国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

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2012年3月18日(日)
《機関研究成果公開》シンポジウム「記憶・歴史・表象―博物館は悲惨な記憶をどのように展示するか」

  • 日時:2012年3月18日(日) 10:00~17:00
  • 場所:国立民族学博物館 第4セミナー室
  • チラシダウンロード[PDF:8.4MB]

趣旨

2度の世界大戦をはじめ、多くの戦争があいついだ20世紀。そして、テロリズムによって幕を開け、戦争や内戦、地震や津波をはじめとする自然災害、公害、大事故などの多くの悲惨が生じている21世紀。私たちの生きる時代は多くのカタストロフに満ちている。

これらの出来事や事件は、多くの人命を奪い、生活の基本にあるモノを喪失させたことにより、人びとの意識に消すことのできない記憶を刻みつけた。その一方で、それらの悲劇的な出来事は、それを伝える記録や媒体を喪失させたことにより、それをどのように語り、表象するかに多くの困難をもたらしている。こうした事実は、歴史学者や人類学者に対して大きな困難をもたらしているだけでなく、とりわけ過去と人びとの生きる現実を再現=表象することを使命とする博物館にとって、きわめて大きな課題を突き付けてきた。

本シンポジウムはこのような前提のもとに実施するものであるが、導入のために、いくつかの視点を提示したい。

  1. 戦争や内戦、虐殺は、その出来事としての強度により、人びとの記憶を変形させるのみならず、多くの場合、その記憶の根拠となりうる資料やモノを喪失させる。そのとき、私たちは過去をどのように表象し展示したらよいのか。とりわけ、戦争や公害、闘争のように、対立する意見が存在すると同時に、人びとの集団的アイデンティティに深く関与する出来事の場合には、解釈をめぐっての軋轢が生じがちである。その場合に、私たちはどのようにしてみずからの解釈を正当化できるのか。とりわけ、公共性を要求される博物館は、どのようにして自己の製作する語り=展示が正当であると主張できるのか。それにどのような根拠を与えることが可能であり、どのような議論の組み立てが必要なのか。
  2. 多くの人命や財産の破壊をもたらすカタストロフィックな出来事は、それを経験した人びとの心にしばしば大きな傷跡を残している。そのとき、かれら一人ひとりの心に寄り添った語りや展示はどのようにして可能になるのか。博物館等の公共施設は、しばしば一般的な物語(未来への提言や過去に対する贖罪など)に訴えるが、その物語は対象となる人びとの心の傷に対する対価たりうるのか。また、博物館等で集団化される語りは、個々の人びとの記憶を破壊させないための工夫が必要なはずであるが、それはどのようにして可能なのか。それを避けるためには、どのような物語の構築が可能なのか。

このような観点から、国立民族学博物館においてシンポジウムを実施したい。

プログラム

司会:川口幸也(国立民族学博物館)

10:00~10:10 趣旨説明 竹沢尚一郎(国立民族学博物館)
10:10~11:00 発表 西芳実(京都大学)
「繋ぐ場としての博物館――2004年スマトラ沖地震津波被災地・アチェの事例から」
11:00~11:50 発表 竹沢尚一郎
「東日本大震災の記憶を博物館は展示できるか」
11:50~13:00 昼食  
13:00~13:50 発表 平井京之介(国立民族学博物館)
「公害事件の記憶を伝える――水俣の二つの博物館」
13:50~14:40 発表 原山浩介(国立歴史民俗博物館)
「戦争被害の展示表象――語るべきことと語ることの社会性」
14:40~15:00 休憩  
15:00~15:30 コメント 佐々木健(大槌町役場)
関雄二(国立民族学博物館)
15:30~17:00 総合討論