国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「日本を食べる世界」:バングラデシュ編 外国人のための外国人による日本料理 IN バングラデシュ

南出和余

首都ダッカの外国料理事情
バングラデシュの首都ダッカは、世界一の人口密度を誇る過密都市だ。人にぶつからずに街を歩くのは至難の技である。それでも、ダッカに住む人口の大半は、遅かれ早かれ、地方から移り住んできた人たちばかりである。住居を表す「バシャ」を尋ねれば、ダッカと答える人は多いが、「家」や「出身地」を表す「バリ」「デシュ」を尋ねると、ダッカと答える人に出会うことは極稀である。そんな寄り集まりの街ダッカは、北から南までの距離わずか約22キロメートルの小さな街だが、その東西南北にはそれぞれ「色」がある。住む場所によって、生活スタイル、水準、経済活動は雲泥の差だ。一般の現地の人々が立ち寄る食堂なら一食80円も出せば満足のいく料理が食べられるが、高級住宅街のレストランに行けば、日本のレストラン並にお金がかかる。つい数年前までは、高級住宅街といえば外国人居住区を意味していたが、今では急増するダッカの中産階級の人々がどんどんと進入している。貧困層によるスラムが広がったかと思えば、同じダッカの街の一角で、高級住宅地も拡大する。それが現在のダッカだ。

しかし、皮肉なことに、高級住宅街に軒を並べるレストランに、「バングラデシュ料理屋」を見つけることはまずない。美味しいバングラデシュ料理は、街中の大衆食堂、あるいは何より家庭にある。高級住宅街に並ぶレストランで、まず最も多いのが中華料理。次によく見かけるのがタイ料理。タイ料理と中華料理を併せもつレストランも珍しくない。そのほかに、インド料理、イタリア料理、珍しいところではトルコ料理などもある。そして、ここ5、6年でよく見るようになったのが韓国料理だ。韓国企業のバングラデシュ進出と共に、ダッカで韓国からの人々を見かけることも増えた。それにともなってか、韓国料理のレストランも、筆者が知るだけで2004年8月現在で、ダッカに4軒はある。そして、興味深いことに、韓国レストランのメニューを開けば、韓国料理と並んで日本料理を見つけることができる。こうした「外国料理」のレストランに行くのも、やはり少し前までは外国人がほとんどであったが、最近ではお金持ちらしき現地の人々を見かけることも多くなった。


ダッカの日本食レストラン
[写真1]
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[写真2]
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バングラデシュで日本料理は食べられているのだろうか。一軒だけだが、日本食を看板にかかげるレストランがダッカに存在する。その店は、2002年に開店した。以前にも日本食レストランが他に一軒あったがその前に閉店していた。現在ある日本食レストランは、店先には「たこ焼」と書かれた堤燈を掛け、店を入ると、寿司屋を思わせるようなカウンター席とテーブル席があり、店員は皆、作務依のような制服に腰巻エプロンをしている。日本を思わせるような雰囲気を演出している[写真1~4]。メニューは、寿司、うどん、刺身、うどん定食など。ところが、韓国料理屋に日本料理があるのと同じように、日本食レストランにも韓国料理がかなりの割合で並んでいる。メニューも、ハングル語、英語、日本語で書かれている。現地のベンガル語表記はない。さらに、最初につきだしで出されるのはキムチ[写真5]。

[写真3]
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この理由は、レストランの経営者にあった。この日本食レストランを経営しているオーナーシェフは、韓国出身の料理人なのだ。さらに、このオーナーに、日本料理をどこで習ったのかと尋ねると、アメリカの日本料理屋で4年間勉強したという。つまり、バングラデシュで紹介されている日本料理は、韓国人によるもので、さらにアメリカ経由なのだ。では、バングラデシュの韓国料理屋では日本料理も出すし、日本料理屋でも韓国料理を出す。看板にどちらをかかげるかは、オーナー次第であり、韓国出身である彼は、なぜ日本料理を看板にかかげるのか。その理由を尋ねたところ、バングラデシュには韓国料理屋は既に多く、日本料理屋はなかったからだと、経営の戦略的な側面を語ってくれた。まだ若いオーナーだが、彼は、幼い頃に父親のビジネスでバングラデシュに住んだ経験があり、アメリカで勉強し、日本食を学んだ後、どこで店を始めるかを考えたとき、幼い頃に住んだ経験のあるバングラデシュで、まだない日本料理を始めようと決めたらしい。こうして、日本料理は、日本人の手を離れたところで、新たな土地へと紹介されているのだから面白い。
 
[写真4]
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[写真5]
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この日本料理屋の客層は、まず日本人。企業や政府関係、国際協力機関でバングラデシュに赴任する日本人が時折ここで食事をするようだ。次に、韓国人や西欧系の外国人。そして、偶に訪れるバングラデシュ人。筆者が店を訪ねたのは休日の正午頃であったが、店には筆者以外の日本人客数人と、ヨーロッパ出身と思われる客がいた。そして、興味深いことに、1時半ごろに外国人が去り、2時頃になって、バングラデシュの客が入ってきた。通常、バングラデシュの昼食は、1時半から2時頃であることが多い。ゆえに、昼食の時間が外国人の習慣とは微妙にずれるのである。そして、筆者以外の外国人客が去ったところで、韓国人のオーナーは、バングラデシュの客が残る店をバングラデシュの店員に任せて、後にした。


「日本を食べていないバングラデシュ」
この状況から、バングラデシュで日本料理は受け入れられていると言えるだろうか。たしかに、日本料理を食べに来るバングラデシュ客もいる。しかし、その客層はお金持ちに限られ、外国に行った経験さえあるような、外国料理に慣れた人たちだ。ゆえに、日本料理がバングラデシュ料理の中に取り入れられたり、折衷から新しいかたちが生まれたりということは興っていない。さらに、日本食レストランのオーナーが客層に想定しているのも、バングラデシュに駐在する外国人であり、バングラデシュの人々ではない。

つまり、そこはダッカというバングラデシュの首都でありながら、かつてほとんどが外国人で占められていた高級住宅街の一角は、外国人街として機能している。日本料理は、バングラデシュの生活から一線を画した外国人のための料理として存在している。そこに最近になって進入してきたバングラデシュ人は、外国人街の生活文化に参加しているに過ぎない。今後、バングラデシュが「日本を食べる」ようになるかどうかは、そうした中産階級の人々の動き次第かもしれない。あるいは、日本人だけでなく、商品化される「日本」を扱う外国人が、バングラデシュの人々を相手に商売をどう展開するかにも寄るだろう。現在のところは、バングラデシュは日本を食べてはいないようだ。

[協力店]
三多島(SAMDADO)House No.-27, Road No.-35, Gulshan-2, Dhaka-1212 BANGLADESH