国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

小長谷有紀『小長谷有紀の掲示板』 ─モンゴルとグローバリゼーション─

小長谷有紀『小長谷有紀の掲示板』


「モンゴルとグローバリゼーション」
 今年、日本はモンゴル国との国交樹立30周年をむかえました。これを祝って、2月にはモンゴルの伝統的な楽器である馬頭琴をモチーフにした記念切手が発行されましたし、6月には秋篠宮ご夫妻がモンゴルをご訪問されました。おりしも成田空港からモンゴルへの直行便が開通して、モンゴルへの観光客が増えています。またモンゴルからは、毎年、閣僚クラスの方々が訪問されていますが、今年はよりいっそう多いようです。留学生も増える一方です。

 そうした相互の交流を今後どのように進めていくかという課題は、世界とりわけ北東アジアにおける日本の役割は何か、といったより大きな文脈のなかで考えなければならないと思います。そのためにはまず、相手国の事情をよく知る必要があるでしょう。

 モンゴルは民主化を果たして今年でちょうど10年になります。1992年に正式名称がモンゴル人民共和国からモンゴル国に変わりました。すでに1990年に、人民革命党だけが存在するという一党独裁制は終わり、複数の政党が認められて、また大統領選挙もおこなわれました。以来ずっと、民主化をすすめてきたグループと旧来の人民革命党はお互いにアクセルとブレーキのような関係を保ってきました。しかし現在では、国会議員の議席の圧倒的多数を人民革命党が占めており、同時にまた大統領も人民革命党から出ています。つまり、非常に強い与党がアクセルだけをふむ、という形になっています。

 このような状況に至った理由はさまざま考えられますが、基本的には、市場経済へ移行するプロセスにおいて、問題がたちふさがり、国民のあいだに大きな不公平感が生まれたからだ、と言ってよいでしょう。とりわけ遊牧民の不満が蓄積していました。

 私は文化人類学の研究という仕事がら、もっぱら遊牧民の生活を見続けてきました。遊牧民は、全人口230万人のおよそ半分です。かれらは家畜を自由に放牧することができるようになりましたが、それほど市場経済化の恩恵をこうむったとは思われません。かつては、全国どこでも牧畜組合があり、組合ごとにヒツジの群れを町まで連れてゆき、肉として売りさばく、という流通システムがありました。それがいわば納税システムでもあったわけです。しかし、経済活動が自由になると、町に近いところは自力で市場とつながることができますが、町から遠いところは置き去りになってしまいます。距離の大きさが不利にはたらいて市場経済とつながらないのです。自然災害に備えようと思っても、干し草を買う現金が手に入らない、という不自由な状態が続いていました。

 このように、市場経済とつながらない遊牧民たちが多数いて、そうしたいわば弱者たちに対して、味方であるという姿勢を示すことによって、支持を得て現在の政権が誕生した、と言ってよいでしょう。ところが、遊牧民の生活を再生するというのは難問で、いまだ解決されていません。それどころか、ますます困難に陥っているように思われます。

 というのは、モンゴル国では今年、土地の私有化法が国会で可決され、来年から実施されることになったからです。具体的な方法はまだ決まっていませんが、都市化した地域に限定せず、遊牧民の宿営地もまた個人に分割するといいます。これは、「草原の私有化の始まり」を意味します。と同時に、「私有化した場所での定着化」も意味します。遊牧よりも、「移動しない牧畜」の方が進んでいるという前提に立っていて、それゆえに遊牧民のための私有化政策だというわけです。

 しかし、実際に土地の私有化がどのような影響をおよぼすか、考察が十分おこなわれたわけではありません。そもそもモンゴル語には面積をあらわす単位がありませんでした。遊牧民にとって、土地はもともと無限大でなければならなかったのです。なぜなら、降水量があまりにも不安定なので、草ばえの良し悪しに応じていかようにも移動できるようにしておかなければならないからです。だからこそ、社会制度としても古来より土地はずっと共有でした。社会主義化する以前から共有だったのは、いわば自然環境に対して社会が適応していた結果です。何千年ものあいだ採用してこなかった制度を一瞬にして選択してしまった、その背後にはグローバル化が影響しています。

 市場経済への移行をすすめてきたこの間ずっと、世界銀行もアジア開発銀行も、モンゴルに対して土地の私有化をすすめてきました。貸したお金を回収するためには債権を設定する必要があるからです。また、市場経済化のために日本などから大勢の専門家が視察し、指導をおこないました。こうした国際的な指導は、「遊牧とは何か」といったローカルな事情をあまり考慮していません。むしろ世界中が一つのルールのもとで経済を動かすのだ、という考え方に基づいています。

 たしかに、世界は以前にも増して緻密に相互に連関しあうようになりました。ですから、生活様式の画一化は避けられないでしょう。グローバル化は避けることができないし、また避ける必要もないとも思います。ただし、具体的にどのような道を歩むかという「方法」は決して一つではないはずです。ましてや考え方が一つである必要はなく、グローバル化の押しつけは禁物です。

 私たち日本にとって、モンゴルは北東アジアの隣国といえるほど近い国です。そうした国に対して、決してグローバリズムの考え方を押し付けることなく、多様な発展の道がありうることを示す友好国であるべきではないでしょうか。

 無意識のうちにグローバル化の押しつけに加担して、土地の私有化や牧畜の定着化をすすめてしまうと、あの美しい草原は一瞬にして失われてしまいます。年間降水量の変動が大きいので、どんなに草の豊富な草原に見えても、長いあいだ一定の場所にいると雨の少ない年には簡単に根こそぎ草を無くしてしまいます。そうなると、日本のようにたっぷり雨が降らないので、もう二度と元には戻りません。その意味で、とても脆弱な環境なのです。

 私たち人類はこれまで、まず第一に経済の発展を考え、それからのちにようやく破壊された環境について考え直すという順番で、文明を築いてきました。そして、この順番そのものがもはや行き詰まっていることを知っています。一方、モンゴルは草原という自然環境を、実は遊牧することによって維持してきたところです。言い換えれば、遊牧は環境保全を可能にする経済活動なのです。環境から経済を組み立てるという順番に成功すれば、世界の最先端をゆくことになるでしょう。

 モンゴルはいま、揺れています。遊牧という伝統的な生活様式を国家の経済として生かす事例は、いまのところ世界に一つも例がありませんから、自分の進む道が見えにくくても当然です。それならば、まずは考える場を提供するという貢献がありうるのではないでしょうか。

 たとえば、モンゴルの自然に関する研究や、遊牧に関する研究の成果をもって、広くモンゴル国民に示し、定着化や市場経済化の問題点を洗い出し、ともに議論して、これまでにない別の道を一緒に探ること、あるいは考える場をもうけること、それが日本に課された大きな役割ではないか、と思います。

 モンゴルに限らず、つねに「もう一つの道を提示する日本」という姿勢を貫くことができれば、それはすばらしく成熟した外交であると私は思います。

NHK教育テレビ2002年10月11日「視点・論点」(午後10時45分~55分)に出演した際の原稿