「日本を食べる世界」:中国・雲南編 雲南のお好み焼き ― チヂミ、あるいは鰹マヨネーズ味のピザ ―
中国雲南省の日本料理進出
中国雲南省の省都である昆明[写真1]は近年、海外からの輸送ルートが確立され、あらゆるものが手に入るようになった。複数の日系企業が進出している関係上、日本人長期滞在者も多く、そのため日本料理の需要も高い。需要のおかげで、今では日本料理の食材、調味料は何でも揃ってしまう。この恵まれた環境は、本場の日本料理を雲南に紹介、定着させていく上で有利にも思えるが、そう簡単にはいかないようである。
昆明には日本料理屋が7軒ほどある。いずれも日本人が経営や料理に深く関与し、経営者のパートナーが日本人という店も少なくない。そのため、日本で食べるものとそう変わらない味の日本料理が多い。極端な例としては、2005年6月にオープンしたばかりの「雫亭」[写真2]がある。ここは日本の料理人が開いた本格的な京風料亭で、中国語での宣伝を一切していないため、客層のほとんどが日本人である。一方、雫亭以外の6軒の店では客層の大部分が中国人となっている。このうち、2軒は高級料亭であり、接待として用いられることが多く大衆的ではない。また別の2軒も、一般向けのレストランではあるが値段設定が高いため大衆的ではない。低価格で親しみやすいという意味で大衆向けなのは、雲南大学近くに店を構える「和民」と、近日公園近くに店を構える「わいわい亭」の2軒のみである。
中国人好みに妥協する「お好み焼」、その結果は「チヂミ」?
中国人は日本料理に対して高級なイメージを強くもっている。そのため高級志向の強い中国人社会において、大衆向けに展開するわいわい亭と和民は日本料理を食べたい幅広い層から支持を得ている。しかしながら、大衆向けであるがために、料理の味付けが中国人の味覚に大きく左右されることにもなっている。あらゆる食材が手に入る昆明だからといって、日本の食材、調味料をそのまま用いると、客が引いてしまうどころか、お節介にも客から苦情が届くのである。大衆向け料理屋の辛いところだ。この点については、昆明の日本料理屋の定番メニューのひとつである「大阪焼」を例にとってみてもよくわかる。大阪焼とはいわゆるお好み焼きのことで、中国人に対する知名度の問題から「広島焼」とは決して言わない。
立地、価格、味の三拍子が揃って、昆明の若年層を中心に支持を集めているわいわい亭では、店長(四川人女性)のパートナー(日本人男性)が日頃食べたい献立をそのままメニューにならべている[写真3]。2005年1月の開店以来、原価率4割以上という日本では決して商売にならない良心的な価格設定で他店を圧倒している。そのため、集客力は群を抜いているものの、その回転の良さでかろうじて黒字をキープしている状態にある。ここでは、一般的に中国人から「甘いだけで辛くない!」という理由で好まれないカツ丼もまずまずの人気で、甘辛さが味の秘訣である鶏の照り焼き丼が店の一番人気となっている。また、常に日本人が味のチェックをしているため、一部の品を除いて味付けは日本で食べるものとそう変わらない。それでも、日本での人気メニューといってもよいお好み焼きは、日本人の味覚と中国人の味覚のあいだで大きく揺れ動いている。
わいわい亭を訪れる大多数の人は、そもそも日本のお好み焼きの味も文化的背景も全く知らない。そのため、出されたモノに対して素直に「こういうものか」と理解する。「大阪焼(豚肉と野菜)」「東京焼(サーモンと野菜)」「京都焼(ツナと野菜)」とメニューにならんだ3種類のお好み焼きを選ぶ際も、「日本の首都は東京だから」という理由でこぞって東京焼を選ぶといった次第である。細かな味付けやネーミングの問題は、格安で日本料理を食べた満足感によって打ち消されてしまう。しかし、それでも彼らは鰹節が踊り、日本のソースがかけられたお好み焼きには耐えられないらしい。
わいわい亭ではじめてお好み焼きを出品した際には、客の好みを調べるために3種類のタレを用意していた。まず、日本でもお馴染みのブルドックソース、次に酢をベースにした自家製ソース、最後にトマトケチャップである。すると、中国人でブルドックソースに手を付ける人がいなかった。コストダウンのため、わざわざ日本から持ち込んだ貴重なブルドックソースがあまりにも不人気であったため、仕方なくそれ以来、日本人にだけブルドックソースを出し、中国人には自家製ソースとトマトケチャップを出すことにしたという。また、鰹節が低コストで入手できるようになってすぐに、大阪焼きの上に鰹節をかけて出したところ、熱でゆらゆらする鰹節をみた中国人から「生きている!」との苦情が相次いだ[写真4]。そのため、中国人客に対してはなるべく鰹節もかけないように気を付けるようにしたという。自家製ソースとトマトケチャップで食べる鰹節抜きの大阪焼は、お世辞にもお好み焼きとは思えない。材料に豚肉と野菜を用いてはいるものの、外見はチヂミである。自家製ソースとケチャップの混ぜ加減をいくら調整しても、お好み焼きどころかチヂミを食べた気にすらならなかった。
本来はお好み焼きを目指していたものの、中国人の好みに合わせていくうちにチヂミ化していくケースは和民の場合でも同じであった。「大阪に行ったことがない」と話す和民の女将(雲南人女性でパートナーは日本人)は料理長との相談の上で、「大阪焼(大阪焼き餅)」[写真5]をメニューに載せた。これは明らかに韓国料理屋からアイデアを得ている。小麦粉を水で溶いて焼いた生地は3ミリ程度の厚さしかなく、一見すると大阪のコリアン街などでよく売られているチヂミに似ている。現に、和民周辺に点在する韓国料理屋のメニューには海鮮餅(海鮮チヂミ)、泡菜餅(キムチチヂミ)などの各種チヂミがある。生地の薄さと大きさは随分と似ている。また、大阪焼き餅につけるタレはお好み焼きソースではなく焼き肉のタレで、付け合わせとして白菜キムチが一緒に出てくる。これらには、どことなく韓国料理を髣髴させるものがある。しかしトッピングに関して言えば、ピザとお好み焼きを混ぜ合わせたかたちになっている。材料を生地に練り込ませず、生地の上にトッピングして焼き上げている点とトッピングにピーマンと挽肉を使っている点からみれば、ピザと言っても良い。一方で、生地の上に載せられたごくわずかな千切りキャベツ、紅生姜のつもりらしい赤カブの漬け物、マヨネーズ、鰹節といったトッピング材料は明らかにお好み焼きを連想させる。先入観を捨てて口にするならば、鰹マヨネーズ味のピザとして、それなりに美味しい。ネーミングを変えれば日本でも新作として売れるかもしれない。
わいわい亭と和民とでは趣が異なるが、日本のソースの使用が避けられている点で共通している。わいわい亭はソースに変わるタレの改良に力を入れ、和民は代用した焼き肉のタレで食べられるように、生地と材料に大幅な改良を加えた。こうした、客層に左右されて味に変化を付けていくやり方は、きわめて日本的な対応である。
カスタマーオリエントな日本料理を支える料理人の苦労
ところで、高級イメージの中で消費される昆明の日本料理屋は、価格や宣伝方法の問題から客層を限定する閉鎖性をもつ一方で、大衆向けに味を変化させていく柔軟性をももっている。しかし、店の客層によって異なる味付けは、料理を実際に作っている現地の料理人からすればいい迷惑であろう。なぜなら、昆明で日本料理を作る彼らは、次々と開店する日本料理屋を転々とすることがしばしばあるからである。例えば、雫亭の料理長は昆明では老舗の日本料理屋である貴太郎(店長は雲南人男性でそのパートナーは日本人)で修行し、紆余曲折のうちに雫亭で働くことになった。彼の一番弟子も、オープンしたばかりのわいわい亭に雇われたものの、仕事量の多さに根を上げて、まもなく貴太郎に移ってしまった。極端に客層が異なる料理屋で働くことになれば、そのたびに味付けの問題で怒られてしまう。しかも、彼らは伝授された日本の味覚を毎回リセットするかのように、日頃から辛い雲南の大衆料理を口にし、日本料理を特徴づける独特の味付けに慣れようとはしない。揺れ動く昆明の日本料理の味付けには、彼らの計り知れない戸惑いがそのまま裏打ちされているのである。
[写真1] 昆明市の遠景(昆明市)
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[写真2] 雫亭の玄関と給仕さん(昆明市)
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[写真3] わいわい亭のメニュー(昆明市)
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昆明には日本料理屋が7軒ほどある。いずれも日本人が経営や料理に深く関与し、経営者のパートナーが日本人という店も少なくない。そのため、日本で食べるものとそう変わらない味の日本料理が多い。極端な例としては、2005年6月にオープンしたばかりの「雫亭」[写真2]がある。ここは日本の料理人が開いた本格的な京風料亭で、中国語での宣伝を一切していないため、客層のほとんどが日本人である。一方、雫亭以外の6軒の店では客層の大部分が中国人となっている。このうち、2軒は高級料亭であり、接待として用いられることが多く大衆的ではない。また別の2軒も、一般向けのレストランではあるが値段設定が高いため大衆的ではない。低価格で親しみやすいという意味で大衆向けなのは、雲南大学近くに店を構える「和民」と、近日公園近くに店を構える「わいわい亭」の2軒のみである。
中国人好みに妥協する「お好み焼」、その結果は「チヂミ」?
中国人は日本料理に対して高級なイメージを強くもっている。そのため高級志向の強い中国人社会において、大衆向けに展開するわいわい亭と和民は日本料理を食べたい幅広い層から支持を得ている。しかしながら、大衆向けであるがために、料理の味付けが中国人の味覚に大きく左右されることにもなっている。あらゆる食材が手に入る昆明だからといって、日本の食材、調味料をそのまま用いると、客が引いてしまうどころか、お節介にも客から苦情が届くのである。大衆向け料理屋の辛いところだ。この点については、昆明の日本料理屋の定番メニューのひとつである「大阪焼」を例にとってみてもよくわかる。大阪焼とはいわゆるお好み焼きのことで、中国人に対する知名度の問題から「広島焼」とは決して言わない。
立地、価格、味の三拍子が揃って、昆明の若年層を中心に支持を集めているわいわい亭では、店長(四川人女性)のパートナー(日本人男性)が日頃食べたい献立をそのままメニューにならべている[写真3]。2005年1月の開店以来、原価率4割以上という日本では決して商売にならない良心的な価格設定で他店を圧倒している。そのため、集客力は群を抜いているものの、その回転の良さでかろうじて黒字をキープしている状態にある。ここでは、一般的に中国人から「甘いだけで辛くない!」という理由で好まれないカツ丼もまずまずの人気で、甘辛さが味の秘訣である鶏の照り焼き丼が店の一番人気となっている。また、常に日本人が味のチェックをしているため、一部の品を除いて味付けは日本で食べるものとそう変わらない。それでも、日本での人気メニューといってもよいお好み焼きは、日本人の味覚と中国人の味覚のあいだで大きく揺れ動いている。
わいわい亭を訪れる大多数の人は、そもそも日本のお好み焼きの味も文化的背景も全く知らない。そのため、出されたモノに対して素直に「こういうものか」と理解する。「大阪焼(豚肉と野菜)」「東京焼(サーモンと野菜)」「京都焼(ツナと野菜)」とメニューにならんだ3種類のお好み焼きを選ぶ際も、「日本の首都は東京だから」という理由でこぞって東京焼を選ぶといった次第である。細かな味付けやネーミングの問題は、格安で日本料理を食べた満足感によって打ち消されてしまう。しかし、それでも彼らは鰹節が踊り、日本のソースがかけられたお好み焼きには耐えられないらしい。
[写真4:わいわい亭の日本人向け「大阪焼」・鰹節が踊る(昆明市)]
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[写真5:和民の「大阪焼き餅」(昆明市)]
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本来はお好み焼きを目指していたものの、中国人の好みに合わせていくうちにチヂミ化していくケースは和民の場合でも同じであった。「大阪に行ったことがない」と話す和民の女将(雲南人女性でパートナーは日本人)は料理長との相談の上で、「大阪焼(大阪焼き餅)」[写真5]をメニューに載せた。これは明らかに韓国料理屋からアイデアを得ている。小麦粉を水で溶いて焼いた生地は3ミリ程度の厚さしかなく、一見すると大阪のコリアン街などでよく売られているチヂミに似ている。現に、和民周辺に点在する韓国料理屋のメニューには海鮮餅(海鮮チヂミ)、泡菜餅(キムチチヂミ)などの各種チヂミがある。生地の薄さと大きさは随分と似ている。また、大阪焼き餅につけるタレはお好み焼きソースではなく焼き肉のタレで、付け合わせとして白菜キムチが一緒に出てくる。これらには、どことなく韓国料理を髣髴させるものがある。しかしトッピングに関して言えば、ピザとお好み焼きを混ぜ合わせたかたちになっている。材料を生地に練り込ませず、生地の上にトッピングして焼き上げている点とトッピングにピーマンと挽肉を使っている点からみれば、ピザと言っても良い。一方で、生地の上に載せられたごくわずかな千切りキャベツ、紅生姜のつもりらしい赤カブの漬け物、マヨネーズ、鰹節といったトッピング材料は明らかにお好み焼きを連想させる。先入観を捨てて口にするならば、鰹マヨネーズ味のピザとして、それなりに美味しい。ネーミングを変えれば日本でも新作として売れるかもしれない。
わいわい亭と和民とでは趣が異なるが、日本のソースの使用が避けられている点で共通している。わいわい亭はソースに変わるタレの改良に力を入れ、和民は代用した焼き肉のタレで食べられるように、生地と材料に大幅な改良を加えた。こうした、客層に左右されて味に変化を付けていくやり方は、きわめて日本的な対応である。
カスタマーオリエントな日本料理を支える料理人の苦労
ところで、高級イメージの中で消費される昆明の日本料理屋は、価格や宣伝方法の問題から客層を限定する閉鎖性をもつ一方で、大衆向けに味を変化させていく柔軟性をももっている。しかし、店の客層によって異なる味付けは、料理を実際に作っている現地の料理人からすればいい迷惑であろう。なぜなら、昆明で日本料理を作る彼らは、次々と開店する日本料理屋を転々とすることがしばしばあるからである。例えば、雫亭の料理長は昆明では老舗の日本料理屋である貴太郎(店長は雲南人男性でそのパートナーは日本人)で修行し、紆余曲折のうちに雫亭で働くことになった。彼の一番弟子も、オープンしたばかりのわいわい亭に雇われたものの、仕事量の多さに根を上げて、まもなく貴太郎に移ってしまった。極端に客層が異なる料理屋で働くことになれば、そのたびに味付けの問題で怒られてしまう。しかも、彼らは伝授された日本の味覚を毎回リセットするかのように、日頃から辛い雲南の大衆料理を口にし、日本料理を特徴づける独特の味付けに慣れようとはしない。揺れ動く昆明の日本料理の味付けには、彼らの計り知れない戸惑いがそのまま裏打ちされているのである。