客員研究員の紹介
デイビッド・オードーさん
David Odo
古写真から日本文化を考える
昨冬、オードー先生の授業に出させてもらったところ、その魅力にすっかり夢中になった。「日本の物質・映像文化」といって、毎週ハーバード大学ピーボディー考古学民族学博物館の一室でおこなわれた。事前に学生はその週のテーマに関する文献を読み、ネット上で議論してくる。授業ではアイヌの刺繍衣や縄文式土器、モース・コレクションなど、19世紀から20世紀初頭にかけて日本で収集された本物の資料を机の上に広げ、手にとってながめながら、用途や特徴について侃々諤々と議論をたたかわせる。女性が多いこともあって、毎回キャーキャーと議論は脱線しがちだが、そこは大人のオードー先生がおやじギャクを交じえながら、博物館人類学のテーマへと巧みに議論を結びつけていく。
この授業の目的は、博物館資料を用いた研究の楽しさを知ることにある。学生は好きな資料を選び、プレゼンテーション、博物館展示、最終レポートといった課題を次々こなしていくのだが、100 年前の標本カードにはほとんど何も書かれていない。そこで資料の探し方から論文の構成まで、研究室を訪ねてオードー先生に相談し、博物館や図書館、古文書館で調べたり、専門家にたずねたり、相互に情報交換したりしながらミステリーを解いていく。これこそ「世界一受けたい授業」だとわたしは思った。
写真の人類学
オードー先生は“The Edge of the Field of Vision: Defining “Japaneseness” and the Image Archive of the Ogasawara Islands."という論文で英国オックスフォード大学から博士号を取得している。論文では日本人アイデンティティを確立するために写真がどのように利用されたか、写真を使って小笠原諸島の歴史がどのように構築されていったかを論じた。学位取得後は、ハーバード大学ライシャワー研究所やスミソニアン博物館、ライクス・オランダ国立美術館などの研究員を歴任した。その研究成果の一部は、“ Unknown Japan: Reconsidering 19th-Century Photographs"としてライクス博物館から出版されている。
「標本」
2007年、オードー先生は19 世紀後半に撮られた芸者や侍、力士、アイヌの写真を中心とする展覧会をピーボディー博物館で企画した。タイトルは、“A Good Type: Tourism and Science in Early Japanese Photographs"。キャプションをつけられることで、1 枚の観光写真が博物館で人類学的データに変容していく過程を表現したという。オードー先生のアプローチは、たんにイメージとしての写真だけでなく、モノとしての写真に焦点を当てるところに特徴がある。資料に残されたひっかき傷や書き込みなどを重要な研究データとして扱うのだ。19 世紀後半以降、欧米から日本へやってきた旅行者は、観光客向けに売られていた写真を数多く土産として自国に持ち帰った。これらの写真は欧米の博物館や古文書館のコレクションを形成し、客観的な科学的データとして人類学的研究に用いられていった。このようなプロセスがどのように起きたかを明らかにすることによって、写真と人類学的研究、さらに人類学と観光との関係をオードー先生は考えようとしている。
趣味は仕事
趣味は仕事ときっぱり宣言する。しつこく聞くと、「スキューバダイビングかなぁ」とも言う。ハワイ育ちだから納得である。小笠原をフィールドに選んだのもこれが理由に違いないとわたしはにらむ。ヨガも趣味だと本人は小さい声で主張するが、どう見てもそういうタイプに見えない。好物はすし、炉端焼き、お好み焼き、温泉だそうだから、皆さんぜひ誘っていただきたい。肝心なことを2つ忘れていた。先生にはジェーニさんという素敵な奥様がいる。現在2つ目の博士号に挑戦中だそうだ。もうひとつは日本とのつながり。先生と知り合って半年くらいして、ある方からオードーというのは日本人の名前かと聞かれたことがある。「違うでしょ。ハワイ系の名前じゃないですか」と答えたのだが、ご本人に確認したら、オードーとは「王堂」と書くのだという。日系4世である。王堂先生は会話はもちろん、日本語の読み書きも達者で、もちろんわたしはそのことを意識してこの文章を書いている。
- デイビッド・オードーさん
- 1966年米国プリンストン生まれ
- ハーバード大学教養学部人類学科講師、ハーバード大学ピーボディー博物館客員キュレーター、ライシャワー日本研究所客員研究員、スミソニアン博物館共同研究員
- 2009年9月から国立民族学博物館外国人研究員(客員)准教授
- 研究テーマは、明治日本の写真についての人類学的研究