「世界を食べる日本」:ドイツ編 年輪の意味
日本でお馴染みのバウムクーヘン。ドイツ語のこの名称は、すでに日本でも定着している。しかし、これをあえて日本語にしてみると、バウム(der Baum)は木とか樹木、クーヘン(der Kuchen)はケーキや焼き菓子という意味だから、「木のケーキ」と訳すことができる。
バウムクーヘンを日本で最初に売り出したのは、ユーハイムの創始者カール・ユーハイム(Karl Juchheim 1886-1945)である。彼は、当時のプロイセン、現在のドイツ連邦共和国の首都ベルリンの北に位置するシュトラールズント(Stralsund)で1908年に菓子職人の資格を取得し、同年22歳で、菓子屋と喫茶店を兼ねた店をチンタオで経営していたドイツ人に誘われて、当時ドイツの租借地であったチンタオに赴いた。しかしそれから6年後の1914年に第1次大戦が開戦。このときドイツの東洋の拠点であったチンタオは、日英同盟を足がかりにドイツと対抗する三国協商(英・仏・露)側についた日本によって攻撃・占領。この占領で、5000人近いドイツ人将兵が捕虜となり、彼らは日本各地の収容所に送還された。そして、当時チンタオにいたカール・ユーハイムは、このなかのひとりとして日本を訪れることになったのである。
捕虜時代、彼は大阪と似ノ島の収容所で過ごした。そして第1次大戦が終戦を迎えた1918年、彼は菓子職人の資格を生かして明治屋に就職した。その後は、銀座のカフェ・ユーロップでも働き、1921年に横浜の山下町でドイツ菓子の店「ユーハイム」を創業した。しかし、開店から2年後の1923年、関東大震災で横浜の店を失い、彼は神戸へ移住することになった。そして、移住先の神戸の地で彼は再び「ユーハイム」を開業したのである。バウムクーヘン作りを得意としていた菓子職人カールの店では、たちまちバウムクーヘンが評判になったという。
ドイツ語でもバウムクーヘンというお菓子はバウムクーヘンと呼ばれている。そして、この焼き菓子がこう称されるゆえんは、その製造工程と形状にある。バウムクーヘンはもともと、ブナ、シラカバ、ハンノキといった臭いのつかない木を焚き、その炎の上に水平に置いた円筒に、バター、卵、砂糖、塩、小麦粉、マルチパン、ラム酒、水などを混ぜあわせた生地をぬりつけ、その円筒を回転させながら生地を焼き固める、という作業を10数回から20数回繰り返してつくっていた。今日では、炎の上で直接焼くよりも、電熱製の棒を使って焼く方法が一般的になっているという。しかし、生地への火の入れ方は変わっても、バウムクーヘンがバウムクーヘンと呼ばれるゆえんでもある、棒を回転させて生地を焼き固める作業を何度も繰り返す点は変わらない。すなわち、「バウムクーヘン」という名称は、生地を焼き固める作業が繰り返されることで、出来上がった焼き菓子の断面に層ができ、それが木の年輪のようにみえることに依拠しているのである。
われわれは、糖衣やフォンダン、チョコレートの衣を表面に飾りつけたのち切り分けられたバウムクーヘンを日本の洋菓子店で手に入れることができる。われわれはまた、スーパーで売られている、数層からなる木の切り株のかたちをしている、いわゆるバウムクーヘンを、手軽なおやつとして口にすることもできる。さらにわれわれは、バウムクーヘンが日本で結婚式や祝い事の引き出物としてよく使われていることも知っている。慶事の贈り物としてバウムクーヘンが選ばれるのは、まさにバウムクーヘンの年輪が、繁栄や長寿をイメージさせるからだという。
では、ご当地ドイツのバウムクーヘン事情はどうなのだろうか。
まずは形状だが、焼きあがった表面を糖衣やチョコレートでコーティングしたバウムクーヘンは、円筒型のままか、厚さ数センチに切り分けたかたちで菓子屋の店頭に並んでいる[写真1]。これは、日本でみるものと大して変わりないと言っていいだろう。つぎに、バウムクーヘンの年輪の意味だが、ドイツではバウムクーヘンの年輪に、日本で与えられている繁栄や長寿といった意味はあてられていない。ドイツにおいてバウムクーヘンの年輪は、手間隙をかけた職人の高い技術の証しとなっているにすぎない。したがって、慶事の贈りものとして特別に好まれているわけでもない。この点は、日本の場合と大きく異なっている。そして、バウムクーヘンのドイツにおける知名度はというと、「名前は知っている」という程度である。
ドイツの街を歩くと、コーヒーや紅茶と一緒にケーキを出してくれる喫茶店をよく見かける。店内では、ガラスケースのなかに、サクランボ、セイヨウスモモ、フサスグリ、クロイチゴ、コケモモ、アプリコット、煮リンゴなどの果物を使ったケーキや、バタークリームやチョコレートをつかったケーキが何種類も陳列されている。店を訪れた客は、ケースのなかをのぞき込んで、その場でケーキを注文する[写真2][写真3]。
さて、こうして色とりどりのケーキが並ぶガラスケースのなかのバウムクーヘンの居場所はというと、必ずしも確保されているわけではない。バウムクーヘンは、これを作ることができる職人を擁する限られた喫茶店でしか陳列されていない。しかも、バウムクーヘンがほかのケーキと一緒に並んだとしても、客は、バウムクーヘンばかりを選ぶわけではない。また、ドイツでは、自宅でも頻繁にケーキを焼くが、特別な技術を要し、手間隙もかかるバウムクーヘンが自宅で手作りケーキとしてふるまわれることは、全くといっていいほどありえない[写真4]。つまり、バウムクーヘンはドイツにおいて、知名度が抜群に高い、身近で飛びぬけた人気を誇るケーキというわけではないのである。
ところで最近、バウムクーヘンのほかに日本で見かけるようになったドイツケーキに、シュトレン(der Stollen)がある。シュトレンは、小麦粉、バター、砂糖、たまご、干しブドウ、アーモンド、レモンピール、オレンジピール、ラム酒などを使った、クリスマス用の保存のきくパンに近いケーキである。平たくて細長い形をしていて、上に粉砂糖がふってあるこのケーキは、一説には、産まれたばかりのイエス・キリストが布にくるまれている様子を模したものだと言われている。このドイツ菓子にも、日本流の解釈がつけられて、日本に浸透する日がやってくるのだろうか。今後を見守ることにしよう。
バウムクーヘンを日本で最初に売り出したのは、ユーハイムの創始者カール・ユーハイム(Karl Juchheim 1886-1945)である。彼は、当時のプロイセン、現在のドイツ連邦共和国の首都ベルリンの北に位置するシュトラールズント(Stralsund)で1908年に菓子職人の資格を取得し、同年22歳で、菓子屋と喫茶店を兼ねた店をチンタオで経営していたドイツ人に誘われて、当時ドイツの租借地であったチンタオに赴いた。しかしそれから6年後の1914年に第1次大戦が開戦。このときドイツの東洋の拠点であったチンタオは、日英同盟を足がかりにドイツと対抗する三国協商(英・仏・露)側についた日本によって攻撃・占領。この占領で、5000人近いドイツ人将兵が捕虜となり、彼らは日本各地の収容所に送還された。そして、当時チンタオにいたカール・ユーハイムは、このなかのひとりとして日本を訪れることになったのである。
捕虜時代、彼は大阪と似ノ島の収容所で過ごした。そして第1次大戦が終戦を迎えた1918年、彼は菓子職人の資格を生かして明治屋に就職した。その後は、銀座のカフェ・ユーロップでも働き、1921年に横浜の山下町でドイツ菓子の店「ユーハイム」を創業した。しかし、開店から2年後の1923年、関東大震災で横浜の店を失い、彼は神戸へ移住することになった。そして、移住先の神戸の地で彼は再び「ユーハイム」を開業したのである。バウムクーヘン作りを得意としていた菓子職人カールの店では、たちまちバウムクーヘンが評判になったという。
ドイツ語でもバウムクーヘンというお菓子はバウムクーヘンと呼ばれている。そして、この焼き菓子がこう称されるゆえんは、その製造工程と形状にある。バウムクーヘンはもともと、ブナ、シラカバ、ハンノキといった臭いのつかない木を焚き、その炎の上に水平に置いた円筒に、バター、卵、砂糖、塩、小麦粉、マルチパン、ラム酒、水などを混ぜあわせた生地をぬりつけ、その円筒を回転させながら生地を焼き固める、という作業を10数回から20数回繰り返してつくっていた。今日では、炎の上で直接焼くよりも、電熱製の棒を使って焼く方法が一般的になっているという。しかし、生地への火の入れ方は変わっても、バウムクーヘンがバウムクーヘンと呼ばれるゆえんでもある、棒を回転させて生地を焼き固める作業を何度も繰り返す点は変わらない。すなわち、「バウムクーヘン」という名称は、生地を焼き固める作業が繰り返されることで、出来上がった焼き菓子の断面に層ができ、それが木の年輪のようにみえることに依拠しているのである。
[写真1] バウムクーヘン(ミュンヘンにて)
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では、ご当地ドイツのバウムクーヘン事情はどうなのだろうか。
まずは形状だが、焼きあがった表面を糖衣やチョコレートでコーティングしたバウムクーヘンは、円筒型のままか、厚さ数センチに切り分けたかたちで菓子屋の店頭に並んでいる[写真1]。これは、日本でみるものと大して変わりないと言っていいだろう。つぎに、バウムクーヘンの年輪の意味だが、ドイツではバウムクーヘンの年輪に、日本で与えられている繁栄や長寿といった意味はあてられていない。ドイツにおいてバウムクーヘンの年輪は、手間隙をかけた職人の高い技術の証しとなっているにすぎない。したがって、慶事の贈りものとして特別に好まれているわけでもない。この点は、日本の場合と大きく異なっている。そして、バウムクーヘンのドイツにおける知名度はというと、「名前は知っている」という程度である。
[写真2] ガラスケースに並べられたケーキ
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[写真3] 生クリームを添えたアップルケーキ
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[写真4] K氏の誕生日会でふるまわれたケーキ
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ところで最近、バウムクーヘンのほかに日本で見かけるようになったドイツケーキに、シュトレン(der Stollen)がある。シュトレンは、小麦粉、バター、砂糖、たまご、干しブドウ、アーモンド、レモンピール、オレンジピール、ラム酒などを使った、クリスマス用の保存のきくパンに近いケーキである。平たくて細長い形をしていて、上に粉砂糖がふってあるこのケーキは、一説には、産まれたばかりのイエス・キリストが布にくるまれている様子を模したものだと言われている。このドイツ菓子にも、日本流の解釈がつけられて、日本に浸透する日がやってくるのだろうか。今後を見守ることにしよう。
[参考資料]
カール・ユーハイムに関して [http://homepage3.nifty.com/akagaki/indexb.html]
ドイツのバウムクーヘンに関して [http://de.wikipedia.org/wiki/Baumkuchen/]
日本のバウムクーヘンの意味に関して [http://www.club-harie.co.jp]
カール・ユーハイムに関して [http://homepage3.nifty.com/akagaki/indexb.html]
ドイツのバウムクーヘンに関して [http://de.wikipedia.org/wiki/Baumkuchen/]
日本のバウムクーヘンの意味に関して [http://www.club-harie.co.jp]