客員研究員の紹介
アルネ・レックムさん
Arne Røkkum
伊豆・沖縄諸島再訪の旅
ノルウェイの人類学者といえば、先ごろ亡くなったコン・ティキ号のトール・ヘイエルダールが有名だが、オスロ大学のアルネ・レックムさんによると、同大学 で人類学を学ぶ学生は800人から900人に及ぶくらい、とても盛んなのだそうだ。フィールドワークは中近東が多いという。レックムさんの専門は「日本と 台湾の人類学」(Anthropology of Japan and Taiwan)。けれども、大学では日本学を教えたことがない。大学が専門地域よりも理論を重視しているからである。担当科目のひとつは「人類学と科学理 論」。彼の口癖である「って(いう)ことは…」もそのあたりに起因しているのかもしれない。
さて、レックムさんは1971年に上智大学の研究生としてはじめて来日して以来、伊豆諸島では1年半、沖縄諸島では通算3年半にわたってフィールドワー クをおこなっている。いずれも1970年代のことである。代表作にはGoddesses, Priestesses, and Sisters: Mind, Gender, and Power in the Monarchic Tradition of the Ryukyus (Scandinavian University Press, 1998)がある。そして今回、短期間ながらふたたびかつてのフィールドに足を踏み入れることになった。
深層で変わらない心情
伊豆諸島のひとつ、青ヶ島へは29年ぶりの訪問となった。彼はかつてここでミコの活動を調査したが、今ではその甥が神職になっていた、とその間の変化を 語った。しかし、それは表面的なことで、島びとは祭や儀礼のことは記憶のなかに全部しまいこんでいて、当世主流の文化ではなく、こうした記憶が伝承されて いるのだと指摘した。しかもそれは主観的な体験にもとづいているだけでなく、儀礼を通して社会の経験のしかたを経験しているのだという。
タタリやノロイという言葉を人びとが口にするのは、自然の感情であるというにとどまらず、その行為によってじつは亡くなった人の気持ちを押さえているの ではないか。実際、死者や祖先は屋敷から離れたがらないで日常生活のなかに生きつづけている[傍点]。その点で伊豆と琉球は同じであり、動物や鳥や人、あ るいは土地や環境と人びとはinteraction(やりとり)をしているのだと解説した。
かたや与那国島はレックムさんがもっとも長く滞在していたフィールドで、かつて畑を耕しながら自活していたところである。島の人びとは彼のことをおぼえ ていて、当人はすっかり忘れていたが、香典のお礼までされて恐縮したという。与那国にもおおきな変化があった。たとえば、滑走路が完成し空路でも容易に行 けるようになった。しかし、その滑走路の西にはウタキ(御嶽)があり、彼の解釈では、人びとはタタリをおそれて、滑走路の延長には歯止めがかけられている とのこと。変わりにくい心情を発見する旅にもなった。
民族誌学博物館の最後の館長
今回の八重山諸島への出張旅行にはもうひとつの目的があった。それは来年(2003年)オスロ大学の付属博物館で開催が予定されている「世界の仮面」展の ことである。レックムさんはそこで八重山の仮面を紹介するため、現地の職人さんに複製を依頼したかったのである。八重山の仮面といえば、民博にも展示して あるアンガマ(翁と媼)の面をはじめ、来訪神のマユンガナシ、豊饒をもたらすミロク(弥勒)の面などが有名である。
ところで、オスロ大学の民族誌学博物館は1857年に設立され、かつては博物館と研究所が合体していた。それが1967年から68年にかけて、博物館から社会人類学科が独立し、研究所もそちらに移った。人類学に関心を寄せる学生が増えたのもこのころからである。
他方、博物館も基本展示をリニューアルした。しかし、1991年に博物館と研究所はふたたび合併し、1990年代の末にレックムさんは博物館の館長と研 究所の副所長をつとめた。ところが、大学の本部から突然命令が下り、民族誌学博物館は「独立」した博物館部、つまり現在の文化遺産博物館に統合されること になった。したがって彼は伝統ある民族誌学博物館の最後の館長となったわけである。いずれにしろ、「世界の仮面」展のイニシアティブは展示部のプロがと り、研究者は楽しみながら―レックムさんの表現によると「遊びながら」―気楽に協力できるようになったと苦笑していた。
民博は博物館と研究所が依然合体している施設である。そうした環境のせいかどうか、彼はめざましい知的生産力を示し、『国立民族学博物館研究報告』26 巻4号にMeat and Marriage: An Ethnography of Aboriginal Taiwanという論文を寄稿するとともに、論考として、'Fixed spaces for fluxed sentiments: Defence perimeters for life and death domains in the South Ryukyus,' (Signe Howell and Stephen Sparkes, House in Southeast Asia: A changing social, economic and political domain, Curzon Press, 2002)を発表し、年来の仕事も単行本にまとめつつある。
1999年に民博で開催されたJAWS(Japan Anthropology Workshop) 12回大会以来、わたしは彼と知己になった。いつもはおとなしく無口であるが、酒が入ったり、自分の研究のことになったりすると、ふだんとは打って変わっ て饒舌になり、おもしろい話題がつぎつぎとくりだされてくる。「ってことは…」
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アルネ・レックム
Arne Røkkum - 1944年生まれ。オスロ大学準教授。社会人類学博士。
- 同大学文化遺産博物館の学芸部門も担当している。
- 2001年7月から2002年6月まで国立民族学博物館客員部門教授。研究テーマは「黒潮海域の地域伝統:比較民族誌的研究」。
- 日本人の夫人との間に一男二女。