国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

客員研究員の紹介

マーガレット・シロンバルさん
Margaret Sironval

【招聘期間:2003.11.15~2004.5.15】
紹介者:西尾哲夫(研究戦略センター)
アラビアンナイトに魅せられたパリジェンヌ
アラビアンナイト翻訳300周年

アラビアンナイト(千一夜物語あるいは千夜一夜物語とも言われる)のフランス語訳がアントワーヌ・ガランという東洋学者によって出版されてから、今年でちょうど300年になる。ユネスコは今年を「アラビアンナイト翻訳300周年記念年」とした。記念の国際シンポジウムがフランス(5月)、ドイツ(9月)で開かれるほか、国立民族学博物館ではアラビアンナイトをめぐる特別展示(9月~12月)がおこなわれる。マーガレット・シロンバルさんは、フランスにおけるアラビアンナイト研究の第一人者であり、フランスの国際シンポジウムの事務局を引き受け、さらに今回は、国立民族学博物館の特別展示にも実行委員として協力している。

シロンバルさんは1940年に花の都パリで生まれた、生粋のパリジェンヌであり、現在はフランス国立科学研究センター(CNRS)の研究員として、IRHT(L' Insititut de Rechereche et d'Histoire des Textes)のアラブ研究部門に所属している。パリにある社会科学高等研究院(L' Ecole des Hautes Etudes en Sciences Sociales)で修士号を、そしてパリ第3大学(いわゆるソルボンヌ大学)で国家博士号を取得した。シロンバルさんの研究テーマは一貫しており、アラビアンナイトの物語論的テキスト研究である。社会科学高等研究院では、フランスにおける構造主義的物語研究の理論家であり、自らもアラビアンナイト研究者であるクロード・ブレモン氏に師事し、『千一夜物語におけるモチーフ索引試論』と題した5巻にもおよぶ浩瀚な研究をおこなっている。民話をふくめた物語研究の基本作業は、現地で収集してきた物語テキストや文献中の関連物語群に対して、その後の分析の基礎となるべく物語タイプやモチーフ索引をつけていく作業である。そのような基本情報が欠けているために、特定の地域やジャンルを専門としない他の研究者の利用が不便であることが多々ある。アラビアンナイト研究に限っても、肝心の物語に関する索引情報が存在しなかったために、専門外の物語研究者には利用しがたい状況が続いてきた。その意味で、シロンバルさんの索引制作はきわめて重要な貢献であると言える。現在、シロンバルさんの研究を基礎データとして、民話学的な観点からより整合的なアラビアンナイトの民話モチーフ索引を共同で作成中である。

テキスト研究から歴史的心性の研究へ

シロンバルさんの最近の学問的関心は単なる物語テキストの構造的な分析から、物語の読者が構成する社会とのいわば共犯関係として、いかに物語テキストが変容していくかという点に向けられている。ソルボンヌで国家博士号の対象となった論文『18~19世紀におけるフランスとイギリスにおけるアラジン物語の変容』では、西欧世界にとっては単なる異国趣味を意味した「オリエンタリズム」が中東イスラム世界への一方的かつ差別的な異文化理解の枠組みとなっていく、まさにその時代をとりあげている。そしてその過程で、いかにアラビアンナイトが人びとの価値意識を反映しながら変容していったかについて、とくにアラジンの物語やその挿絵の表象の変容に焦点をあてながら分析している。たとえば、アラジンの物語のなかに登場する魔人(ジン)は、初期のころには自然への畏怖を表現する恐ろしい魔物や、あるいはキリスト教世界での天使に類似した存在として描かれていた。しかし、人間が文明によって自然界の現象を操れるようになると、人間に仕える(ときには黒人風の)召使いの姿や、子供たちの良き助力者(友人)の姿で描かれるようになっていったのである。

このような物語テキストの変容における歴史的心性へのシロンバルさんの関心は、アナール学派を生んだフランスの研究としては当然かもしれないが、彼女のもう一人の先生である、フランスにおけるイスラム史学の大御所であり、自らもアラビアンナイトの社会史的研究をおこなっているアンドレ・ミケル氏(コレージュ・ド・フランス教授、前フランス国立図書館長)の存在も大きかったのではないだろうか。

今回の来日は3回目であり、画家である夫のクロードさんもごいっしょである。シロンバルさんは以前にもパリでアラビアンナイトをテーマとする展示を開催した経験があり、国立民族学博物館のアラビアンナイト展において、いまやなくてはならない心強い助言者となっている。

マーガレット・シロンバル
  • マーガレット・シロンバル
    Margaret Sironval
  • 1940年生まれ。
  • フランス国立科学研究センター研究員。
  • 2003年11月から2004年5月まで国立民族学博物館外国人研究員(客員)。研究テーマは、フランスにおけるアラビアンナイトの受容と中東イスラム世界イメージ形成。
『民博通信』第105号(p.28)より転載