国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

客員研究員の紹介

ナサン・バヤルさん
Nasan Bayar

紹介者:児玉香菜子( 総合地球環境学研究所拠点研究員 )
過去から照らす新しい民族教育の探求
文学研究者から社会人類学者へ

ナサン・バヤル氏は、中国の内蒙古大学に2007年に新しく創設された民族学与社会学学院の副院長と民族学部主任を務めるモンゴル族研究者である。

氏は1963年、中国内モンゴル自治区の西部、アラシャー盟アラシャー左旗に広がるテングル砂漠の名をもつ村で生まれた。ときは、人民公社時代。充分な食糧を得ることができず、いつも飢えていたという。それでも、家族はつねに、「人の悪口を言ってはいけない。人との和を大切にするように」と諭していたという。氏の温和な性格はこの家族の性格をひき継いだものであろう。

その後、生活が安定しはじめたため、9歳から地元のモンゴル民族小学校に入学した。中学、高校と進学し、1980年アラシャー盟で1番の成績で内蒙古大学に入学する。モンゴル文学および外国文学を専攻し、1987年から内蒙古社会科学院文学研究所でモンゴル文化の文学研究に従事してきた。そこに転機が訪れる。

1998年、中英合作研究プロジェクトに参加し、民間伝承と儀礼、宗教資料を収集するフィールドワークをおこなったのである。その際、文学的アプローチによってモンゴルの文化および現代のモンゴル族の生活を理解することへの限界を感じて、社会人類学に転身した。その後、2000年から2001年までのおよそ1年間ケンブリッジ大学社会人類学講座に在籍し、内陸アジア研究で著名なキャロライン・ハンフリー教授のもとで、社会人類学を学んだ。

帰国後すぐ、ナサン・バヤル氏は「内モンゴ ル牧畜地域の社会変遷研究」、「モンゴル族の現代文化の変遷と現代性」などをテーマに、4つの研究プロジェクトを立ち上げ、推進した。

と同時に、民族学専任教官として、モンゴル語による民族学講座を開設する。内モンゴルではじめて実施された民族学講座であった。当時、民族学を専攻する学生は修士課程の学生1人だけであったが、現在学部生は160人、大学院生 は30人に達している。

教育政策とモンゴル族のアイデンティティ問題

このように精力的に研究教育活動を展開するナサン・バヤル氏が、現在、取り組んでいる研究テーマは中国政府による少数民族への教育政策とモンゴル民族のアイデンティティの問題である。具体的な研究課題はおもに2つある。1つは、社会主義化による教育システムの構築と変遷である。もう1つは、教育システムがモンゴル族のアイデンティティ形成に与えた影響である。

中国の民族は56を数える。漢族をのぞいた他の民族は少数民族と称されるが、少数民族の居住地とされる面積は国土の3分の2以上を占め、かつ、天然資源の宝庫である。また、少数民族の統治は、国家統合としても非常に重要な問題である。なかでも、内モンゴルは以下2つの理由から政治的に非常に重要な意味をもつ。1つめは、内モンゴルが1949年に中華人民共和国が成立する以前に、自治区政府を成立させた歴史をもつという事実である。2つめは、地理的に北京の真北しかも近距離に位置するという事実、それは、政治的にも文化的にも中央政府の強い支配を受けてきたことにほかならない。つまり、時間的にも空間的にも、内モンゴルは中国政府の少数民族政策のモデルであり、かつ実験地区なのである。

ナサン・バヤル氏が少数民族への教育政策とアイデンティティの問題に取り組む背景には、自身のモンゴル文化の喪失への強い危機感がある。現在、内モンゴルにおいてモンゴル族の占める人口は2割にもみたない。各村にあったモンゴル民族学校は統廃合され、氏が通った小学校はすでにない。モンゴル語では就職ができないという懸念から、漢語による教育を選択する、選択せざるをえない家族も多い。その結果、民族学校の学生数の減少、廃校という悪循環がみられる。さらに、「砂漠化」問題への対策として政府が実施する都市部への移住政策によって、モンゴル族の生活が大きく変容させられ、モンゴル文化は危機に瀕しているといわざるをえない。こうした現状において、モンゴル文化の継承にもっとも重要なのが、教育シス テムの再構築であると考えるがゆえに、氏はその過去を探ろうとしているのである。

ナサン・バヤル Nasan Bayar
  • ナサン・バヤル Nasan Bayar
  • 1963 年生まれ。
  • 中国・内蒙古大学民族学与社会学学院、副院長・教授。
  • 2007 年4月から国立民族学博物館外国人 研究員(客員)教授。
  • 研究テーマは、中国における社会主義的近代化と民族教育政策。