国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学資料の収集・保存・情報化に関する実践的研究―ロシア民族学博物館との国際共同研究(2012.4-2015.3)

研究期間:2012.4-2015.3 / 研究領域:マテリアリティの人間学 代表者 佐々木史郎

研究プロジェクト一覧

研究の目的

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本研究プロジェクトの目的は、21世紀における「民族学博物館」の機能と存在意義を、海外の博物館や研究機関との国際共同研究によって、問い直すことにある。民族学博物館は、欧米の王侯貴族たちの宝物館(Kunstkammer)に始まり、近代帝国主義時代には国威発揚と国民統合の文化的装置とされ、国際化時代には異文化理解と異文化教育の装置と位置付けられた。そして、情報通信技術革命後の今日、民族学博物館は展示する側とされる側、研究する側とされる側とが意見、情報を交換し合い、議論して、民族文化の新しい表象の仕方を模索する場(フォーラム)という機能が重視されている。そのような状況の中で、民族学博物館はいかなる理論的、実践的基礎の上に、資料(標本資料と映像音響資料から構成される)を収集し、保存し、修復し、情報化し、展示し、教育研究に利用するのか。このような問題はいまだ十分に検討されてはいない。本機関研究では、民族学博物館の理論的な基盤を再検討しつつ、それを実践的に応用するための方法を開発することをめざす。さらに、このような民族学資料に関する総合的研究と実践を通じて、本館の大学共同利用機関としての機能と博物館としての機能を高め、その存在感を向上させる。

このような目的を達成するために、2010年度に協定を締結したロシア民族学博物館(ロシア連邦サンクトペテルブルク市)との国際共同研究を実施する。本研究はマテリアリティ研究の最も基礎的な部分である、研究対象となるモノの選定、保存、記録化、情報化、そしてその価値の社会的、文化的文脈での見出し方を見直すものである。同時に、このような作業は博物館の実際の機能に欠かせないものでもある。本研究プロジェクトは基礎研究であるとともに、実践的な研究でもある。

なぜ、このような研究が必要なのか?実はこの種類の基礎研究は不断の見直しが必要とされるものである。「民族」の概念と社会的な枠組みは常に流動しており、民族学博物館が収集すべき資料もその時代によって変化する。また、過去の民族学資料の概念や枠組みに則って収集された資料の保存や管理、情報化、利用方法も不断に見直されていなければならない。しかし、日本の博物館はそのようなことを苦手とすることが多く、ことに本館ではそれが十分に行われて来なかったことは否めない。そこで古い伝統を持ち、資料の整理、管理、情報化でも長年の蓄積を持つロシアの民族学博物館の協力を得て、改めてその見直し作業に着手するわけである。ただし、本研究は本館とロシア民族学博物館との間だけでの共同研究にとどめるつもりはない。研究会や国際シンポジウムの際に2館以外からも研究者を招聘し、欧米やアジアの研究者や博物館とも情報交換を行う。それによって機関研究「マテリアリティの人間学」に基礎研究と実践研究の両面から貢献することを目指す。

 
研究の内容

具体的な内容は、大きな課題として1. 民族学資料(標本資料と映像音響資料)の収集、2. その保存と修復、3. その情報化と管理、4.その学術的ならびに社会的利用という4つの問題を設定する。

  1. の民族学資料の収集では、まず今日「民族学資料」とは何かという問題を設定する。「民族」(あるいはethnicity、あるいはэтнос)という概念はもともと曖昧であり、言語によってその意味するところが異なり、近年その構築性、政治性がしばしば指摘されるが、それでも社会的・文化的な枠組みとして、あるいは実社会の組織として機能することがあった。しかし、グローバル化の中でそれが揺らぎ始め、概念と組織実体の双方が流動化するという事態を迎えている。その時民族学博物館が収集すべき「民族学資料」とは何かという問いが改めて重要性を増してくる。それを「民族学博物館」を標榜する日ロの博物館が共同して検討する。また、「民族学資料」を収集する際の方法と倫理性についても検討する。
  2. の保存と修復は、文化財や文化遺産とは性格が異なる民族学資料の保存方法、修復方法を、やはり博物館どうしの協力で実践的に検討する。かつて民族学資料は文化財扱いされることはまれだった。それは損傷しても交換可能なものとして扱われることが多かった。しかし、20世紀以後の急速な文化変化、文化変容の時代を経て、その製作技術が失われたり、製作した集団そのものが消滅の危機に瀕したりして、かつての民族学資料が、博物館にとっても、製作した集団にとっても交換不可能な貴重な文化財と化すことが多くなっている。そのような変遷と性格を帯びつつある民族学資料をいかに活用と両立させながら保存し、かつ損傷した場合、どのような倫理に基づいて修復するかについて日ロで情報と意見を交換し、新たな方法論と倫理基準を構築する。
  3. の資料の情報化と管理では、日本の博物館が最も苦手とする資料のドキュメンテーション(documentation)を中心に検討する。本館でも創立以来この問題に取組んできたが、これまでは収蔵庫管理に携わる職員が、資料整理の必要から行ってきたものであり、研究者が真正面から取組んだものではいない。現在本館の標本資料に関する情報が質的にも量的にも不十分なのは、この資料のドキュメンテーションに関する研究が不足しているからである。ただ、これは本館に限らず、博物館という施設の運用と利用に関しては発展途上にある我が国全体に共通する課題である。そこで、情報化やアーカイブ化に長い伝統を有するロシアの博物館からの教示を受けながら、民族学資料にふさわしい情報化と整理・管理方法の確立を目指す。
  4. 民族学資料の利用に関しては、日ロ双方の博物館ともに近年活発な活動を行っている。それを比較しながら、新しい利用方法を模索する。ただし、3年という短期のプロジェクトではこの点まで深く検討することは時間的に難しいため、1)〜3)の研究において常に利用も念頭に置くという程度にとどめる。
2014年度成果
◇ 今年度の研究実施状況

平成26年6月24日から27日まで、ロシアサンクトペテルブルク市のロシア民族学博物館において、第4回国際ワークショップ「民族学博物館の展示基本構想」を実施した。まず6月24日に研究集会を行い、代表者の佐々木の他、班員の吉田憲司教授、研究協力者として吉本忍名誉教授が研究報告を行い、ロシア側からはスヴェトラーナ・ロマノヴァ研究員とイリーナ・カラペトヴァ主任研究員が研究報告を行った。それに引き続き、25日にはロシア民族学博物館の収蔵庫における資料保管状況の視察、同市にある26日には人類学民族学博物館と27日にはエルミタージュ美術館の展示状況の視察を行い、研究員、学芸員と意見交換を行った。
平成27年3月9日から13日まで国際ワークショップ「民族学資料の展示への利用とソースコミュニティとの協力関係」を実施した。まず3月10日に国立民族学博物館において8本の研究報告が行われ、3月12日には北海道白老郡白老町にあるアイヌ民族博物館において2本の研究報告が行われた。そのほか3月9日と11日、国立民族学博物館における展示と収蔵施設の視察と検討、12日にアイヌ民族博物館における展示の視察とそれを題材とした討論が行われた。また、13日には苫小牧市美術博物館において、展示と収蔵庫の視察、そして市民との協力に基づく博物館作りについての説明と検討を行った。

◇ 研究成果の概要(研究目的の達成)

今年度の展示を主要なテーマとして、研究報告と議論を行った。6月のロシア側でのワークショップでは、民族学博物館が現在求められる展示コンセプトとはいかなるものなのかということを中心に議論を行った。事例として、日本側からはアフリカの芸術家の協力の下に行った企画展の事例、織物・織機をテーマにした特別展の事例が出され、ロシア側からは仏教美術を題材とした企画展の事例、シベリアの先住民族の工芸を中心とした企画展の事例が報告された。また、視察ではロシア民族学博物館での民族衣装の企画展示とエルミタージュ美術館が最近開設した匈奴の遺跡から出土した織物、繊維製品に関する常設展示の制作について、展示を見ながらの説明と討論を行った。
3月のワークショップでは、おもに民族学博物館の展示制作における、「ソースコミュニティ」と呼ばれる展示資料や文化情報を提供してくれる人々の役割、博物館と彼らとの協力関係の構築についての諸問題を議論した。このワークショップにはロシア民族学博物館、アメリカ自然史博物館(ニューヨーク)、国立民俗博物館(ソウル)といった国立あるいはそれと同等以上の規模を持つ博物館の研究者を招聘し、そのような大型の博物館が、展示対象とする人々からの要請、需要に基づく展示をどのように制作したのかという点に着目した研究報告を行った。さらに、北海道白老町のアイヌ民族博物館に場を移して、先住民というソースコミュニティと国立クラスの博物館が展示、資料の収集管理をはじめ博物館運営のためにどのような関係を構築するのがよいのかについての議論を行った。
これら2回のワークショップの成果としては、まず民族文化の展示もあるいは民俗の展示も、展示資料や情報を提供してくれる生活世界を生きる人々との密接な信頼関係の構築が重要であること、さらには特に3月のワークショップで報告された事例では、展示資料や情報を提供してくれた人々が、同時に観客にもなるケースで、ソースコミュニティが展示や収蔵資料を消費したり活用したりするコミュニティにもなる場合に、どのような関係を構築すればよいのかということを考えさせられた。

◇ 機関研究に関連した成果の公表実績(出版、公開シンポジウム、学会分科会、電子媒体など)

昨年度10月13日、14日に実施した「博物館コレクションの中のシベリア、極東諸民族の文化―収集、保存、展示方法の検討」の報告書の原稿が整い、Культура народов Сибири и Дальнего Востока в музейных коллекциях: методы сбора, учета, хранении и экспозицииとしてSERに申請して、採用が決定されている。現在査読の後、そのときのコメントにしたがって改稿を行い、最終稿が編集室に提出されて入稿を待つばかりとなっている。
また、6月のロシア民族学博物館での研究集会も、3月の国立民族学博物館での研究集会も研究者向けに公開し、前者で3名、後者では4名の研究者がオブザーバー参加した。

2013年度成果
◇ 今年度の研究実施状況

今年度はワークショップを2回、国際シンポジウムを1回開催した。

  • ワークショップ1
    タイトル:Documentation and recording of the ethnographical objects in the museums(博物館の民族学資料の記録と文書化)
    日程:平成25年9月23日~27日
    場所:ロシア民族学博物館(ロシア連邦サンクトペテルブルク市)、ノヴゴロド野外博物館(ロシア連邦ノヴゴロド市)
    参加人数:日本側5名、ロシア側15名
  • ワークショップ2
    タイトル:Computers and documentation: establishment and use of digital data on ethnological materials(コンピュータとドキュメンテーション―民族学資料のデジタル化とその利用)
    日程:平成26年3月3日~7日
    場所:国立民族学博物館、天理大学天理参考館、元興寺文化財研究所、奈良国立博物館
    参加人数:日本側15名、ロシア側6名
  • 国際シンポジウム
    タイトル:Культура народов Сибири и Дальнего Востока в музейных коллекциях: Методы сбора, учета, хранения и экспозиции (博物館コレクションから見たシベリア、極東ロシア諸民族の文化:収集、整理、保存、展示の方法論)
    日程平成25年10月13日~14日
    参加人数:日本側5名、ロシア側8名
◇ 研究成果の概要(研究目的の達成)
  • ワークショップ1:
    日ロ双方から所蔵する民族学資料の収集方針、登録方法、文書管理方法、保存修復方針、そして資料とそれに関する登録情報の著作権についての報告がなされ、相互に活発な質疑応答がなされた。ロシアでは優れた登録システムが100年以上以前からあり、それが文書として保管されている。それをいかに継承しつつ現代の登録システムに的確に活かすかが焦眉の課題である。民博側ではいかに効率よく、的確な登録システムを構築し、そこに情報を付加するのかが問題であり、課題の方向性が異なる。しかし、双方とも、民族学資料の登録と情報管理が重要であり、さらに資料だけでなく、そこに付加される情報の活用とそのために解決しなければならない著作権問題とに取り組まなくてはならないという問題意識を共有することができた。
  • ワークショップ2:
    日ロ双方から、登録されて作成された民族学資料に関する情報を、いかにデジタル化して管理、活用するのかについての報告と議論が行われた。ここで最も議論が集中したのが、情報の管理を集中化するのか、分散化するのかという点であった。ロシア側は文化省がロシアの主要博物館、美術館のデータを一元的に管理することを目指す国家管理デジタルカタログの作成に邁進しているのに対して、日本側はデジタル化データの作成と管理は各組織に任せ、それを横断的に検索できるシステムの開発、さらにはクラウド型の情報集積を目指すという点で方向性が逆であることが明らかになった。しかし、いずれの方向でも、それぞれ問題があり、またデジタル化データの作成とその利用に伴う諸問題に、システム構築、著作権など共通の問題を抱えていることも明らかにされた。
  • 国際シンポジウム:
    本館では民族学資料の収集、展示に関しては、アフリカ、アメリカ、アジア、オセアニアの諸地域の資料を有する欧米の博物館との共同シンポジウムは数多く行われてきたが、シベリア、極東ロシアの民族学資料を有する博物館とのシンポジウムはこれまでなかった。本シンポジウムはロシア連邦に含まれるこれらの地域の民族学資料の収集と展示について、初めての国際シンポジウムである。この地域の資料の大多数はロシア国内の博物館で収蔵、展示されていることから、ロシアの博物館からの報告を主体とした。しかし、ロシアの民族学系博物館の総本山であるサンクトペテルブルクの人類学民族学博物館とロシア民族学博物館だけでなく、地方博物館(ノヴォシビルスク、イルクーツク、ウラン・ウデ)からも学芸員、研究員を招聘して、シベリア、極東地域の地元の博物館での収集と展示の現状についても報告をしてもらった。本シンポジウムでは、現地の本館のコレクションと展示を現地の博物館のものと対比させながら、現地から見れば海外にあたる本館での北アジア展示のミッションについて考えさせることになった。
◇ 機関研究に関連した成果の公表実績(出版、公開シンポジウム、学会分科会、電子媒体など)

2回のワークショップはプロシーディングズを作成して参加者に配布した。将来的には昨年度と来年度のワークショップでの報告内容を束ねて、SERとして正式に刊行する予定である。
シンポジウムの成果に関しては、原稿(すべてロシア語)がそろったので、来年度早々にSERかSES(S. Sasaki and O. Shaglanova eds.)で刊行することを予定している。

2012年度成果
◇ 今年度の研究実施状況

平成24年6月3日にサンクトペテルブルクに出向き、4日、5日、6日の3日間にわたって、ロシア民族学博物館側との協議とバックヤード視察を行った。それに続き、当博物館の紹介により、7日と8日には同市にある人類学民族学博物館、エルミタージュ美術館のバックヤードも視察し、研究者と意見交換を行った。
さらに、平成25年1月24日~28日の日程で、ロシア民族学博物館から3名の研究員を招聘して、元興寺文化財研究所での修復作業の実演と、奈良国立博物館と国立民族学博物館でのバックヤード視察を交えた国際ワークショップ「民族学資料の保存と修復:博物館バックヤードの利用効率向上と自然素材資料の修復」を実施した。

◇ 研究成果の概要(研究目的の達成)

サンクトペテルブルクでの視察と意見交換、そして奈良と大阪でのワークショップを実施した結果、民族資料あるいは民族学資料の保存と修復の基本方針について、ロシア側と日本側との間で議論と意見交換が行われ、相互に新しい知見を得るとともに、情報を共有することができた。

◇ 機関研究に関連した成果の公表実績(出版、公開シンポジウム、学会分科会、電子媒体など)

奈良と大阪で実施した国際ワークショップのアブストラクト集を編集するとともに、その主要な内容をWebで公開した。