巻頭コラム
- 江戸時代の乗りもの 2003年11月12日刊行
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日高真吾
昭和の高度経済成長のなかで、自動車は爆発的に普及し、ほとんどの家庭が一家に一台と車を所有するようになった車社会が発生する。近年は、セカンドカーと称する車を所有する人達が増え、車社会そのものが、大きく変容しているように感じる。この車の所有者は、いわゆる庶民階層であり、この階層がセカンドカーまでも所有する社会は、環境問題を内包しているとはいえ、庶民生活の向上を示すひとつの指標にもなり、喜ばしい事象といえるものなのかもしれない。
庶民階層の人々が初めて、「乗り物」を使用できるようになったのは江戸時代からである。ここで庶民が用いた乗り物は「駕籠」であり、この駕籠を用いて、庶民階層は自由に町中を往来ができるようになった。
そもそも、日本における乗り物は、権力者の権威を象徴するものであり、乗り物の使用者を制限することでその象徴性を高めることがなされていた。こうした乗り物に対する考え方は、天皇中心とした古代社会から公家社会、武家社会へと社会が変遷するなかで受け継がれていく。しかし、本来、乗り物を使用する権限を持たない新しい権力者は、自らの階層が用いるために、乗り物の形態や使用方法を変えるなどの工夫を凝らし、乗り物に新たな使用者階層を加えていく。そして、ついに江戸時代には庶民階層までもが、乗り物を使用する権利を得ることができたのである。したがって、庶民階層が乗り物の使用権利を勝ち取った江戸時代は、庶民が車を自由に使用する、現代の車社会の出発点ともいえるのである。
今回のゼミナールは「江戸時代の乗りもの」と題しているが、江戸時代において、一気に支配者階層から庶民階層まで使用者層を獲得した駕籠のことを中心に話を進めていきたいと考えている。また、日本において伝統的に権威の象徴として用いられた、輿、車、駕籠といった乗り物の歴史変遷を概観し、現代の車社会にいる我々の視点から、過去の乗り物社会について、思いを馳せてみたいと考えている。
日高真吾(民族学研究開発センター助手)
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