国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

シンポジウム「ユーラシアにおける遊牧民の歴史的役割」

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  • 2005年3月18日(金)
  • 国立民族学博物館 講堂
 

ご紹介 小長谷有紀

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国立民族学博物館の小長谷です。本日は年度末のお忙しい中、多数お集まりくださいましてありがとうございます。これから「ユーラシアにおける遊牧民の歴史的役割」というタイトルでシンポジウムを始めさせていただきます。
民博はその名のとおり博物館ではございますけれども、その名のもとに約70人の研究者がおります。その中で松原正毅先生は、トルコからモンゴル高原まで幅広く歩いてこられて、ユーラシアの遊牧民の研究に長い間たずさわってこられました。この3月をもちまして定年退職なさいます。それを機に、先生の下で学んだ者たち、あるいは一緒に仕事をした研究者たちが集まりまして、こういうシンポジウムを開くこととあいなりました。
ユーラシアにおける遊牧民の歴史的な役割は大きいにもかかわらず、これまであまりスポットが当たってこなかったので、短い時間ではございますが、多角的にとらえてみたいと考えております。
簡単にプログラムを用意させていただいております。お手元にある1ページ目がプログラムになっております。今から始めて、たった1度の休憩を挟んで5時までです。ぜひ最後までおつき合いくださいませ。

最初に、松原先生の基調講演から始めます。松原先生のプロフィールにつきましては、お手元の資料の2ページ目に簡単に用意しましたのでご覧くださいませ。
それでは、松原先生、よろしくお願いします。
(拍手)

基調講演「ユーラシアにおける遊牧民の歴史的役割」 松原正毅

ご紹介いただきました松原です。本日は、「ユーラシアにおける遊牧民の歴史的役割」というテーマで、冒頭にお話しをさせていただきます。

『ユーラシア草原からのメッセージ』平凡社 2005 より

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1979年から80年にかけて、トルコ系の遊牧民ユルックの調査を1年余りにわたって行ったのが、私自身の遊牧民にかかわる調査としては初めてのものだったんです。ただ、それ以前に、1966年、大学院の修士の学生のころでしたけれども、アフガニスタンで考古学的な発掘調査をした後に、1人でアムダリア川流域を馬で歩いて、そのとき、トルコ系のウズベックの人とかトゥルクメンの人と出会うことができました。その後、1980年代はチベットとか内モンゴルの地域、さらに90年代に入りましてアルタイ山脈、天山山脈、それからシベリア、モンゴル、それから旧ソ連邦の中央アジアの諸地域でフィールドワークを行ってきました。

このフィールドワークを通じて痛感したことの1つは、きょうのテーマになってることになるわけです。遊牧という生活様式を持つ人たちが果たした歴史的役割というものが、今まであまりにも低い評価と申しますか、あまりにも一方的な評価、例えば暴力集団であるとか、世界の文明を破壊していっただけだとか、そういった、かなり一面的なとらえ方だけしかされていないのではないかと、私自身、遊牧の人々といろいろと話をする中で、そういうことを実感してきたわけです。

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遊牧という人類の生活様式の1つですけれども、そこのメモに書いておきましたけれども、群居性(群れをなす習性)を持っている有蹄類を「群れとして管理して」と、ここが重要だと思います。1頭1頭飼うということじゃなくて、群れとして管理して、そこから産出する毛・皮・乳・肉を基盤に、移動性に富んだ暮らしをおくる生活の仕方、生活様式であると思います。

遊牧の起源は、もちろん明確な根拠をあげることは非常にむずかしいんですけれども、今まで考えられているよりも古いと申しますか、非常に早くから遊牧という生活の仕方が成立したのではないかと、最近、考え始めております。

遊牧の起源を考えるにあたりましては、現在、地球上にわれわれを含めた六十数億の人々が暮らしておりますけれども、この現世人類の出現と歴史を把握しておく必要があると思っています。現世人類の出現についても、いろいろな説があります。その中でも非常に説得性があると思われる説として、現在、ユーラシア全体、世界全体に広がっていった現世人類の祖先は、十数万年から20万年ころに、東アフリカを中心とした地域に出現した集団から出てきたという説が出ています。これは非常に説得的な説だと、私自身は思います。

この集団が東アフリカを中心とした地域に出現した後、10万年近くの時間を経てユーラシアへ広がり始めた。まず、アフリカ大陸を北上して中東地域に突き当たる。それがユーラシアの東西に分かれていったと考えられています。この5万年前ぐらいの現世人類の状況というものが、その後の人類の展開、特に文明の展開、文化の形成ということに非常に重要な時期であったと思います。

ちょうど5万年から4万年前ぐらいの東アフリカのいくつかの遺跡から、ダチョウの卵殻からつくった、直径5、6ミリほどの精巧に加工されたビーズ玉が出現し始めます。有名な遺跡としては、ケニアの中央部のエンカブネ・ヤ・モトという洞窟遺跡がありますけれども、このビーズ玉が大量に出てきています。そしてこれは明らかにシンボル操作能力をその背景に持っているということが推測できるわけです。

ビーズ玉の製作や使用にあたって、装飾観念を含めた美意識の機能が当然ある。そしてこの美意識というものは、社会的に共有されなかったら意味がないわけですけれども、発掘の状況などを見ると、かなり広範な地域に共有されていることがわかりました。このビーズ玉は、社会的なコミュニケーションということとつながって製作され、使用されたものだと思います。

こうした高度なシンボル操作能力の機能がどうして出現してきたのかということが、大きな問題になると思います。最も可能性が高いものは、言語運用能力であっただろうと思います。この言語運用能力によって、シンボル操作能力の機能が飛躍的に高まってきたのではないかと考えられるからです。

もちろん人類における言語の起源については、不明な部分が非常に多いわけで、明確な根拠を見つけることは不可能に近いところがあります。現在申し上げてるのは、さまざまな状況を勘案して組み立てている1つの仮説にしかすぎません。ただ、この言語運用能力を基盤に考えないと、その後の爆発的な展開は考えにくいのではないかと思っております。

5万年前ごろから人類の言語運用能力が機能をし始めると、個人個人の認識の伝達が、1対1対応ではなくて、かなり広い範囲に効率的に共有されるという現象が出てくると思います。これをあらわしている1つの事象としては、例えば旧石器時代末期にヨーロッパの各地に現れる動物壁画ですね。非常に精密な描写を持った動物壁画の出現。そしてこの動物壁画の際立った特徴は、描かれる対象が圧倒的に動物が多いということです。植物は動物壁画の中にはほとんど描かれておりません。この事実は、当時の人々の関心が、多大に動物に注がれていたことを意味しているのだという解釈が可能かと思います。

5万年から2万年前ぐらいの期間、人類史の中ではある意味で大狩猟時代だったと言えるかと思います。この間に投げ槍とか弓矢が発明されます。ここでも人類と狩猟対象となっている動物との強い結びつきが裏書きしているわけです。こうした人類と動物との強い結びつきを背景にしながら、遊牧という生活様式が生まれた可能性が高いと考えております。ある意味で、遊牧の成立というのは、人類による、長い時間をかけた動物の生態観察と言ってよいかと思います。

遊牧は、本来的に移動する有蹄類の動物群を追尾したところに起源していると思います。この説は、今西先生、梅棹先生たちが、すでに早くから唱えていることです。この狩猟対象として追尾する経験を積み重ねる中で、群れごと管理する道を見いだしていったのだと推測されます。

この群れの追尾から群れ管理に向かう過程の中で、先ほどから申し上げているように、言語運用能力が非常に重要な役割を果たしたと考えられます。さまざまな経験を言語化することによって、時間を超えた知識の蓄積と対応策の発見が初めて可能になってくるからです。言語運用能力によって、知識の集約の速度と効率が飛躍的に高まっていきました。

遊牧の成立にあたって最小限必要であった技術は、搾乳の技術と、去勢--雄から雄の機能をなくしてしまう技術であったと考えております。搾乳は、食糧の確保に必要な技術で、去勢は、動物を群れとして管理するために有効な技術であったと思います。この2つの技術の獲得によって、動物群を群れとして管理して、動物からもたらされる乳・肉・皮・毛などを基盤に生活を営むことが可能になったわけです。

そしてこの搾乳とか去勢という技術は、非常に簡素な道具で十分に対応できるということです。土製や木製の容器はまったく必要ではないわけです。例えば皮製品、皮の容器さえあれば、搾乳に十分対応できます。そして去勢という技術にしても、特別な道具がいるわけではありません。歯とか手とか小刀、石などを使って去勢をするやり方が、現在でも広くユーラシアの各地に見られます。

ですから、初期農耕に必要な技術と比較しても、遊牧において必要な技術は非常に簡素なものだったと思います。こうした使用する道具の簡素さから見れば、遊牧という生活の仕方が、農耕に先行して成立した可能性も高いと考えられます。

現在、ユーラシアの遊牧社会の中で家畜化された主要な動物としては、羊、ヤギ、牛、馬、ラクダ、ヤク、トナカイなどがあります。すべて有蹄類に属しているわけです。ちなみに羊、ヤギ、牛、馬、ラクダという5つの家畜化された動物は、トルコ語でもモンゴル語でも「マル」と総称されております。この五畜がユーラシアにおける遊牧の基幹家畜と言ってよいかと思います。

ヤクは 4,000メートルを越えるチベット高原、トナカイは極北を中心とした高緯度地域をそれぞれ原産地としていたわけです。ヤクとトナカイの家畜化は、五畜を中心としたユーラシアの遊牧の影響を受けて成立したことは確実です。ヤクにしてもトナカイにしても、現在でも野性種が多数見られます。そして野性種との間の自由の交配が可能です。それは家畜化の歴史が新しいということを意味しているわけです。

遊牧の歴史から考えますと、ユーラシアの、特に中央部を走る乾燥地域が、遊牧の第1次地域と申しますか、遊牧という生活の仕方が成立した地域だと言えます。チベットや北極を中心とした高緯度地域の遊牧は、いわば第2次地域のものと言えるかと思います。第1次地域の影響を受けて、ヤクやトナカイの家畜化ということが起こったからです。

アフリカは遊牧の第3次地域と呼ぶことができるかと思います。アフリカにおいては、ユーラシアの遊牧の影響を受けたことは確実なわけですけれども、新しい動物の家畜化という展開はついに起こりませんでした。アフリカでは五畜をすべて飼うという遊牧の形態はほとんど見られません。

このユーラシアにおける遊牧の生活と随伴した五畜は、すべて同じ時期に家畜化されたわけではありません。おそらく羊とヤギがまず最初に家畜化され、遊牧の対象になったと考えられます。羊とヤギの直接的な祖先にあたる野性種は、ほとんど現存していないからです。家畜化の歴史が古いと言えると思います。羊、ヤギの考古学的な発掘によって発見されている化石は、中東を中心とした地域に非常に古い時代から見られます。例えば現在、戦争状態にあるイラク北東部のシャイナール遺跡などでは、紀元前 9,000年前後の層から羊の骨が出土してます。ヤギの骨は、レバノン地方のイエリコ遺跡などで紀元前8000年ごろの出土例が見られます。

こうした西アジアの初期農遺跡から見られる化石の出土例があるからといって、農耕を営む人が遊牧を行ったわけではないと、私は考えております。すでに成立していた遊牧の人々と、さまざまな形で経済的な補完をしあうという形もあり得たでしょうから、遊牧の人々から入手した可能性が強いと思ってます。

羊とヤギの家畜種の祖先にあたる野性種は、小アジア、アナトリアからイラン南部の山岳地帯にかけて重なりあって分布していたと考えられております。ですから、羊とヤギを基盤にした遊牧が西アジアを中心とした地域で起源した可能性は高いと思われます。この羊とヤギの家畜化の経験の上で、いわゆる大型家畜--牛、馬、ラクダという順に家畜化が進んだと考えることができます。

大型動物の家畜化によって遊牧に何がもたらされたかと申しますと、現在の遊牧の人々が使っている、ゲルとかチャドルとかのテントに代表される移動用住居の整備と移動が、大型動物の家畜化によって可能になった。さらに騎乗技術、特に馬に乗る騎乗技術が確立することによって、活動範囲が飛躍的に広がったことは確実です。さらに馬上から弓矢を射る技術が加わることによって、起動的な攻撃力が増大した。この時点から遊牧民側の攻撃能力が倍加していった。これがユーラシアにおける歴史変動を活発化させていったと考えております。

遊牧民が果たした歴史的役割の一番大きな部分は、ユーラシアにおける歴史変動を推進していったこと。さまざまな意味で変動をしていく原動力になった。ここが一番大きいのではないかと思っております。

言語運用能力を獲得した人類は、当然遊牧だけでなく、農耕に基盤を置いた生活様式を確立します。この農耕と遊牧という生活様式は、非常に異質性をはらんでおります。農耕と遊牧の異質性は、生活の原理と生産の原理をめぐって明らかになると思います。

例えば生活の原理から見ますと、農耕は定住性を原理にしております。遊牧は移動性を原理原則としております。生産の原理から見ますと、農耕は自然への加工ということを大前提としております。森林を切り開き、そして畑を耕さなければ農耕は成立しません。ですから、一部の研究者によれば、農耕は人類の原罪であるという表現さえ見られます。これに対して、遊牧は自然への加工ということはほとんど行いません。こういう原理の違いというもの、異質性というものをめぐってまず歴史変動が起こった。そして展開を始めたというふうに、大きな道筋として考えられると思います。

両者の異質性をめぐる総合的な交渉が、対立的なものも含めますし、補完的なものも含みますけれども、こういう総合的な交渉が歴史変動を促す契機をつくっていったと思います。場合によっては、戦争という対立的な側面もあったわけです。

こういう総合的な交渉が社会変遷の複雑化を激しく押し進めていったと思います。王権を含む統治組織とか軍事組織、経済的な収奪システムなどを含めた社会変遷の複雑化というものが展開していきます。

こうした歴史変動の内実というものは、3つの概念にまとめられるかと思います。1つは抽象化、1つは複雑化、そして1つは規模の巨大化ということになるかと思います。

この抽象化、複雑化、巨大化という現象は、さまざまな面で見られるわけですけれども、現在、巨大化の1つの事例として人口の増加。数十年後には90億前後になるという予測も出されておりますけれども、こうした巨大化、グローバル化といってるものの1つに含まれると思います。現在、人類はさまざまな問題に直面しているわけです。国家や伝統的な共同体の枠組みを超えた現象が、いろんなところで噴出してきていると思います。21世紀におけるさまざまな問題の解決の道を考えていくときに、遊牧という生活様式、生活の仕方が持っていた内実というものをもう1度考え直し、再解釈をして、そしてこの問題を考えていく上の材料にしていく必要があるのではないかと思っております。

遊牧の未来ということを考えてみますと、現在、どの地域においても遊牧という生活様式そのものが成立しなくなっております。非常に大きい問題は、土地をすべて個人所有にしていくという流れです。地球上に国境を含めたあらゆる線引きをして囲い込んでいく。私的私有権の肥大化と言ってもいいかと思いますけれども、これが猛烈な勢いで進んでいるわけです。これは遊牧という生活を営む上には一番障害になるものだと思います。逆に遊牧の持っている意味、個人的な土地の所有を放棄した考え方というものが、これからの世界の中で重要な意味を持つ、そういう両面的な部分があるだろうと思います。

遊牧社会の中には、非常に注目すべき原理がいくつかあります。例えば社会編成の柔軟性。非常に柔軟な編成が、さまざまな時期に合わせて行われております。そしてもう1つは、今申し上げた土地の公的な利用。さらにもう1つつけ加えるとすれば、身軽な移動性ということ。こういう要素に、21世紀の社会の中で人類が直面している問題の解決のヒントとすべきところがあるのではないかと思っています。 。

遊牧の未来は決して明るいものとは考えられないわけですけれども、遊牧の明るい未来を考えるためには、ユーラシア全体、ひいては世界全体の再編成ということを視野に入れなければならないだろうと思っています。現在、EU(欧州連合)に代表されるような、いわゆる巨大な規模の地域共同体の形成と、その試みがさまざまな地域で行われています。

EUが拡大して25カ国体制になってきました。そしてソ連邦が崩壊した後、中央アジアを中心として、いろいろな形の地域共同体の形成の試みが同時並行で行われ始めております。トルコ、イラン、パキスタンを中心とした経済協力機構とか、黒海を中心とした黒海経済協力圏、それからカスピ海の経済協力圏、さらに最近では社会協力機構という、ロシア、中国が加わった巨大な協力機構が成立して、さらなる展開を探っています。その中の1つとして、ASEANを含めた東アジア共同体の構想もあります。

将来、こうした地域共同体のさまざまな試みは、いろいろな形で展開していくだろうと思います。そして逆にそういう地域共同体の形成、それも安定した地域共同体の形成ということがうまく進まなければ、ユーラシアの安定と申しますか、ユーラシアの平和構築というものが非常にむずかしくなっていくということだと思います。この地域共同体がうまく形成されれば、例えば国境線がゆるやかになる。さらには消滅する可能性もあり得る。こういう理想的な地域共同体が形成された場合、遊牧の未来も明るいのではないかと思っております。

ただ、EUを含めた地域共同体の進行、展開というものは、まだまだたくさんの難関を越えていかなければならないだろうと思います。例えばEUをめぐって、現在、トルコの加盟を認めるかどうかという議論が非常に激しくなっております。昨年の12月にようやくトルコとEUとの間で加盟交渉を始めるということが決定しました。ただ、これは10年間かけて加盟交渉をしていくわけです。そして10年後、もしEUの側からトルコの加盟を認めたとすれば、フランスではその加入の是非について国民投票にかけるという意見が多く出ておりますし、ドイツでもそれにならうという意見が出ております。ですから、10年後、仮にトルコがEUに加盟を認められたとしても、フランスやドイツの国民投票によって否決されるという事態があり得るわけです。

この背景には、さまざまな歴史的な問題が横たわっています。当然宗教の問題も横たわっております。拡大EU憲章の中に、キリスト教国家連合であることを明記しようという動きがかなり強くなります。それは明らかに、イスラム教徒の多いトルコなどの国を排除しようというためのものなのです。ですけれども、ユーラシア全体、特にユーラシア西部の安定性を確保していくためには、私自身は、EUをさらに拡大して、地中海連合(MU)に持っていくべきだろうと思います。地中海連合が形成されることによって、キリスト教やイスラム教やユダヤ教などの宗教の違いを超えた共存の道を探すことが初めて可能になってくるからです。

これはいわば世界のどの地域でも起こっている問題なわけですけれども、非常に大きな共通性と、それから小さな異なり。1つを「大同」と申し、1つは「小異」と申しますが、その小異の一番よい事例が、われわれが研究の対象にしている文化なわけです。これはどこまでも異なりを見つけていこうとするシステムだと思います。

この大同と小異というものが共存できる体制、例えば人類という1つの種、現在でも人種という考えが根強くあるわけですけれども、現世人類の間で人種の違いなどはまったくないわけです。そうした人類の種としてのまとまり、これも大同というものの1つの現れだと思いますけれども、それを共有する。認識する。その上でといいますか、同時的に文化が異なるという小異も受け入れる。いわば寛容性ということにつながっていく問題だと思いますけれども、この大同小異が共存し、寛容性が働く社会システムが今後の世界の中で一番重要な問題で、そして実際にこれを構築していかなければならない問題になっていくのだろうと思います。そこに向かって、遊牧の中でつちかわれたさまざまな知恵、先ほど申し上げました社会編成の柔軟性とか、土地の公的な利用とか、そして身軽な移動性という生活の仕方、そして考え方というものが意味を持ってくるのではないかと考えております。

私がきょう申し上げた遊牧をめぐる研究は、もちろん私個人の研究の一端にしかすぎないのですけれども、これはいろんな意味で、現在までユーラシアの中で書かれてきた歴史記録の中からはほとんど排除されていた。かなり一方的な歴史記録しか残らなかったという現実があるわけですけれども、これからさまざまな意味において、遊牧という生活様式の視点から見た歴史構築、そして解釈というものを試み、それを広げていく必要があるのではないかと思っております。私自身もその方向に沿った研究を、さらに続けていくつもりをいたしております。

どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)

(小長谷)ありがとうございました。私、講演が始まる前には、先生のご紹介について、歩かれた空間的な広さだけに言及いたしましたけれども、お話を伺って、皆様もお感じだと思いますけれども、考えていらっしゃることの時間的な長さもまた非常に広大であることにお気づきかと思います。それは、もともと松原先生が考古学のご出身であることと無関係ではないでしょう。

ただいま松原先生が言及されたことを、これからより詳細に、さまざまな研究者からご報告をいただくことになります。

つづいて以下の5人の研究者による報告がありました。発表内容の詳細は省略します。
林俊雄(創価大学教授)「古今東西の石人総まとめ」
宇野伸浩(広島修道大学教授)「モンゴル帝国の歴史人類学」
梅村坦(中央大学教授)「ユルドゥズ草原の牧民集団と春営地」
濱田正美(神戸大学教授)「オアシス都市との関係からの検討」
楊 海英(静岡大学助教授)「遊牧民の歴史的役割を見直しはじめた中国」

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その後、休憩をはさんで、モンゴル国からモンゴル文化基金事務局長で元みんぱく客員教官であるルハグバスレン氏と現在の客員教官であるボラグ氏(ニューヨーク市立大学)からコメントをいただき、若干の討論をおこないました。そして最後に、駐日モンゴル国特命全権大使のバトジャルガル氏からも総合コメントをいただき、シンポジウムを終了しました。

 

松原正毅先生のプロフィール

1942年広島生まれ。京都大学文学部史学科で考古学を学び、引き続き京都大学大学院文学研究科へ進学して1970年3月単位取得の後に退学した。1971年10月より京都大学人文科学研究所の助手をつとめ、1975年10月より国立民族学博物館助教授に就任し、1991年4月に教授に昇任して以来、現在に至っている。
国立民族学博物館着任後は、1994年4月から2002年3月まで地域研究企画交流センターのセンター長を併任し、地域研究の推進に尽力した。この間、トルコからモンゴルまでユーラシアを広くみずからの足で歩き、実地調査をおこなった。その成果は、学術論文ばかりでなく一般書としても数多く刊行されており、読みやすい形で人びとのもとに届いている。主な著作物として以下のような書籍がある。こうした一連の著作活動全体に対して、1994年には大同生命地域研究奨励賞を受けた。

単著
  • 2002『遊牧世界』(中国語)
  • 2001『風景の発見-地域研究序説』平凡社
  • 1998(1983)『遊牧の世界』中央公論社
  • 1990『遊牧民の肖像』角川選書
  • 1988『トルコの人びと-語り継ぐ歴史のなかで』日本放送出版協会
  • 1988『青蔵紀行-揚子江源流域をゆく』中央公論社
編著・共編著
  • 2005『ユーラシア草原からのメッセージ-遊牧研究の最前線』平凡社
  • 2002『世界民族問題事典』(改訂版)平凡社
  • 2002『地鳴りする世界-9・11事件をどうとらえるか』恒星出版
  • 2002『岐路に立つ世界を語る-9・11以後の危機と希望』平凡社
  • 1997『地域研究論集』第一巻第一号 平凡社
  • 1995『世界民族問題事典』平凡社
  • 1991『王権の位相』弘文堂
  • 1989『人類学とは何か-言語・儀礼・象徴・歴史』日本放送出版協会
  • 1987『遙かなる揚子江源流』日本放送出版協会
  • 1986『統治機構の文明学』中央公論社
  • 1984『牧畜民』東洋経済新報社