国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「日本を食べる世界」:イスラエル編 偽カキノタネ顛末記

菅瀬晶子

[写真1]
[写真1] 雨あがりのワーディ・ニスナース
いつもは野菜や雑貨の青空市が出て賑わうワーディ・ニスナースであるが、雨の日の午後には通りは閑散とし、陰鬱な雰囲気が漂う。ここが『貧者の母』と呼ばれる街であることを、まざまざと見せつけられる瞬間である。
―― あれ。
通り過ぎてから、ふと立ち止まってみる。すこし考えてから引き返し、薄暗い店の中をよくよく覗いてみる。
―― 見間違いじゃなかろうな。
しかしやはり、そこにあるのはまぎれもなく、ここに本来あるはずのないもの。そして、はるか東の果てまでこの大陸を突き進み、海を越えたところにある祖国で、しばしば口にするものである。ご丁寧にも昔むかし、駄菓子屋の店先に並んでいたガラスの乾物入れとそっくり同じ形の容器におさまって、それは鎮座ましましていた。そこだけ場違いに、日本の下町の雰囲気をかもし出していたといっても、過言ではないだろう。……といっても、村人には何がなんだか、分からないであろうが。

ここは村人みずからが「この世の果て」と称する、レバノンとの国境に接した村である。しかも住んでいるのは、日本食と聞けば目の色を変えるユダヤ人ではなく、食に関しては頑固におのれの流儀を守るアラブ人である。あまりに愕いたため、そのときはそれが日本の菓子で、米からつくるのだということを、店の主人に伝えるので精一杯だった。「これかい?あんまり売れないんだよねぇ」と、彼が苦笑していたことだけは、はっきりと憶えている。

それ、つまりカキノタネのゆくえを、イスラエルでふたたび探してみようと思い立ったのは、3年の歳月を経たのちのことだった。

[写真2] [写真3]
[写真2、3] 店先に並べられたナッツ類と『偽カキノタネ』:殻つきナッツは安いが、『偽カキノタネ』のように、数種類がミックスされているものは高い。それでもナッツ類は人びとの暮らしに欠かせぬもの。買ってゆく人は後を絶たない。
場所は北部の街ハイファ、アラブ人居住地区として知られるワーディ・ニスナース。カキノタネを見つけた国境の村をはじめ、北部のアラブ人村からの移住者を養ってきた、『貧者の母』である[写真1]。この地の人びとがあれを食べている姿を見たことはないが、ナッツやスナックを売っている店に行けば何か分かるだろうと、足を運んでみる。すると一軒めの店先で、早くもカキノタネに再会することができた[写真2][写真3]。

ねえねえ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど。店に足を踏み入れて声をかけると、店主とおぼしき若い男は、うっとうしげにこちらを見やった。背後の棚には水煙草の器具とアルコール、それも輸入もののウィスキーやらウォッカが目立つ。ここはいわゆる、『男の世界』だ。ナッツ類を買いたいなら、店に入らず軒先でじゅうぶんだろう。ここはおまえの来るところじゃない。店主の視線からは、そんな無言の圧力を感じた。

「この、いちばん左端にあるやつについて、ちょっと訊いていい?」
「どれだ」
「これこれ。これって、アラビア語でなんて言うの?」
「べゼル・ハーッル」

無愛想な声が返ってきた。べゼル・ハーッル、つまり「辛いナッツ」である。ヘブライ語では「ハリーフ」、これも同じく「辛い」という意味。この土地らしい、即物的な名前のつけかただ。

お茶うけとして、酒のつまみとして、この地ではナッツを大量に消費する。そのため、どのナッツもキロ単位で値段がついている。カキノタネは1キロ50シェケル(1シェケル=約25円)、他のナッツ類が20シェケルほどであるのに比べ、かなり高い。じゃあ100グラムちょうだい、ついでに写真も撮らせてと頼むと、彼は「ナッツはいいが、おれを写真に撮るな」と、ぴしゃりと言った。

[写真5] [写真4]
[写真4、5] 『男の世界』にて:店主に写真撮影を断られた筆者を憐れんでか、居合わせた客が、「おれを代わりに撮れよ」と、言ってくれた。店主はキリスト教徒だが、左手に数珠を持っていることでわかるように、彼はムスリム。ムスリムは宗教上の理由により、アルコール類を忌避するものであるが、彼は棚の上にアルコールの並んだ店にも、平気で出入りする。ハイファではごく普通の光景である。
…無遠慮な質問に、さらに機嫌をそこねてしまったらしい。カキノタネを秤にかけている最中も、彼は自分がファインダーに入らぬよう、鋭い目でこちらの様子をうかがっていた[写真4][写真5]。

「他のナッツよりずいぶん高いようだけれど、売れている?」
「たまに出る」
「どこで仕入れてくるの?」
「工場からだ」
「その工場で、これも作っているのかな」
「知らん」
「日本人か中国人が、その工場に関わっているなんて噂は、聞いたことある?」
「知らん」

他のナッツと一緒に仕入れているんだ、知る訳ないだろうと、一蹴された。どうにもこうにも、とりつくしまがない。たかがカキノタネと侮っていたのが、悪かったのか。お粗末な調査の顛末だ。

自分の失敗に苛つきながらも丁重に礼を述べ、友人宅へと帰る。すると彼女はテラスに椅子を出し、殻付きナッツのなかでも人気のある、煎ったすいかの種を齧っていた。どうしたの、と尋ねると、彼女はいつものとおりよ、と肩を竦めた。どうやらまた、飲んだくれの夫とひと悶着あったらしい。癇性に殻を吐き出しながら、わが友人は言う。「ナッツ類はね、イライラを抑える力があるのよ」

あなたも一緒にどう、と誘われたが、遠慮した。幾度教えてもらっても、うまく食べられないのである。殻を割ろうと前歯を立てると、決まって中身まで砕いてしまう。かえってイライラが高まるのは目に見えているので、代わりに先ほどもとめたカキノタネを食べることにした。しかしどうやら、カキノタネには殻付きナッツと同じ力はそなわっていないらしい。いくら食べても、苛立ちを抑えることは出来なかった。

開高健の小説、『夏の闇』の一場面を、ふと思い出した。ヴェトナム戦争の取材に疲弊しきった主人公、つまり開高自身が、流れ着いたパリで昔なじみの「女」と再会する。その後ふたりは「女」の留学先である西ベルリンに移り、アパートの一室という小さな箱におさまって、よどんだひとときをともに過ごすのだが、この「女」がカキノタネに執着しているのである。身ひとつで日本を飛び出し、母胎たる故郷にまつわるものすべてを冷ややかな目で見ている彼女であるが、カキノタネだけはどうにもあきらめられない。そこで、知り合いに頼んで「石油罐いっぱいにとりよせた」というのである。主人公との言い争いに傷つき疲れた「女」は、カキノタネをぽりぽりと際限なく齧る。ただし、ひとりぼっちの彼女を長年支え続けたカキノタネも、主人公である開高自身と彼女の間の距離を埋めることは、できなかったらしい。物語の最後に開高はヴェトナムへと舞い戻り、「女」はそれを許してしまうのだから。

日もとっぷりと暮れ、ぼんやりとした野外灯がともっている。掌のなかに浮かび上がったカキノタネが、日本のそれよりもずいぶんと色が薄く見えたのは、灯りのせいばかりではないだろう。そういえば、辛味もおとなしかったし、ピーナッツがいささか多すぎやしないか。言うなれば、これは偽カキノタネ。ならば、ほんものに果たせぬ役割が、果たせるはずもない。故郷を離れて幾千里、役目を果たせぬ哀しいにせものの姿に、なんとなく自分の姿が重なって見えた。