国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

立川武蔵教授・熊倉功夫教授・田邉繁治教授 退職記念講演会

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2004年2月18日開催

熊倉功夫 退職記念講演会

経歴ご紹介 大森康宏

講演風景 熊倉さんのご紹介をさせていただきます。熊倉先生は昭和40年に東京教育大学文学部史学科をご卒業されました。その後、京大の人文科学研究所の助手になられ、その間に、教育大学で文学博士号を授与されました。そして、筑波大学の歴史人類学の助教授に就任されました。平成4年に国立民族学博物館にお移りになったんですけれども、その間、多くの研究をなされました。先生は、一つの日本の文化の独特な位置をしめている茶道、ある意味で一見閉鎖的に思えるようなことを、世界的に広げるというところで大変な貢献をなさいました。

先生は、二つの視点から日本文化史に取り組んできたと思います。

一つは先ほど館長から紹介がありましたように、喫茶文化を軸とするものでありまして、茶道というのはある種アートな世界というようなところにかかわりますけれども、文化の面でももちろん、崇高なものとして行われる可能性が多いと考えられがちなんですが、もっと民俗学的な背景から、ある意味で人類共通の普遍の文化を持っているものだというような点から、ご研究をなされたわけです。民族学から見た近代茶道史を築いたのは、先生の大きな奉献によるものです。かつ日本文化の底には基層となるような、そういう茶道というものの中に込められたものを見定めていった。実はこれが、国立民族学博物館にお勤めになる前から、海外とのいろいろな研究をしていくうえで、大きなステップの原動力になっているんではないかと、私は思います。

二つ目は、16世紀から17世紀への日本の文化に関する総合的な研究であります。これも従来、ともすれば等閑視されがちな部分でありましたところの、寛永文化の研究といったようなこと、これを明らかにした功績が非常に大きいかと思われます。

この二つの文化的なものを開花される、いわゆる研究の発展性というものは、国立民族学博物館時代に、大いに発展されたものというふうに思います。特に、平成4年、民博にお移りになりましてから、シーボルトのコレクションなどに関する調査研究といったものを、特別展「シーボルト父子のみた日本」ということを通じまして、広く一般の人たちに、日本独自のものだけではなく、世界的に共通するものがあるということを示した一端だと思います。

その後、平成15年に、ヨーロッパ日本コレクションの物質文化を通じて、日本文化がどのように広がっていったかということを、研究なさっていったわけです。その一端として、シーボルト家のコレクションの研究、及び在欧米日本生活文化資料の調査研究が行われたと思います。

私、1970年の初めだと思いますが、海洋博のことにかかわりまして、ライデンの博物館に行ったことがあります。その時に、ボッス先生という偉い先生がいらしたんですが、その方に収蔵庫を見せていただいたことがあります。その時に、驚くなかれ、日本に関する、シーボルトのコレクションが山積みにされておりました。大変に塵にまみれてどうしようもないという、誰が一体、これはやるんだろうかという話を聞いたのを記憶しております。

まさに、熊倉先生はそういう点にかかわって、世界に散らばっている日本関係のコレクションをまとめあげるという、お仕事の一端をなされたわけであります。この意味においても、非常に世界的に花開いていくという、日本の文化というものを、単に日本国内だけの崇高なアートの世界から脱して、それを世界共通の普遍のものとしてどう考えていくかという点、まさに熊倉先生の大変に素晴らしい緻密な研究における、一つの発展の方向かと思われます。こうした研究が今後は、多くの話題をひろって、さらに発展されていくのを期待したいと思います。

先生は研究以外にもいろいろ委員会をやっておりました。図書委員、国外調査委員、または博物館運営委員もいたしました。館外の活躍としましても、民族藝術学会の理事をはじめ、茶の湯文化学会理事もなさいましたし、またほかの博物館、逸翁美術館の評議員とか畠山記念館の評議員、湯木美術館、林原美術館の理事などもされております。幅広く館内外、また国内外を含めまして活躍されておりますので、今後ともご活躍を期待したいと思います。

春からは林原美術館の館長として大いにご活躍されることと期待いたします。