国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

客員研究員の紹介

クリス・イクェメジさん
Kridz Ikwuemesi

紹介者:川口幸也(文化資源研究センター教授)
クリスと私 クリス・イクェメジさんのこと
一通の招待状

あれはたしか2000年の春だったと思う。西アフリカ、ナイジェリアから、突然1枚のファックスが私のもおに舞いこんできた。目を通すと、9月に「アフリカ・ヘリテージ」というビ エンナーレ(隔年で行われる美術展)を開催するから、ゲストとして来てくれないか、と書かれてあり、パンアフリカン・アーティスト協会代表クリス・イクェメジという署名が付されていた。

「アフリカ・ヘリテージ」というビエンナーレも、パンアフリカン何とかという会も、それ までに聞いたことがなく、だからファックスのことも気にとめていなかったのだが、その後いくつか偶然が重なり、同年9月、結局私はナイジェリア東部の中心都市エヌグを訪ねることになった。

現地を訪ねてみていくつかのことがわかってきた。まず、パンアフリカン・アーティスト協会というのは、エヌグ近傍のンスカという町にあるナイジェリア大学の美術学部出身の若手アーティストを主体に作られた組織であり、クリス・イクェメジは実質この組織を立ち上げた人物であった。そして彼らは、1990年代半ばから、自分たちの作品の展覧会やワークショップ、シンポジウムを積極的に開いてきており、「アフリカ・ヘリテージ」はそのなかの目玉であるらしかった。

エヌグといえば、100 万人以上の犠牲者を出したビアフラ戦争の舞台になった都市として知られている。クリスは、そのエヌグで、まさにビアフラ戦争が勃発した1967年に生まれ、ナイジェリア大学の美術学部で修士まで卒えたあと、今は母校で後進の指導にあたっている。専門は絵画、つまり画家だが、同時に美術批評 家でもあり、詩人としても活躍している。画家としては、同郷の大先輩で、ナイジェリアの独立前後から現在までナイジェリアの近代美術に大きな影響を与えつづけてきたウチェ・オケケ の直弟子にあたり、師と同じように、泥絵の一 種であるイボ人の伝統造形、ウリ絵画を強く意識した抽象的作風を持ち味としている。

しかしながら、私にとっては、クリスはなによりも、パンアフリカン・アーティスト協会を足場に、地域に根差しながらさまざまな文化活動を精力的に繰り広げる一種の啓蒙運動家である。このように書くと、いかにも脂ぎったような印象を与えかねないが、実際の彼は、物静か でいかにも思慮深さを感じさせる人物である。そのクリスが2月末に民博にやってきた。来日は今回で4度目、アイヌ文化とイボ文化の比較研究をテーマに11月末まで民博に滞在する予定だ。長期の日本滞在は初めてである。

クリスと若きアーティストたち

2000年9月のエヌグに話をもどそう。ビエンナーレというから、お祭り気分の華やかな雰囲気を思い描いていた私は、現地を訪れて肩すかしをくらう破目になる。たしかに「アフリカ・ヘリテージ」は、2年に1度の開催で、エヌグ国立美術館の展示室を会場におこなわれる 正真正銘のビエンナーレではあった。だが、展示されているのは絵や彫刻の小品ばかりが50点ほど、しかもそのほとんどは地元エヌグのア ーティストの作品で、なんとも華を欠く催しだったのである。まことに申し訳ないが、壮大なタイトルとは裏腹に、せいぜい高校か大学の文化祭、というのがそのときの私の偽りのない感想であった。

けれども、エヌグでビエンナーレを立ち上げたあと、その後約2週間にわたって、ペニンから首都のアブジャ、また北都の古都ザリア、そしてラゴスと、ほぼナイジェリア全土を、クリスをはじめとする若いアーティストたち数人とともにバスや乗合自動車を乗り継ぎながら旅をし、行く先々で地元の美術や文学の関係者も交えて朝早くから夜遅くまで語りあううちに、そうした私の感想がまったく浅薄で、間違いであることを思い知らされた。

彼らは、アフリカのアートとアーティストを 思うがままに弄ぶ欧米のアートワールドの巨大な権力に、自分たちの手作りのビエンナーレやワークショップで立ち向かおうとしていたのだ。 このときクリスはわずかに33歳、他のメンバーはおおむね彼より若い。私は、そんな若い彼らの志の高さに感動していた。そして、現に欧米のアートワールドで語られているのとは違う、別のアフリカ美術の未来の可能性を垣間見たような気がしていた。

クリス・イクェメジ Kridz Ikwuemesi
  • クリス・イクェメジ Kridz Ikwuemesi
  • 1967年エヌグ(ナイジェリア)生まれ。
  • ナイジェリア大学美術学部上級講師。
  • ナイジェリア大学美術学部、同大学院修士課程で絵画を専攻し、1994年からは母校で教鞭を執っている。
  • 画家、美術批評家、詩人として活躍するかたわら、パン・アフリカン芸術家協会の会長として、文化芸術の振興、普及にも尽力している。