客員研究員の紹介
クララ・ロペス・ベルトランさん
María Clala López Beltrán
総合的視野が描きだす17世紀ボリビアの植民地社会
クララ・ロペスさんは、民博が外国人研究員としてボリビアから迎える最初のお客さまです。彼女は同国の首都ラパスの出身です。南アメリカ大陸を南北に貫く アンデス山脈は、ペルー南部からボリビアにかけて東西ふたつの支脈に分かれ、その間にはアルティプラノと呼ばれる高原が広がっています。標高4000メー トルを超えるその高原が、彼女の生まれ故郷です。
ロペスさんは、大学学部時代、大学院時代を通じて、歴史学の講座で専門技術を学ばれた生粋の歴史学者です。サンアンドレス大学(ボリビア)のアルベルト・ クレスポ、トリノ大学(イタリア)のマルチェロ・カルマニャーニ、コロンビア大学(アメリカ合衆国)のハーバード・クラインなど、第一級の研究者のもと、 数量経済学、人口統計学、社会史などの諸分野の技法を学ばれました。博士の学位はトリノ大学とコロンビア大学の双方から授与されています。トリノ大学へ提 出した博士論文はマクロ経済に関するもの、コロンビア大学のそれは家族史に関するものであり、彼女の関心の幅の広さを物語っています。
植民地の独自性が萌芽する時代
ロペスさんの専門は、17世紀のボリビアにおける植民地社会の形成史です。当時のボリビアはチャルカスと呼ばれ、スペインの植民地支配下にありました。新 大陸の植民地化の歴史において、16世紀が発見と征服の時代ならば、17世紀は植民地の独自性が萌芽する時代です。イベリア半島から移植された社会制度や 生活様式、価値観や世界観が、行政官や聖職者、征服者の末裔や事業家、先住民首長や一般の農民など、さまざまな人々が繰り広げる交渉のなかで徐々に変化し ていき、やがて一定のパターンへ収斂していく、そういう時代です。大きな変動や争乱はなく、一見地味ではありますが、ラテンアメリカ独自の社会的・文化的 基盤が形成された重要な時代です。
ロペスさんの学風を一言で特徴づけるならば、おそらく総合という言葉がもっとも適当でしょう。ロペスさんは3冊の単著を上梓されていますが、いずれもマク ロ分析とミクロ分析のみごとな総合です。最初の著作は17世紀のチャルカスの経済構造を扱っています。前半はポトシの鉱山業を中心とするマクロ経済の分 析、後半は変動する経済状況のなかで交渉を繰り広げるさまざまな主体の物語です。ペルー問題研究所(IEP)から刊行された最新の著作は、17世紀のラパ スのエリート層の形成を論じたもので、人口統計学的分析と社会史的分析を総合した傑作です。
「戦略」と「交渉」をキーワードに
植民地社会の多様性と動態性は、ロペスさんの研究を貫く主要なモチーフです。「戦略」と「交渉」は、彼女の著作に頻出するキーワードですが、さまざまな主 体が繰り広げる交渉の産物として社会と文化を描くことは、彼女の一貫した姿勢です。その際、全体を見渡す総合的な視野がたいへん重要になります。木を見て 森を見ないようでは、植民地社会を構成する複雑な利害関係のネットワークをとらえきれません。植民者に焦点を当てるにせよ、先住民に焦点を当てるにせよ、 総合的視野を欠いては、歪んだ像しか描けないでしょう。
全体を見渡しながら、細部にも焦点を当てること、社会的・経済的構造を重視しながら、個人の生きざまをも描きだすこと、植民地化の圧倒的インパクトを認め ながら、先住民の戦略にも注視すること、そうやって、植民者のものとも先住民のものとも異なる、植民地独自の社会と文化の輪郭を浮き彫りにすること、これ が、ロペスさんの最大の関心事なのです。
幅広い交友関係
ロペスさんは明るく、気さくな方です。交友関係もたいへん広く、ラテンアメリカはもとより、北米やヨーロッパに数多くの知人・友人がいます。大学が休みに なる年度の変わり目には、学会やセミナーで、頻繁に外国に出向かれます。ラパスの市街地を横切るチュウキアボ川を見下ろす高層アパートの10階にある彼女 の部屋は、国内外から常時来客があり、研究者のサロンのような活況を呈しています。わたし自身、彼女のアパートで多くの人と知り合い、刺激的な会話を楽し んだ思い出があります。
彼女はたいへんな親日家でもあります。アキラ・クロサワの映画とイサム・ノグチの彫刻にあこがれる彼女が来日するのは、今回が初めてです。見るもの聞くも の、すべてが新鮮に映るようで、趣味のエアロビクスで培った体力を糧に、週末には京都や大阪、神戸を精力的に巡り歩いています。
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クララ・ロペス・ベルトラン
María Clala López Beltrán - 1951年生まれ。
- サンアンドレス大学人文教育学部教授。
- 2003年1月から10月まで国立民族学博物館客員部門教授。
- 研究テーマは、「スペイン領アメリカにおける文学文書の導入と植民地社会の形成 ─ 17世紀のペルー副王領を中心に」