国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「世界を食べる日本」:バングラデシュ編 バングラデシュ料理こそ「日本的カレー」?!

南出和余

したたか慎ましやか、バングラデシュ出身の料理人
バングラデシュ出身の料理人
[写真1] バングラデシュコック
日本で「バングラデシュ」という国、その位置を知っている人は、どのくらいいるだろう。残念ながらその数は決して多いとはいえない。あるいは、しばしば、「バングラデシュ」といえば、洪水や貧困など負のイメージが先行して語られる。これは、かつて同じ国を形成していた、お隣インドの知名度とは大きな違いだ。

では、料理はどうだろう。「インド料理」といって容易に連想されるものはカレー。スパイスの効いた「本場のカレー」が一つの売り文句だ。日本ではカレーは、外来文化ではあるものの、古くから日本風にアレンジされて、既に「エスニック料理」の域を越える。今では堂々と一般家庭の食卓に並び、子どもの大好物としての地位を有している。インド「本場のカレー」は、そうした「日本カレー」の存在に支えられながら、しかし別のエスニック料理としても認識され、受け入れられている。いまやインドカレーのレストランは、関西だけでも大小あわせて500軒はあるというから、かなりの存在感だ。それに対して「バングラデシュ料理」はどうか。バングラデシュ料理も、料理のメインはやはりカレーだ。バングラデシュ料理のレストランに行けば、インド料理の店と同じように、食欲をそそるスパイスの香りが漂う。そして、本場バングラデシュの肥沃な土地柄、野菜を多く使うバングラデシュのカレーは、インドのカレーに比べていくらかマイルドで、日本人にはむしろこちらの方が食べやすいのではないかと思う。にもかかわらず、「バングラデシュ料理」を看板にかかげるレストランは、筆者の知る限り、関西には一軒のみである。カレー好きの日本にはちょっと意外な感じもする。しかし、実はそこには、日本の「インド料理」を支えるバングラデシュ料理の存在があるのだ。

バングラデシュ料理の看板メニュー
[写真2] バングラデシュ料理の看板メニュー
18年前に日本にきたというバングラデシュ料理屋のオーナーシェフは、今でこそ「バングラデシュ料理」を看板にかかげ、「豊かな自然に恵まれたバングラデシュの食材の豊富さ」を売りにしている。料理の「マイルドさ」が、インド料理との差異化に用いられる。しかし、話を聞けば、日本でコックとして働き出した当初は、インド料理屋の調理場に立っていたという。次にシェフとして任された店では、「カレー屋」を名乗る。そして、現在の持ち店を自ら経営するようになり、初めて母国「バングラデシュ」を看板にかかげるようになった。その経緯をたずねると、当初はバングラデシュといっても誰も分からなかったから、と言う。ビジネス街でやっていた「カレー屋」は、お昼のビジネスマンがランチを食べにやってくることが多かったというから、「エスニック料理」を味わいに来るというよりは、昼食に「カレーを食しにくる」客で賑わっていたようだ。しかし、彼が作っていた料理は、インド料理屋でも、カレー屋でも、そしてバングラデシュ料理屋でも、常に同じ、「バングラデシュのカレー」だったのである。

同じように、バングラデシュ出身のコックが、日本のインド料理、「本場カレー」のレストランで働いていることは珍しくない。インド亜大陸では、バングラデシュの大半とインド西ベンガル州に住むベンガル民族と言えば、食に定評のある民族だから、インド料理を支えているのがバングラデシュ出身のコックであることは驚くことでもない。そう考えると、バングラデシュ料理、しいてはバングラデシュという国についてさえ不案内な日本の人々でも、実は知らない間に「バングラデシュ料理」を食べていたということも少なくないのかもしれない。そして、日本に根づく「本場カレー」の文化は、母国の知名度の低さから名乗ることを慎む、したたかなバングラデシュ料理人たちによっても、支えられているのだ。


バングラデシュ料理、インド亜大陸料理
インド亜大陸料理
[写真3] インド亜大陸料理
このことは、バングラデシュに限ったことでもない。日本のインド料理レストランに行く際には、厨房を覗いてみよう。一見インド人ばかりと思われるそこでは、実は、インド、バングラデシュ、パキスタン、ネパール、スリランカなどインド亜大陸出身のさまざまな国のコックに出会う。彼らもまた、「本場カレー」の文化を共有している料理人たちだ。そもそも、インドという国は、人口の約8割がヒンドゥー教徒で占められていて、彼らは宗教上、牛肉を食べない。ゆえに、「本場のインド料理」には、日本人の好きな「ビーフカレー」は存在しないのだ。バングラデシュやパキスタンは、イスラム教徒の多い国であるから、日常的に牛肉を食べる。ビーフカレーが存在する。ゆえに、パキスタンやバングラデシュの存在がなければ、ビーフカレーのあるインドレストランは成立しない。つまり、私たちが行くインドレストランは、「インド亜大陸料理レストラン」が多いということである。

反対に、バングラデシュ料理がインド料理の中で成立するのと同じように、日本にあるバングラデシュ料理レストランでは、インド料理を含有している。シークカバブやタンドリーチキンは、本場バングラデシュで食べることはまずないが、日本のバングラデシュ料理屋のメニューには存在する。バングラデシュ料理もまた、「インド亜大陸料理」としてインド料理を共有しているのである。


日本人好みの「本場カレー」
本場カレー
[写真4] 本場カレー
私たちがもつ「カレー」のイメージは、ドロッとした汁状のものだろう。日本のバングラデシュレストランで出されるカレーもやはりドロッとしている。しかし、本場バングラデシュのカレーは、実はもっと水分が多く、サラッとしている。筆者は、バングラデシュレストランのシェフやインドレストランで働くバングラデシュからのコックに、「なぜバングラデシュのカレーのようにサラッとさせないのか」と尋ねた。すると彼らは、「日本人にはサラッとしたカレーは違いすぎて受け入れられない」という。カレーは、インドからヨーロッパを経由して日本に渡り定着した「日本カレー」によって、ドロッとした状態のイメージが強く、期待される。その期待・イメージの域を越えると、受け入れられない可能性があるから、料理人たちは「日本人好みの本場カレー」を演出する。つまり、「日本カレー」とは別認識される「本場カレー」も、実は日本化された「本場カレー」なのである。

なぜ日本ではドロッとしたカレーが定着したのだろうか。それは食べ方に関係している。バングラデシュでは、人々は右手でサラッとしたカレーをご飯と混ぜて食べる。サラッとしたカレーは、手でよくよく混ぜるほど美味しさが増す。スプーンで食べるとよく混ざりきらないので、美味しさが半減する。日本では、手で食べる習慣がないため、スプーンで食べても美味しいように、カレーはドロッとさせなければならないのだろう。


和バ折衷=バングラデシュ料理
和バ折衷
[写真5] 和バ折衷
バングラデシュ料理は、慎ましくしたたかにインド料理の中に存在しているかと思えば、ひとたび「バングラデシュ」というアイデンティティをあらわにすると、インド料理との差異化が図られる。最後に、「バングラデシュ料理」のアイデンティティを紹介したい。

他のインド亜大陸圏に比して、バングラデシュ料理の特徴は、野菜や魚を多く使うことにある。ことに、「ベンガル人は米と魚でできている」と、バングラデシュの小学校教科書に明記されているくらい、ベンガル人の魚好きは自他共に認めるところである。そのことは、日本のバングラデシュ料理屋でもうかがい知ることができる。看板料理の一つは、魚カレーだ。この魚を愛する文化は、種類や料理法は違えども、日本と共通する。しかし、不思議なことに、日本はカレー文化を取り入れて「日本カレー」を形成する過程で、肉の代わりに魚を使うことをしなかった。ゆえに、「日本カレー」に魚カレーはまず存在しない。そこで、読者の方々への提案である。バングラデシュ料理レストランに行こう、そして、魚カレーを食べよう!魚こそ日本料理と思う私たちは、バングラデシュ料理を和バ折衷の気分で親しみながら、「本場カレー」を味わうことができるかもしれない。


[協力店]
バングラデシュレストラン「アイシャ」兵庫県尼崎市塚口本町1-8-6 Tel/Fax:06-6421-9433

追記:この原稿を書くにあたり、筆者が日頃から馴染みでお世話になっていたバングラデシュレストラン「アイシャ」のご協力を頂いた。ことに、マスターのカラム氏には、興味深いお話を度々聞かせて頂いた。しかし、出版が遅れたために、カラム氏はこの出版を待たずして昇天された。カラム氏のご冥福を心よりお祈りする。