国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「日本を食べる世界」:タイ編 ワサビと餃子の幸福な関係  ― タイにおける日本料理「曲解」の一例 ―

小河久志

タイはいま、日本料理ブームの只中にある。首都バンコクを中心とする都市部には、日本人の料理人が腕を振るう高級店から庶民向けのチェーン店まで、日本料理店を標榜するあまたの店が軒を連ねている。全国各地に展開する大型小売店の食品コーナーにも、日本の食材だけではなく寿司を中心とする日本料理を販売するコーナーが設置されているほどだ。だが、こうした場所で提供される日本料理の全てが全て、日本料理を食べて育った我々「日本人」の目や舌を納得させてくれるわけではない。様々な意味で「期待を裏切る」料理が出されることもしばしばだ。2003年の夏に私が出合った「ワサビ入りのたれをつけて食す揚げ餃子」(以下、ワサビたれ餃子)もまた、そんな一品だった。[註1]
[註1] 餃子は、そもそも中華料理に属するものである。それが日本料理と見なされていることは、「日本料理としてのワサビたれ餃子」誕生の一大要因であり、考察に値する現象といえる。しかし本稿では、対象店において日本料理と捉えられていることから、餃子をあえて日本料理の1つと見なし論を進める。

出会いの場所は、バンコクの中心部にあるとある日本料理店。タイ人オーナーのもと、バンコクの日本料理店で調理の経験を積んだタイ人の料理人が腕を振るうこの店は、30種類近い定食(主菜、副菜、ご飯、味噌汁、漬物、デザートからなる)をはじめ、丼物や麺類といった一品料理やドリンクの種類が豊富だ。客層は、若者を中心に子供から年配者まで年齢層に幅があるが、その大半はタイ人。交通至便な立地や価格が他店より低めに設定されていることもあり、食事時ともなると20席ほどの店内はあっという間に満席になる。結構な人気だ。私もそうした点に惹かれて数回食事に行ったが、味や素材に「ハズレ」が無かったこともあり、その後も定期的に通うようになった。そんなある日、たまたま注文した揚げ餃子に驚かされた。餃子自体は何の変哲もない味と形なのだが、一緒に出された「たれ」に目を奪われた。黒色のたれの中央に、なぜかワサビが小島の如く浮かんでいたのだ。始めは何かの間違いかと思い店員に確認したが、「餃子のたれだ」という。仕方なく食べてみると、これが意外に美味しい。イケる。ワサビ醤油ならぬ「ワサビ二杯酢」は、ワサビのピリッとした辛さがアクセントになり、餃子の味と思いのほかマッチしている。まさに思わぬ誤算だった。

それでは、なぜワサビたれ餃子という日本料理の曲解が起きたのだろうか?誤解を恐れずに言うなら、以下の諸点をその原因として指摘することができる。まずは、料理を作る側と食べる側の双方に存在する「日本料理にはワサビ」という日本料理観である。この事例のみならずタイでは、個人や料理店により差はあるものの、日本では考えられない料理にスパイスとしてワサビが添えられることが多々ある。それは刺身などの定番物だけではなく、サラダや焼き魚にまでおよぶ。そしてこうした料理を食べる側もまた、さしたる疑問も抱かず、さも当然のようにワサビを使っている。「日本料理には何にでもワサビがつくね。」というタイ人の友人Pの語りは、タイ的な日本料理観を如実に表わしているといえるだろう。

近年の日本料理ブームを根底で支えている「日本の食材=身体に良い」という認識もまた、日本料理の土着化を推し進める一因となっている。その代表格は緑茶で、現在タイにおいては、飲料のみならず石鹸や歯磨き粉といった日用品雑貨にまで幅広く使われている 。[註2]
[註2] タイの緑茶ブームは、音楽業界にも進出している。某大手飲料メーカーが、緑茶飲料のテレビコマーシャルに用いた「新芽頂戴」という単語が流行り、この単語をサビに使った曲が現在、巷で人気を博している。

ワサビも、「良薬は口に苦し」ではないが、タイには無いその独特の辛みゆえに「身体によいもの」と見なされている節がある。先に述べたワサビの使用頻度の高さは、こうした価値観を反映した行為ととらえることができるだろう。更に言えば、タイ人のワサビの大量使用も、同様の論理に基づいているのではないだろうか。日本料理店で食事をしていて驚かされるのは、何にでもワサビを付ける食スタイルだけではなく、刺身などを注文した時に出される大量のワサビと、それを辛さに耐えながらも惜しげもなく使うタイ人客の姿だ。「日本料理=ワサビ」という先の見解との関係でいうならば、「ワサビ=健康食品」という認識は、車の両輪のように相互にかみ合うことで、ワサビの高い使用頻度とその大量消費を生み出しているのである。

一方で、全般的に辛めな味付けのタイ料理に慣れ親しんだタイ人が持つ味覚も、ワサビたれ餃子の誕生に一役買っていると考えられる。辛味を好む彼らにとって日本料理は、「薄味で甘い」と評される傾向にある。このため、日本料理に辛味をもたせるために様々な手段を用いる。日本に遊びにきたタイ人の知人とラーメンを食べた時、「辛味が足りない」といって大量のラー油(その店に唐辛子が無かったため)を入れた行為は、その最たるものといえる。上記の点を踏まえるならば、ワサビ二杯酢を、餃子に辛味をつけようとする試みとして理解することはあながち間違ではなかろう。

以上の考察を簡単にまとめると、ワサビたれ餃子とは、タイにおける日本料理をめぐる独自の解釈やそれをタイ料理の味(辛味)に近づけようとする指向性が複雑に絡み合うことで生まれた一品といえる。言い換えるならそれは、「文化」や「風土」といったタイの文脈に即した形での日本料理受容の一形態であった。他方でワサビたれ餃子は、現在、世界各地で見られる「日本料理ブーム」がその出現に関係していることから、タイにおけるグローカル な現象の1つととらえることもできるだろう。[註3]
[註3] ここで言うグローカルとは、グローバリゼーションの影響で、地域における文化をはじめとする様々な事象が多様化することを意味する。

本稿で取り上げたワサビと餃子のような「幸運な巡り合わせ」は、そう滅多にあるものではない。その多くは、我々の想像を超えた味や見た目をとる。だが、上述のような日本料理をめぐる「誤解」や「曲解」が、思いもよらぬ「逸品」を生み出す原動力となっていることもまた確かだ。ワサビたれ餃子に代表される秀逸な「タイ式日本料理」が、日本に逆輸入される日も、もしかしたらそう遠いことではないのかもしれない。