国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「コラム」:駅弁 駅弁の包み紙  ─ 国立民族学博物館所蔵の資料から ─

木村裕樹

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[写真1] 「上等御弁当」(国立民族学博物館蔵 標本番号H20505)各地の駅弁の包み紙を集めると観光ガイドが出来上がるだろう。
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[写真2] 「米沢名物黒毛和牛すきやき弁当」(2006年3月3日 山形新幹線車内にて筆者購入)発熱パック内蔵の加熱式容器入り。黄色い紐を引くとジュワッと湯気が噴き出し、温かい弁当に早変わり。「駅弁は冷たい」という概念をくつがえした一品。
収蔵庫では、「えっ、こんなものまで」と思うような資料に遭遇することがしばしばある。「弁当用包み紙」(標本番号H20505)もそのひとつである。「弁当包紙」と墨書された茶封筒のなかに都合17枚の駅弁の包み紙が収められていた。調製年月日のスタンプには、「3.5.25」や「4.7.28」などのアラビア数字がみえる。資料が国立民族学博物館に移管される以前、すなわち保谷(現在の西東京市)の民族学博物館にあった時代の『民具標本収蔵原簿』を辿ると、その登録番号(10486)に該当する記載があった。収集時期や収集者などは不明であるが、渋沢敬三の主宰したアチック・ミューゼアムの同人が調査に出かけた際に買って食べたものを、捨てずにおいて持ち込んだものに違いない。そうすると、日付は昭和のものということになり、調製年月日から、昭和3年ものが3枚、昭和4年のものが12枚、昭和9年のものが1枚、時期不明のものが1枚となる。

販売されていた駅は、八王子(中央本線)、大船(東海道本線)、赤羽・久喜・小山・宇都宮(東北本線)、熊谷・高崎(高崎線)、北千住・松戸・土浦・水戸(常磐線)の12駅である。

弁当の名称は「上等御弁当」(15枚)、「特製御弁当」(1枚)、「御寿司」(1枚)と素っ気ない。しかし、包み紙には名所や旧跡が描かれており、観光ガイドの役割を果たしていたことがわかる。たとえば、八王子駅で売られていた玉川亭の「上等御弁当」(昭和3年5月25日調製)には、名所案内として、多摩御陵・大善寺・八幡神社・招魂碑・ツツジ園・高尾山・大垂水などがみえ、それに沿線付近の地図が描かれている[写真1]。

どの駅弁も中身のことは、よくわからない。ちなみに、日本で最初の駅弁とは、明治18年、宇都宮駅の開業に伴い、地元の旅館が売り出した「握り飯2個とタクアンを竹の皮で包んだ」ものであったというが、定かでない。

駅弁には、いわゆる「普通弁当」と「特殊弁当」があるという。前者は「幕の内弁当」に代表されるもので、上述した「上等御弁当」もその範疇に入るだろう。後者は、地域の食材の使用に特色がある[写真2]。今日の駅弁の百花繚乱は、まさにこの延長上にあるのだが、「普通弁当」でさえ、その包み紙には名所案内が現れた。弁当箱、それに包み紙という、限られた空間に何を盛り込もうとするのか。旅と食とを切り結ぶ、ローカルなものとの接合は、日本の鉄道開通以来、120年にもおよぶ挑戦の歴史でもあったのである。


[参考文献]
瓜生忠夫:『駅弁物語』、家の光協会、 1979
[参考ホームページ]
駅弁資料館 http://eki-ben.web.infoseek.co.jp/