国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

客員研究員の紹介

サランゲレルさん
薩仁格日勒

紹介者:小長谷有紀(研究戦略センター教授)
青海モンゴル族研究にふりそぞぐ光

薩仁格日勒さんは、1958年、中国青海省生まれのモンゴル族です。7人兄弟の5番目で、兄弟のうち3人が地元で家畜の放牧に従事しています。もはや定住していて遊牧民とは呼べなくなりましたが、家畜とともに生きる暮らしの原理は変わっていません。
彼女は、遊牧民の家庭に生まれ、地元の民族学校に通いました。卒業後、蘭州の西北民族学院に進み、モンゴル語とモンゴル文学を学びました。さらに、選ば れて中国社会科学院の大学院生となります。いよいよ、故郷から2700キロメートル離れた、北京へと移ってきたのでした。
1991年にはモンゴル国の科学アカデミーに留学し、帰国してから中国社会科学院で「モンゴル叙事詩民俗の研究」により博士号を取得しました。青海モンゴル族出身の数少ない研究者の1人です。現在は、中央民族大学で蒙古文学の教鞭をとっています。
「サランゲレル」とはモンゴル語で「月の光」を意味します。青海モンゴル族の研究に光を照らす、貴重な存在をまさに象徴しているように思われます。

チベット化現象と漢化現象

青海省に住むモンゴル族は、モンゴル一般のあいだでは「デード・モンゴル」すなわち「上モンゴル」と呼ばれます。なぜ、上なのかには諸説ありますが、一般には、チベットに近い高原に位置しており、その高度とチベットへの近さに由来すると考えられています。
この「上モンゴル」と呼ばれる集団について、すでに風俗習慣を概観した本が数冊出版されています。それによると、上モンゴルは、他の地域のモンゴル族に 比べて、言語、衣装、宗教などさまざまな面でのチベット化が目立ちます。たとえば、主食もそうです。概して中国内モンゴル自治区では、炒めた粟をお茶に浮 かべて食べることが多いのに対して、上モンゴルではチベット人の食として有名な「ツァンパ」が主となります。完全にチベット語を使用するようになった地域 もあります。
このようなチベット化現象と並行して、漢化現象も著しく認められます。そうした現象は、混住地域に強く見られ、そこではまた多様な社会問題が発生しま す。近年、死者まで出すようになっている領有権の問題についても、研究がおこなわれるようになりました。ただし、そうした社会問題を生む背景として、そも そもモンゴル族が長年にわたってどれほどの変容を遂げてきたかという基礎的な研究が充分に進んでいるわけではありません。新しく噴出する問題を直接扱うわ けではありませんが、その基礎を洗い出すという地味な仕事に、彼女は取り組んでいます。

故郷を再発見する旅

2000年夏、22年ぶりに故郷を訪れた彼女は、実母が81歳の齢を迎えたお祝いを、半ば身内として済ませ、また半ば外部者の目で観察しました。それはた まさかの偶然であると同時に、必然でもありました。ひとたび故郷を出て、広くモンゴル族の口承文芸を研究した後に、改めて興味深い素材として故郷を再発見 する旅になったのです。
その後、精力的に青海省内のデータを収集し、みんぱくでは他地域のモンゴル族のデータとの比較をおこないました。その結果、「年越し祭り」と呼ばれる儀 礼は、長老への供物を参加者全員で分配し、祖先の福を集団構成員全体で受けたという意味をもっており、その意味で、生きた長老を契機とした祖先祭祀である ことが明らかになりました。こうした上モンゴルの風俗習慣に関する資料を、現在、『青海省モンゴル族民俗文化に関する資料とその解釈』として刊行すべく整 理しています。
今後も彼女は、こうした体験を活かして、上モンゴルの研究を進めることでしょう。モンゴル全体の中での上モンゴルを位置づけるにあたって、歴史学からの 研究が蓄積されているほどには、民族学・文化人類学的な研究はこれまでありませんでした。したがって、彼女の活躍によって一気に解明が進むと期待されま す。

サランゲレル
  • サランゲレル
    薩仁格日勒
  • 1958年生まれ。
  • 中国・中央民族大学教授。
  • 2001年9月から2002年8月まで国立民族学博物館客員部門助教授。
  • 研究テーマは、「中国・青海省におけるモンゴル族の文化変容」。
『民博通信』第98号(p.28)より転載