アジア・太平洋地域諸言語の歴史研究の方法 ―日本語の起源は解明できるのか―
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  オーストロネシア語族と中国語との系統関係に関する最初の論考では、チベット・ビルマ諸語が不当に系統関係から除外されてしまっていた。現在の見解(Sagart 2005)では、中国語とチベット・ビルマ諸語は、シナ・チベット語族として系統関係が証明されたものであり、さらに、シナ・チベット語族とオーストロネシア語族は、同じ祖先から分岐したものであると考えられている。共通祖語が話されていた地域は、栽培化されたアワや米がともに新石器時代の発掘地で確認された紀元前5000年の中国東北部であると考えられる。
  シナ・チベット・オーストロネシア語族が一つの語族を形成するという考えを裏づけるものとしてこれまでに発表されているのは、61の基礎語彙と14の文化的語彙項目における音対応である。これに加え、いくつかの形態変化のプロセスにも共通点がみられる。音対応では、オーストロネシア祖語における語末音節が中国語とチベット・ビルマ諸語において各語彙を構成する(単)音節に対応する。例えば、 PANの*punuq(脳)の語末音節 nuqと、OCの腦 nˁuʔ(脳)、PTBの *s-nuk(脳)においては、 n-n-nu-u-uq-ʔ-k という音対応がみられる。PANにおける語頭の pu- については説明されていない。
  シナ・チベット・オーストロネシア祖語の語が1〜3音節から成り立っており、最終音節にストレスがあったと仮定すると、これらの語がシナ・チベット語族において単音節語へと移行したときに、語末音節が維持され、その他の音節の母音や子音連続が短縮したり消失したのではないかという推論は、最も自然で説得力がある。さらに、非語末音節においては、後ろから2音節目(次末音節)の語頭子音が、音韻環境によって維持される場合があった。実際、オーストロネシア祖語の語中子音が-R-の場合、チベット・ビルマ諸語ではその前の音節の最初の子音が維持されている。たとえば以下の例においては、PANの次末音節の *k~q と PTB(Matisoff 2003) の *g 、PANの *b と PTB の *b の対応がみられる。

PAN *ta-keRaŋ~*ta-qeRaŋ(肋骨) PTB *g-raŋ(肋骨・胸)
PAN  *baRaŋ(胸) PTB *b-raŋ(胸)
PAN *(ta-)quRuŋ(角) PTB *g-ruŋ(角・かど)

  本発表では、このように、シナ・チベット・オーストロネシア祖語における次末音節の語頭子音がシナ・チベット語族において維持されている様々な例を示す。

References
Matisoff, J. 2003. Handbook of Proto-Tibeto-Burman. Berkeley, Los Angeles, London: University of California Press.
Sagart, L. 2005. Sino-Tibetan-Austronesian: An updated and improved argument. In The peopling of East Asia: Putting
together archaeology, linguistics and genetics, ed. by L. Sagart, R. Blench and A. Sanchez-Mazas, 161-176.
London: Routledge.

 

  本論文では、中国語族、タイ語族、そしてミャオ・ヤオ語族の言語に共通してみられる特定の語彙に焦点をしぼり、これらに基づいて知ることのできる南中国における言語接触の歴史について検討する。
  これらの三つの言語グループは、これまでまとめてシナ・チベット語族に属する一語派を形成するものとして扱われることが多かったが、今日、特に中国本土の専門家たちは、それぞれを独立したものとして扱うことを好む傾向にある。これら三つのグループ間に系統関係があるかどうかについてはひとまずおいておくとしても、そこで共有される語彙が著しい数にのぼるという事実に変わりはない。本論文では、そのような語彙の分析が、古い発音体系や音韻変化、また歴史的接触に関して、どのような証拠を提示してくれるのかについて論じる。さらに、対象言語間にはどのような性質の関係があるのか、そして言語に反映されている、これらの言語話者が共存していた古代の世界や社会の様子についても考察する。
  本論文の内容は、中国語に関する歴史言語学における最近の進展の成果や、著者により再建されたタイ祖語とミャオ・ヤオ祖語の新しい体系を取り入れたものである。

 

  近年提唱されている日本語の系統関係に関する学説としては、より多くの言語を包括するものとしてアルタイ語族説(Robbeets 2005, 2010)、限られた言語を対象とするものには朝鮮語(韓国語)同系説(Unger 2009)がある。本報告では、これらの研究が抱える主な問題点について検証する。その概要を以下に述べる。
  まず、上記の学説を提唱する研究者は、対象となる言語間で規則的な音対応が成り立つと主張してはいるが、実際に示されたデータには音の対応が不規則なものが目立ち、再建された語の現在に至るまでのそれぞれの音の変遷経緯については、独自の説明によってしか解説のしようがないものとなっている。
  加えて、再建された音のなかには、日琉祖語(Proto-Japonic)の *y-, *w-, または *n- のように、親言語と仮定されている日本語と朝鮮語の共通祖語において、裏付けとなる語の存在を示すことができないものがある。このような音対応の欠落は、対象となる言語にみられる類似性が言語接触の結果である場合にはよくみられることであるが、系統関係に起因する場合、すなわち同じ祖語から発達した場合には、通常見られる現象ではない。
  さらに、Robbeets(2005: 422)にみられる、語における最初のCVC(子音・母音・子音)連続の部分の対応を示すことができれば言語の同系性を示すには充分であり、それ以外のことは無視してもよいという考え方は、不明な部分の説明はしない、という、大語族を提唱する比較言語学者の長年にわたる悪習の踏襲といえよう。このようなアプローチは、一貫性のない形態素分析につながり、再建形に実際には存在しない接辞や語幹を取り込むという結果を招いてしまっている。
  上述の研究においては、文章における用例や日本の語源学の伝統よりも、辞書や二次的文献の記述に依存する傾向が強いため、必然的に、現実離れした記述や誤った引用が多くみられる結果となってしまっている。言い換えれば、不確かなデータに基づき構築されている部分が多い、ということである。

References
Robbeets, M. I. 2005. Is Japanese related to Korean, Mongolic, Tungusic, and Turkic? Turcologica 64.
Wiesbaden: Harrassowitz.
Robbeets, M. I. 2010. Trans-Eurasian: Can verbal morphology end the controversy? InTranseurasian verbal morphology
in a comparative perspective: Genealogy, contact, chance. Turcologica 78, ed. by L. Johanson and M. Robbeets,
81-114. Wiesbaden: Harrassowitz.
Unger, J. M. 2009. The role of contact in the origins of the Japanese and Korean languages. Honolulu: University of
Hawai‘i Press.

 

  日本語はこれまで、朝鮮語(韓国語)や満州語、タミール語などの言語と比較されてきたが、これらの言語と日本語との間の系統関係について説得力のある説はこれまでに提示されていない。このことを、日本語には「同じ系統に属する言語がない」という意味にとらえれば、日本語は孤立言語であるということになる。孤立言語とは、共通祖語から共に発達した他の言語が全て絶滅してしまい、一つだけが生き残ったと考えられる言語のことである。日本語を孤立言語として扱ったとしても、例えば日本語話者の祖先がいつどこからこの地域にやってきたのか、というような、日本語の発達経緯に関するさまざまな疑問を解明することにはならない。だが、日本語と他の言語との系統関係を探り続けることで得られる知識は、たとえ不完全なものであるにしろ、日本語が孤立言語であると結論づけてしまうよりも、言語学的に貢献するところが大きい。
  同族語が少なくとも一つ現存していたり確認されていたりする言語に比べると、これまでに孤立言語だといわれたことのある言語(例えば、バスク語、ブルシャスキー語、シュメール語、アイヌ語など)の数が非常に限られている、ということに異論をとなえる言語学者はほとんどいないだろう。一方で、多様性に富み規模が大きないくつかの言語族(例えば、インド・ヨーロッパ語族、オーストロネシア語族、中国語族)については、その共通祖語が話されていた年代がいつごろであるかについてかなり正確にわかっているが、これらの言語の存続が五千年を超えるものはひとつもない。これらの事実を考え合わせると、日本語が厳密な意味での孤立言語であるという主張は、同時に、日本語が非常に古い言語であるということ、また、日本語が発達してきたと考えられるその途方もない長い時間の中で、同じ祖語から派生した日本語以外の全ての言語が絶滅する運命をたどったのだと主張することになる。そのような状況に至った経緯をさまざまに想像するのはたやすいが、本論文において詳しく検証するように、いかなる仮定的状況についても、言語学的あるいは非言語学的側面から立証することは難しい。日本の先史について言えば、関連する言語以外の情報がかなり豊富に存在するので、言語の発達経緯の研究過程で、そのような情報を、言語学的仮説の範疇を特定したり修正したりしてゆくために大いに利用すべきである。

 

  日本語とトランスユーラシア諸語(Transeurasian)の系統関係は、歴史(比較)言語学において現在最も大きな争点の一つとなっている。「トランスユーラシア諸語」という用語は、多くの言語学的特徴を共有し隣接する地域で話されている非常にたくさんの言語で構成される一大言語グループを指すのに用いられ、最大で、ジャポニック諸語、コリアニック諸語、ツングース諸語、モンゴル諸語、チュルク諸語の五つの言語グループを含む。これらの言語が果たしてすべて同じ系統に属しているかどうかが争点となるわけだが、系統関係が確立できないと考える側からは、主に次のような理由があげられている。1)これらの言語に共通してみられる拘束形態素が少ない。2)これらの言語にみられる類似性は借用に起因すると考えられる。本発表では、伝統的比較方法を用いて、この二点について検討する。
  朝鮮語(韓国語)やその他のトランスユーラシア諸語と日本語との間に系統関係があるかどうかについての論争は、詰まるところ、日本語とこれらの言語の間に共通してみられる語や形態素が言語接触による結果生じたものなのか、それとも共通祖語から継承されたものの名残りなのか、という点に集約される。議論の性質上、ジャポニックとコリアニック、あるいはチュルクとモンゴルといった隣接する二つの言語グループの比較をしても混乱を招くのみである。隣接する地域で話される言語間では通常接触の頻度が高いので、借用の結果共通してみられるようになった要素が、共通祖語から継承された同源語であると解釈されたり、逆に同源語が借用語彙であると判断されたりするためである。したがって、最初から接触頻度が低い複数の言語を含んだ形で比較再建をすすめることは、トランスユーラシア諸語をめぐる長年の論争の解決への最善策を提供するだけでなく、日本語と朝鮮語の関係の本質をも明らかにするものと考えられる。
  日本語と朝鮮語の関係について言えば、これらの言語が系統を同じくすると考えたMartin(1966)と Whitman(1985)による日朝祖語の再建に対し、Vovin(2010)は太古の時代に朝鮮語から日本語に借用されたものであると反論した。これに対しUnger(2009)は、Martin と Whitmanにおいて再建された語彙ひとつひとつの意味的側面を比較検討し、これらを借用の結果であると考えるのは適切でないとして同系論を支持している。本発表ではこれに続き、日本語、朝鮮語、ツングース語、モンゴル語、そしてチュルク語に共通してみられる動詞の形態素を比較し、これらが借用関係によっては説明され得るものではないことを示す。

References
Martin, S. E. 1966. Lexical evidence relating Korean to Japanese. Language 42(2):185-251.
Unger, J. M. 2009. The role of contact in the origins of the Japanese and Korean languages. Honolulu: University of
Hawai‘i Press.
Vovin, A. 2010. Koreo-Japonica: A Re-evaluation of a common genetic origin. Honolulu: University of Hawai‘i Press and
Center for Korean Studies, University of Hawai‘i.
Whitman, J. B. 1985. The phonological basis for the comparison of Japanese and Korean. Ph.D. dissertation, Harvard
University.

 

  本発表では、日本−琉球語族および朝鮮語(韓国語)の内的再建の現状について報告する。
  まず最初に、日本−琉球祖語 (PJ-R)と朝鮮祖語(PK)の内的再建の結果により、両祖語とも、子音には調音法による区別はなく、また母音体系については、前提とする仮説により異なるが、6つから8つの音素を含むなど、非常に類似した音韻体系をもっていたことが判明していることを示す。
  次に、Martin(1966) とWhitman(1985)により提唱され、Vovin (2010)により再考された語彙の比較再建を基に、日本−琉球祖語と朝鮮祖語の間にみられる、少数ではあるが信頼性の高い何組かの同根語を提示する。これにはスワデシュ・リストの100語の中のおよそ15項目が含まれており、数としては、Martin や Whitman によって最初に提示された項目数より少ないが、Vovin が認めるものよりも若干多くなっている。また、語幹接辞の *-i (不定詞/副動詞)、*-a (不定詞/非現実相)、*-or (連体/非過去)、*-ko (動名詞) などのように屈折形態素における同根語が存在することを示す。
  さらに、日本語および朝鮮語それぞれの方言等に今日みられるアクセント(声調)の体系について、朝鮮語においては祖語に存在した有声・無声の対立の消失、日本語においては、有声・無声の対立の消失に加え、音節末子音の消失という言語変化の経緯が反映されているという説明を試みる。
  朝鮮語と日本語に系統関係を認める立場に立つ場合、両言語間にみられる同源語が少ないのは分岐後の時間が長いからだとする考え方がみられる。しかし本発表では、両言語間にみられる同源語が少ないのは言語接触の結果入れ替わった語彙が多いからである、という日本の多くの研究者に支持されている考え方が、同源語の比較的基本的な性質や多くの文法的事項が共通することから支持できるということを示す。この考えに基づくと、日本語と朝鮮語の共有する部分は基層、すなわち、共通祖語から受け継がれたものである。一方、上層、すなわち、接触の結果、基層となる言語の上からかぶったのが何であるかを突き止めるのは現在の知識では難しいが、オーストロ・タイ諸語(Ostapirat 2005)が有力な候補と考えられる。

References
Martin, S. E. 1966. Lexical evidence relating Korean to Japanese. Language 42(2):185-251.
Ostapirat, W. 2005. Kra-Dai and Austronesian: Notes on phonological correspondences and vocabulary distribution.
In The peopling of East Asia: Putting together archaeology, linguistics and genetics, ed. by L. Sagart, R. Blench and
A. Sanchez-Mazas, 107-131. London: Routledge Curzon.
Whitman, J. B. 1985. The phonological basis for the comparison of Japanese and Korean. Ph.D. dissertation, Harvard
University.
Vovin, A. 2010. Koreo-Japonica: A re-evaluation of a common genetic origin. Honolulu: University of Hawai‘i Press and
Center for Korean Studies, University of Hawai‘i.

 

  日本語の系統関係についてはよく、どの言語との関係をとっても説得力のある論証はなされていない、と言われる。しかしこのような見解は、ときに日本語の方言として扱われるほど言語的に近い関係にある琉球諸語や八丈島の言語の存在を考慮に入れていない。ジャポニック語族(Japonic)には日本語と並んでこういった琉球諸語や八丈島の言語が含まれる、という認識をもって日本語の系統関係を見直すことは、その他の言語との系統関係そのものについての問題解決には結びつかなくとも、そこにつながる新しい見方を拓くことにはなる。
  これまでは琉球諸語が上代日本語から発達したと考えられており、琉球諸語にみられる独自の特徴は、分岐後に大きく変化した側面があるからだと説明されてきた。また、琉球列島への人の定住がそれほど古くないことを示唆する根拠が存在しており、このような考え方を支持するように思われてきた。しかし、日本語と琉球諸語を比較分析すると、それぞれが相手にはみられない独自の変化を経て発達しており、ジャポニック語族の中で別々の下位グループを形成することがわかる。さらに、琉球諸語には、日本語との分岐が8世紀より以前であると想定しなければ説明できない多くの語彙的、音韻的、文法的特徴がみられる。
  琉球諸語が、上代日本語から分岐したのではなく、琉球諸語と上代日本語がともに共通祖先から直接分岐し発達したのだと考えれば、日本語の歴史言語学的研究において、琉球諸語の分析は上代日本語に劣ることなく重要なものであるということになる。しかし、これまでの日本語の歴史研究のほとんどが、上代日本語に基づく文献学的研究や内的再建に依存しており、琉球諸語に関する膨大なデータにはまだ手がつけられていないというのが実情である。したがって、日本語の歴史研究をさらに進めるための第一歩として、琉球諸語や八丈島の言語を含めたこの語族に属するすべての言語に関するデータを比較分析することが、ジャポニック祖語の正確な比較再建に必要である。
  本発表では実際、日本語と琉球語の徹底した比較研究により、ジャポニック祖語として再建された音韻的、形態的、語彙的要素に修正を加える必要が生じており、ひいてはジャポニック語族と他の言語との系統関係を検証する上でもこのような研究が非常に重要であることを示す。

 
 
 
 
 
国立民族学博物館