国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「日本を食べる世界」:インドネシア編 Hoka-Hoka Bentoのカニロール

阿良田麻里子

ホックベンの店構え
[写真1] ホックベンの店構え
ホックベンの店員
[写真2] ホックベンの店員
ホックベンの店内
[写真3] ホックベンの店内
インドネシアの日本食レストランは、ごくごくおおざっぱに言って、3種類にわけられる。本格的な日本料理店、フードコートや屋台の日本料理もどき、そしてHoka-Hoka Bentoである。

本格的日本料理店は、主に日本人の駐在員をターゲットにしている。店名もちゃんとした日本語で、外装や内装もしっかり和風。板前や仲居はインドネシア人だが、制服は日本風にキメている。お品書きには日本語とインドネシア語が併記され、味や食器や盛りつけも本格的だ。値段も換算すると日本とそう変わらないので、インドネシアの庶民には敷居が高い。イスラム教徒が90%を超えるこの国では、超高級中華レストランの多くが海鮮料理を中心に据えて100%ハラル[註1]を謳い接待に盛んに利用されている。一方ハラルを前面に出さない日本料理店はどうしても客層が限られる。
[註1]イスラムの教義にのっとっていること。食べ物の場合、タブーとされている豚肉などを使わないだけでなく、家畜の屠殺処理においてイスラム式の祈りを唱えていることなどの条件がある。

フードコートや道端の屋台で、「日本料理」や「日本食」を売る店は、鉄板焼、照り焼き、焼き肉、チキンカツ、テンプラなどといった洋食ふうのメニューや揚げ物を中心に扱っている。店名には笑いを誘う日本語もどきもある。メニューはたいていインドネシア語で、主な客層は、たまにはちょっと変わったものを食べようかというインドネシア人客である。懐の寂しい人類学者の卵やバックパッカーが、現地のメシに疲れたときにふと入るのにもふさわしい。まずまずの値段でそれなりに日本風の味がするし、たとえへんな味でも、インドネシア人にとって日本料理とはこんなものかと感じるのもまた一興、と自分を納得させることもできる。

そして、問題のHoka-Hoka Bentoだ。発音はそのままホカホカベントー、通称ホックベン。日本のほか弁と違ってお持ち帰り専用の弁当屋ではない。テイクアウトもできるが、基本は店で食べるようになっている。ジャワ島都市部を中心にチェーン展開する「ジャパニーズ・ファーストフード・レストラン」である。そう、ケンタッキーフライドチキン(KFC)やマクドナルドと同様、れっきとしたファーストフードの一大ブランドである。格差社会のインドネシアにおいては、中流階級以上の人びとが出入りする洗練された場所であり、あか抜けた若者の外食スポットなのである。

首都ジャカルタでは、ちょっとしたショッピングプラザには必ずと言ってよいほどホックベンの支店がある。筆者の調査地西ジャワの州都バンドゥンにも数軒のホックベンがあった。このチェーン店の経営母体が実際には日本とどのようなつながりをもつか筆者は知らない。その絶妙なインドネシア化の度合いからみて、チェーンの中核を握るのはおそらくインドネシア人であろうと推測するのみである。

正直に言って、筆者はこの原稿を依頼されるまでホックベンに入ったことがなかった。あざやかな黄色で統一された明るくきれいで画一的な店がまえは、怪しげな屋台をこよなく愛する貧乏人魂、いや探求心を刺激しない。かといって、たまに本当の日本食を食べたいと思う贅沢気分の時にも行く気がしない。トレードマークはぱっちりおめめの男の子と女の子のマンガだし、表に置かれたメニューには日本食とは思えない変な食べ物がところどころにのっていて、なんだかいかさまっぽいのだ。しかし、食文化研究を志すものとして、これほどメジャーな「日本料理店」を避けては通れまいと覚悟を決め、ついに足を踏み入れることにした。

ホックベンの店構え
[写真4] ホックベンの店構え
予備調査としてまず身近な人に聞いてみる。すると意外にも日本滞在歴のある日本通のインドネシア人たちが、ホックベンはけっこうおいしいという。特に「カニロール」なるものがいけるらしい。いったいカニロールとは何なのか。友人に尋ねると、日本食でしょ、どうして知らないのと逆に訝られてしまう。カニかまぼこならわかるが、どうもそれとは違うようだ。ジャカルタ在住十数年の日本人の友人も、日本語学校のインドネシア人の同僚たちはよく行くらしいよと教えてくれた。お勧めはやはり「カニロール」である。

ジャカルタのショッピングプラザ内のホックベンに入ってみた。学食風のセルフサービスである。客はトレーをとって列に並び、カウンターの中の店員が注文をとる。食べ物を受け取って進むと列の先にレジがあり、会計をしたあとに調味料などをとって自由に席について食べる仕組みである。用意された調味料とは、醤油ではなく、ポンプ式の大容器入りのケチャップとサンバル(チリソース)である。インドネシアのファーストフード店なら常識の取り合わせで、KFCでもマクドナルドでも、客はたいていどろっとした真っ赤なサンバルをたっぷりとっていく。時には別皿を用意してもらって、海のようなサンバルを食べ物ですくうように食べる人もいる。ホックベンも例外ではない。

写真付きのメニューをみると、エッグチキンロール、シュリンプロール、コサカナ、カニロール、ツミレなどはなんだか怪しいが、ビーフ焼き肉、チキンカツ、チキン照り焼き、鶏バーガー、ビーフカツ、すき焼きなどはまあ穏当なところであろう。スープの欄にはみそ汁もある。料理の付け合わせについたスライストマトとキュウリがどことなくインドネシア風である。ナシゴレン(炒飯)やミーゴレン(焼きそば)といった一皿もののインドネシア料理にはこの二つがつきものなのだ。

カニロールとスパイシーチキンのパケット(定食)
[写真5] カニロールとスパイシーチキンのパケット(定食)
カニロールにサンバルをつけたところ
[写真6] カニロールにサンバルをつけたところ
店内は若者たちや家族連れでにぎわっている。近くの青年男女3人組に話を聞いてみた。このプラザ内で働く従業員で、昼休みに食事にきたのだという。もちろんプラザ内には他の飲食店もたくさんあるのだが、週に1~2回はここを利用するそうだ。高級日本料理店は値段が高いしハラルかどうかもわからなくて不安だけれど、ホックベンなら100%ハラル保証つきでお手頃価格なので、安心して食べられる。ほかのファーストフード店と比べても、マクディー(マクドナルド)にはご飯がなくて物足りないし、KFCにはおかずはチキンしかない。その点ホックベンにはいろんなおかずがあって飽きがこないと言う。確かに、あくまで米を主食とする西インドネシアの人びとにとって、同じくご飯とおかずから成り立つ日本料理のバラエティは、受け入れやすいのかも知れない。日本にはホックベンはないんだよと言うと、彼らは驚いた。アメリカ人が本国のマクドナルドでハンバーガーを食べているように、日本人も日本のホックベンでジャパニーズフードを食べていると信じていたのだ。日本へ行ったインドネシア人がホックベンを求めてさまよい、ほか弁に遭遇してあ然としたという話もある。さて、いよいよ噂のカニロールを食べてみた。要するに魚肉のやわらかい練り物を春巻き大の棒状にして、カニの風味をつけ、軽く揚げたようなものである。インドネシアでオタオタと呼ばれている食べものに似ている。日イ両国の練り物製品をヒントに開発された独自の商品なのだろうか。これが意外においしい。特にサンバルとの相性がまたよい。筆者はインドネシア人の友人たちと同じく、すっかりカニロールのファンになってしまった。どういう経緯でこれが「日本食」になったのかは謎である。しかし、和イ折衷の成果として、ぜひサンバル付きで日本に逆輸入してもらいたい。ホックベンの日本進出を心から待望する次第である。