巻頭コラム
- World Watching from South Africa 2004年3月18日刊行
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池谷和信
最近、日本からアフリカに行くのが楽になった。関西空港を夕方にホンコンに向けて出発すれば、ホンコンから南アフリカの玄関口ヨハネスブルク(人口、約500万人)まで、週に13便(2004年1月現在)もの飛行機で結ばれているからだ。わたしは、何度もこのルートをとってきたが、いつも多くの中国人に出会う。彼らは、ヨハネスブルクを経由して、アフリカ各地に働きに行っているようだ。
たとえば南アフリカに隣接するボツワナでは、最近、どんな小さな町にも中国人経営の雑貨屋を見つけることができる。中国製の服のほかに懐中電燈や電池など、中国製品であふれている。また、中国人が建設したという学校に出会うことも多い。かれらは単身赴任でやってきて、短期間で建物をつくってしまうのだ。地元では、アフリカ人の仕事を奪うということで、かれらを追い出しにかかるともきいている。
さて、現在、ヨハネスブルクは、「サハラ以南アフリカの中心地」であるといってよいであろう。もちろん、その背景には、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃後、南アフリカがサハラ以南アフリカのGNPのうち3分の2を占めているという事情がある。多くのアフリカ人が、ちょうど100年前にここの金鉱山に働きにやってきたように、ヨハネスブルクをめざす。
この街の中心部には、南アフリカ出身の人びとは多くなく、ナイジェリアやコンゴやアンゴラなどのアフリカ諸国からの人びとが住んでいる。なかでもナイジェリア人は、かつて白人が住んでいた高層ビルを占有しているという。新聞の報道によると、約5千人のヨルバの人がいて、その一部はドラッグの販売で逮捕されているのだ。またボツワナ同様、中国人の数も増えてきた。最近は、道端で店をかまえる中国人の姿も目立つようになった。
わたしは、この中心部の治安が「アフリカ一悪い」といわれるのであまり近づかないでいる。2003年度に日本人旅行者がここで路上強盗に襲われた件数は5件、その多くは歩行中に背後から首をしめられ貴重品が奪われているのだ。しかし、中心部にある古本屋へは、タクシーを乗り付けていかざるえない。アパルトヘイトの撤廃以降、多くの会社は20~30キロメートル離れた郊外にオフィスをうつしたのに対して、この古本屋だけは、南アフリカ一二の規模をもつこともあって、いまでも中心部に店をかまえているのだ。白人の社長は欧米で行なわれる古本のオークションにこまめに足を運び、いつも品数が多いのである。最近こそ、ここを訪れる人は治安の悪化によって多くないが、各地の図書館からの注文に応じている従業員はいつも忙しそうだ。
思えば、1987年7月、はじめてヨハネスブルクを訪問したとき、アパルトヘイト下であったために中心部で外国人に会うことはあまりなかった。中心部の治安はよく、道行く人は南アの人びとで活気があった。滞在中にステーキを食べて歯が痛くなり、中心部の白人の歯医者に行ったら、いきなり歯をぬかれたことを思い出す。現在、この街の中心部から白人が消え、ますますアフリカ人が中心部を占めている。同時に2003年に地球環境サミットが開催されたように、ヨハネスブルクは、ますます21世紀のアフリカを代表する都市になっている。
今後も、この都市の動きには目が離せない。
池谷和信(民族社会研究部助教授)
◆参考サイト
南アフリカ外務省
外務省ホームページ:南アフリカ共和国
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