国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

客員研究員の紹介

アンガス・ロッキャーさん
Angus Lockyer

紹介者:吉田憲司(文化資源研究センター教授)
世界史のなかの日本をみる

私がアンガス・ロッキャー氏の研究にはじめて接したのは、1998年に民博で開催した国際シンポジウム「近代世界における日本文明-コレクションに比較文明学」の場であった。この場で、当時まだ博士課程に在籍していたロッキャー氏は、明治期日本の万国博覧会への参加と国内での内国勧業博覧会の開催の関係を論じて、日本が、世界を視野に収めた表象の装置を我が物としていく過程の特徴をきわめて明快に論じた。私はそのとき、この若き研究者の流暢でしかもユーモアにあふれた日本語の能力の高さと、日本文化に対する洞察力の深さにおおいに心を動かされ、彼とは、将来にわたって共同作業を続けていけるとき直感した。

日本の近代を追求

アンガス・ロッキャー氏は1966年にシンガポールで生まれ、イギリスで育った。1988年にケンブリッ大学歴史学科を卒業後、文部省のプログラムで来日し、二年間、山口県で文部省のプログラムの一環として英語を教えた。一旦帰国した後、1991年には渡米して、1993年にシアトルのワシントン大学から政治経済学の修士号を、さらに2000年にスタンフォード大学から近現代日本史の博士号を取得している。その後、4年間教鞭をとった後、2004年にイギリスに戻り、現在はロンドン大学東洋アフリカ学院で日本史の準教授として教育に携わっている。

このように国際的に活躍してきた彼であるが、その研究の対象は、一貫して「日本の近代」であるが、その関心は広く東アジアおよび世界史におよぶ。彼の日本研究の立場は、日本がよくいわれるように、世界的にみて独特で、孤立した存在ではなく、むしろ世界の文明史上でつねに他の文明とつながり、世界の諸地域と結びついてきた列島だというのが、彼の日本研究の立場である。幕末から現在までの万国博覧会への日本の参加と、日本国内の博覧会の様相をまとめた単著が、今回の彼の日本滞在中に刊行される予定である。

民博でのテーマ

ロッキャー氏は、民博での今回の日本滞在中に、新たな二つの研究テーマに取り組もうとしている。ひとつは、やや唐突にうつるかもしれないが、日本のゴルフ史である。ロッキャー氏によれば、ゴルフは戦後の日本における企業文化と環境意識の変化を考える上で、格好の対象であるという。私自身は、彼の提案を受けたとき、すぐさま、ゴルフと茶の湯の並行性に思いいたった。狭隘な茶室で営まれる茶の湯とはかけはなれたスポーツだが、いかに広大とはいえ、ゴルフの場合、せいぜいが数人の限定されたメンバーで丸1日を過ごす、極端に閉鎖的な関係が築かれる。日本の会社文化を考えるとき、ゴルフコースでいかに多くの商談や決定がなされてきたかは、言うまでもないだろう。それは、茶の湯の草創期の、茶室での権力者たちの交流の有様と酷似しているではないか。ゴルフを通じて、日本文化が見えるというロッキャー氏の視点に私がただちに賛同したのは、私自身、こうした思念を大いに触発されたからであった。

もうひとつは、日中戦争以前の1930年代の「大日本帝国」を考え直そうという試みである。1930年代前半という時代は、いまだに、日本がアジア・太平洋戦争へと突き進み敗戦へといたる前段階の時期という位置づけにとどまっている。しかし、ロッキャー氏によれば、実際に当時の資料をひもといてみると、より多様な当時の社会・文化の状況が浮かび上がってくるという。彼は、この時期の「大日本帝国」を、第2次世界大戦前の世界の状況の中に位置づけ、世界恐慌の中で、すべての国と人間が不安定な現在と不確実な未来に向き合っていた時代の動きの一つとしてとらえることのほうが、はるかに有意義でひろがりのある日本理解につながるのではないか、というのである。

それは、われわれ日本に住むものの歴史認識をも変える可能性をもつ、挑戦的なプロジェクトであり、「長期的プロジェクト」と彼自身がいうように、すぐに結論の出るような性格のものではない。私も、これからもしばらく、日本近代の再検証という彼との共通の関心をいだきつつ、ロッキャー氏のユニークな研究を見守っていくことになるだろう。

ロッキャー・アンガス Angus Lockyer
  • ロッキャー・アンガス Angus Lockyer
  • ロンドン大学東洋・アフリカ研究所歴史学科准教授。
  • 2007年9月15日から2008年6月15日まで国立民族学博物館外国人研究員(客員)准教授。
  • 研究テーマは、「昭和期日本における社会変動と大衆文化の形成についての研究」
『民博通信』第120号(p.28)より転載