら,考察する。いかにしてこれらの様々なスケールをもった忠誠と所属の意識が,今日の独立以降のティモール・レステの社会を形作っているのだろうか?わたしはこれらの問題をファタルクの民族誌に基いて議論する。

1 Introduction
2 Fataluku Nationalism and the Resistance Struggle
3 Revising Fataluku Sociality and Cultural Identity
4 Asserting Ancestral Entitlements: Mua Pusu and the Nino Konis Santana National Park
5 Identity, Belonging, and Nation

* ウェスタンシドニー大学

キーワード:ファタルク,ナショナリズム,祖国,慣習的,所属

 

公用語ポルトガル語の正当性の確立に関する一考察
奥田若菜

 政府によって実施される言語政策は,特定の言語にある種のステータスを定めることであり,当該社会にある他の言語よりも優遇することでもある。権力による特定言語の意味づけは,当該社会の政治的社会的状況を反映するものである。本論では,東ティモールを事例に公用語ポルトガル語の正当性確立の過程を考察する。2002年の独立と同時に公用語となったポルトガル語であるが,その決定に対する反対も根強くあった。東ティモールにはもう一つの公用語テトゥン語と,20以上の地域言語が存在する。現在でも話者人口が少ないポルトガル語の公用語としての正当性を主張する際,根拠として以下の2つが頻繁に言及される。1つは,国家史,特に独立闘争のリーダーたちによる東ティモール史である。もう1つは,今後の経済発展に欠かせない国際社会への参入の必要性である。この2つを根拠とすることで,ポルトガル語は「我われの言語」として受容され始めている。

1 Introduction
2 Language Situation in Timor-Leste
3 The Present Situation of each Language
4 Functions of Tetun and Portuguese
5 The Presence of CPLP and the Portuguese Language in Timor-Leste
6 National Consciousness through Education and the ‘Imagination’ and ‘Creation’ of the Position of the Portuguese Language
7 Conclusion

* 神田外語大学

キーワード:公用語,ポルトガル語,言語政策,東ティモール

 

ティモール島における戦争と人々の移動からみたインドネシア
―東ティモール国境周辺社会の宗教と言語に関する一考察―
福武慎太郎

 本稿では,ティモール島中央南部にかつて存在し,ティモール島の「儀礼的中心」と呼ばれてきた国家ウェハリの中心地が,現在もなおティモールの人々,とくに東ティモール西部の人々にとって重要な土地であることを示すことを目的とする。過去数度にわたってティモール島でおこった戦争の際,東ティモールの西部地域に暮らす人々は,インドネシア領西ティモールの親族のいる村へと避難した。こうした人々の移動は,国境を超えて避難する「難民」の行動として援助関係者からみられてきた。しかし本稿では,ルリックと呼ばれる祖霊を宿す財の移動に着目することによって,戦火から自身が逃れることのみに意味があるのではなく,十字架や聖書といったルリックを,ウェハリの地に運び,守ることに意味があることを示す。その上で,東西ティモール国境をこえて共有される文化的アイデンティティの存在に関して考察を試みる。

1 Introduction
2 Wehali Kingdom and the Spread of Tetun Society
3 Wars and Migration in Central Timor
4 Catholic Mission and Language Settings in Central Timor
5 Refugee Problem Viewed from Religious and Linguistic Settings
6 Conclusion

* 上智大学

キーワード:戦争,人の移動,難民,宗教,言語

 

何度目かの邂逅
―東ティモール・ディリの都市集落における和解儀礼について―
上田達

 本稿は東ティモールの首都ディリにある集落で行われた和解儀礼について考察する。若者たちの暴力は,同集落で長らく社会問題となってきた。こうした問題を解決するために和解儀礼が開催された。インドネシア時代に東ティモールにもたらされた青年の十字架とよばれる信心業が,カトリック伝来500周年を記念して同集落で開催されることになり,暴力に終止符を打つ道が模索された。和解儀礼では,青年の十字架というカトリックの人々の信仰を深めるための信心業と,人々が伝統と呼ぶものの二つが主要なモチーフとなった。和解儀礼の後,状況は今日まで改善するに至っている。持続する和解が可能になったのは,信心業に代表されるカトリックに対する東ティモールの人々の篤い信仰があった。しかし,それぞれの出身地によって異なる伝統が,都市集落という社会的コンテクストにおいて伝統として語られ直すことで,和解は実効性を得るに至ったのである。

1 Introduction
2 Conflict in Motamutin
3 Cruz Joven
4 Cruz Joven and the Ceremony of Reconciliation
5 Conclusion

* 摂南大学

キーワード:青年の十字架,東ティモール,カトリック,和解

 

ティモール島国境の「ねずみ」たち
―東西ティモールの密輸と「和解」―
森田良成

 国境と密輸に関する近年の文化人類学は,密輸という行為が,国家の統治を否定したり破壊したりする行為とは限らないことを論じている。密輸を行う人々にとって,国家による統治は自らの行為を否定し阻む存在ではなく,この行為が「例外」としての正当性を得るために,しばしばむしろ必要とされている。
 1999年の住民投票を経て、東ティモール民主共和国は2002年にインドネシア共和国から独立した。これによりティモール島には,ふたつの国家を隔てる国境線が引かれた。東ティモール領の飛び地オエクシ県を囲む国境では,独立以来,密輸が日常化している。これは周辺の村人たちによって「公然の秘密」といわれている。
 本稿では,東ティモール領オエクシ県を囲む国境線のインドネシア側にあるナパン村において,村人と,国境警備にあたるインドネシア軍兵士との間に起こったある一連の出来事を記述し分析する。密輸をめぐり村人と兵士との間に起きたこの衝突は,両者の微妙な関係を不安定化するとともに,国民と国境に対する国家による管理の矛盾と破綻を露わにするものだった。結果として,ある方法によってこの危機に「和解」がもたらされた。本稿では,この過程で明らかになった国家の統治における権力と暴力の複雑な関係を明らかにするとともに,国家権力と国民の関係,国民としての国家への帰属意識について論じる。

1 Foreword
2 Origins and Development of Mice Roads
  2.1 Anthropology of Smuggling
  2.2 Oecusse Border and Daily Smuggling
3 Clash between Mice and Soldiers
  3.1 Incident and Criticism of the Soldiers
  3.2 Ritual of Reconciliation and Aftermath
4 Conclusion

* 大阪大学Institute for Transdisciplinary Graduate Degree Programs, 東洋大学アジア文化研究所

キーワード:密輸,国境,ねずみの道,オエクシ,西ティモール,東ティモール

論文

 

従属したアニミズム秩序
―チェンマイにおけるプーセ・ニャーセ精霊祭祀―
田辺繁治

 1990年代以降,「アニミズム」は,南北アメリカはもとより,さらに東南アジアで研究する人類学者たちの間でも新たに注目されるようになり,人間および非人間の存在論的基盤に焦点が当てられるようになった。そうした存在論的,あるいは「遠近法主義的」な研究では,しばしばアニミズムは変態する能力の実例と見なされる。この能力は,異なる身体を備えるが,類似する内面性を持つとされる人間および非人間の双方に備わるものと考えられるのである。われわれが東南アジア,特に北タイにおいてしばしば見出してきたものは,精霊,魂,人食い鬼,原住民などを含む多様な人間および非人間の間に広がる特有な変態の諸関係である。
 この論文は,チェンマイの森の中で毎年開催されるプーセ・ニャーセ精霊祭祀に焦点を当てながら,水牛供犠,調理,共食,霊媒の精霊憑依などを通して実践される先住民ラワ(Lawa)の祖霊に関わる祭祀の複雑な過程を分析する。この巨大な祭祀の儀礼過程では,北タイの君主たち,あるいは今日では政府の役人たちは儀礼のスポンサーとして仏教道徳の崇高性を体現し,先住民の精霊プーセ・ニャーセを鎮めることになる。しかしそれとは逆に,この祭祀に参加する多くの村人たちは,外在的で潜在的には危険な力である精霊が,幸福,健康,および恵みの雨など実利的な結果をもたらしてくれることを期待するのである。
 そこでこの論文では,供犠がアニミズム秩序の中の相互作用を基盤としながら特定の目的を実現するために構築されてきたと考える。しかし同時に,それが本質的に,伝統的な社会秩序と正統的な権威の再生産に関わるものであることを明らかにする。そこではアニミズム秩序は,政治的権力の支配のもとに従属してしまうのである。

1 Introduction
2 Background to the Cult
3 Sacrifice and Its Ritual Process
4 The Transformation of Ritual
5 Conclusion
Appendix: Sequences of the Pu Sae Ña Sae Spirit Cult

* Professor Emeritus at the National Museum of Ethnology, Japan; and Professor at the Japanese Studies Centre and Visiting Professor at the Centre for Ethnic Studies and Development, Chiang Mai University, Thailand.

キーワード:先住民の精霊,アニミズム秩序,仏教,ムアン精霊祭祀,供犠

研究ノート

 

韓国音楽学者李輔亨による湖南右道農楽録音資料の比較考察
神野知恵

1 はじめに
  1.1  本稿の主旨
  1.2 農楽とは
  1.3 李輔亨による農楽録音資料
  1.4 本研究で対象とする湖南右道農楽録音資料
  1.5 湖南右道農楽録音資料の文化史的背景とその価値
2 湖南右道農楽録音資料の詳細情報
  2.1 補足資料から見る本録音資料の詳細情報
  2.2 出演者について
  2.3 録音演目について
3 湖南右道農楽録音資料の分析
  3.1 現在の湖南右道農楽との音楽的側面における共通点および相違点
  3.2 湖南右道農楽の文化財指定問題と録音資料の関係
4 結論および今後の研究展望

* 国立民族学博物館

キーワード:韓国伝統音楽,農楽,プンムル,録音資料,李輔亨

資料

 

「魂」(bla)を呼び戻すチベットの儀軌「ラグツェグ」
―ニンマ派伝承の祈祷書の訳注と儀軌の記述―
村上大輔

1 はじめに
2 「魂を喪失する」病,ラサでの治療手段
3 チベットの宗教文化における「ラ」(bla)
  4 ラグツェグの記述
  4.1 状況説明
  4.2 儀軌の前段階
  4.3 儀軌(治療)の実際
  4.4 むすびにかえて
5 テキストについて
6 テキストの転写
7 訳注
8 原テキスト

* 駿河台大学

キーワード:魂,儀礼,シャーマン,ラサ,チベット

 

 

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