国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「日本を食べる世界」:ヨルダン編 日本食をめぐるパフォーマンス

錦田愛子

日本食というスタイル
ヨルダンの日本食は高級料理である。食材に用いられるきのこや魚介類がそもそも入手しにくいせいもあるのだろう。レストランはほとんどが五つ星の高級ホテルの中に入っている。1回食べに行くと、予算はひとりでだいたい20JD(ヨルダン・ディナール)=約30ドル。大衆食堂では1JDでお腹一杯食べられることを思えば、客層が外国人やお金持ちに限られるのは当然といえる。

海から遠く、大きな川も存在しないヨルダンでは、魚介類へのなじみがもともと薄い。魚といえば冷凍の輸入物がほとんどで、丸揚げにしてしっかり火を通してから食べる。値段も鶏や牛肉、羊肉料理の倍はするので、そもそも魚をあまり好んで食べる習慣がないといえるだろう。そんな中、しかも切っただけの魚を生で食べる日本人は、彼らにとって驚異だ。「日本はあんなに産業が盛んで発達してるのに、何故そんな原始的な食べ方をするの?」と不思議そうに聞かれたこともある。

イスラーム教徒が大半を占めるヨルダン人は、食文化には基本的に保守的な人たちでもある。イスラーム教でいう禁忌に触れるか否かを判断してからでなければ口にできないせいもあるのだろう。日本のように珍しい料理を好んで食べる傾向は弱い。外見から素材が判断できるような、分かりやすい料理が概して好まれるようだ。

そんな中、キリスト教徒を含むヨルダン人富裕層の間で、日本料理は徐々に定着しつつある。彼らの間で日本食はひとつのスタイルである。仕事や海外留学などで欧米文化に触れる中、伝統的な価値観から脱してグローバルな感覚を身につけた証を見せたいという気持ちも作用しているのかもしれない。外国からの来客を連れて日本食の高級レストランへ出かける、といった光景もよく見られる。またヘルシーさが注目を浴び、日本茶(アラビア語でも「緑茶」と呼ぶ)は健康食としてひそかな人気である。紅茶にほとんど飽和状態まで砂糖を溶かして飲む、アラブ式の飲み方は、富裕層の間では駆逐されつつある。

また、高等教育を受けた富裕層の間では、諸外国の料理を正しいマナーで上品に食べることがひとつのステータスであるらしい。英語のみで編集されたヨルダン発行の雑誌「ホーム(Home)」(2006年1~2月号)では、「食べ方がわからずに困ってしまう、トリッキーな料理」の食べ方エチケット特集の筆頭として、日本料理が挙げられていた。特にその代表格である寿司と刺身の食べ方、それから箸の使い方の説明である。箸の使い方は、基本的な持ち方に始まり、「迷い箸」「寄せ箸」などの「してはいけない」基礎マナーのことまで触れられている。皿を持ち上げるか否か、箸を卓上にじかに置いてはいけない、といった注意書きは、アラブの食文化との対比から出てきた内容と思われ、興味深い。


日本らしさの演出
[写真1]
[写真1] ヨルダンの寿司
[写真2]
[写真2] シェラトン・ホテルの軽食コーナー。ケーキとともに寿司が並べられている。
ヨルダンで日本食の代表格とされているのは、寿司である[写真1]。握り、手巻き、太巻きは日本料理屋の定番メニューだ。見た目にも強烈な真っ黒な海苔に、粘り気のある米と生の魚をくるみ、細い二本の棒を器用に操って食べるというエキゾチックさが魅力なのだろう。そのせいか、ちらし寿司にはあまりお目にかからない。ご飯にはちゃんと米酢がきき、醤油とわさびをつけて食べる。わさびはネタとシャリの間にもしっかり入っており、アンマン市内の高級スーパーでは粉末の業務用わさびを購入することも可能である。

レストランでの寿司は、鶏の照り焼きなど他の肉料理の前に、オードブルとして用意されていることが多い。メニューリストでも「メイン」の外で載せられている。メリディアン・ホテルにあるレストラン「紅花(べにはな)」では、特製サラダ(ドレッシングはビネガー)と「味噌スープ」の後に出てきて、食べ終わるまでメインの鉄板焼きは登場しない。また面白いのはシェラトン・ホテルの1階にある軽食コーナーで、ここでは握りと太巻きが、ショーケースの中に苺のタルトなど他のケーキ類と並んで陳列されていた[写真2]。「一個」単位で注文し、値段はケーキの半額程度(1JD以下)。「緑茶」はないが、わさびと醤油はしっかり用意されていた(ただし湯飲み茶碗のような入れ物に醤油が入っているので、非常に浸けづらい)。シェラトンには2階にアジア料理のレストランがあり、そこの中国人とインドネシア人のシェフが、毎朝握っているのだという。夕方7時半から10時にかけては、客の目の前で好きなネタを握ってくれるデモンストレーションがあり、金曜日以外の毎日、ホテルのロビーで実演している。

さらに派手なパフォーマンスで人気を呼んでいるのは、先に触れた「紅花」の鉄板焼きである。鉄ベラの音もにぎやかに玉子焼きの早切りをして見せたり、卵の殻や使い終えたコショウの瓶を背高コック帽の上でキャッチしてみせたり。アメリカを中心にチェーン店が世界各国に展開しているこの店では、従業員はこの演出ができるように、特別な訓練を受けさせられているらしい。筆者が行ったときのコックはアラブ人で、エジプトでこの演出を学んだと言っていた。珍しい味、形に、独特の料理方法、これらが「日本的なもの」とされ、うけているようである。

[写真3]
[写真3]「紅花」店内。奥の壁には日本の絵巻物からとられた絵図が飾られている。
[写真4]
[写真4] 同じく「紅花」店内。着物が展示されている。
外国人客が多い日本料理レストランでは、お酒も普通にメニューに載って産のビールもあるヨルダンでは、まだ新参の日本ビールは割高である。だが「日本らしさ」[写真3、写真4]に花を添えるべく、アサヒやキリンのビールを注文する人の姿も見られた。酒類をめぐる一般的な環境として、ヨルダンではアルコール販売が認められている。預言者ムハンマドの末裔とされるハーシム家が王室を構成してはいるが、イスラームの祝日を除けばどんな酒でも販売は自由である。一般のスーパーの一角で販売コーナーを設けているところもあり、ビールやワインのほかにウイスキーやウォッカなども数種類の銘柄が陳列されている。購入者は外国人や国内少数派のキリスト教徒が中心だが、イスラーム教徒の中にも、世俗的な人を中心に、飲む人は少なからずいる。


食文化による国際理解
在留邦人数が常時200人程度しかいないヨルダンでは、日本料理屋で働くのは日本人ではなく、東アジアや東南アジアの人々、他はアラブ人である。レパートリーは寿司、刺身やてんぷら、焼肉、焼き鳥など、食材がわかりやすく、有名なもてなし料理に限られる。どんぶり物やうどん、そばなどの地味な日常食は見られない。ここからはスタイルとしての日本、「日本的」と彼らが思う食文化が、受け入れやすい形で導入されているのが分かる。富裕層を中心としたこのような受容は、自らの開明さをアピールするための手段でもあるのだろう。またアラブ的「もてなし文化」の一環として、好印象で歓迎されている日本に対して、理解を示そうという姿勢も感じられる。日本でエスニック料理がブームになり、定着していったように、ヨルダンでも日本料理が定着していくかもしれない。それが異文化に対する理解につながり、お互いへの親近感を増すものとして大衆化していけばいいと、筆者は思っている。