国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Palau  2008年5月15日刊行
川口幸也

● パラオ―ストーリーボードと土方久功の記憶

パラオといえば、戦前の日本の委任統治領のひとつだが、このごろではダイヴィングの名所として有名である。日本からまっすぐ南、赤道のやや北側、フィリピンとグァム島との中間あたりにある、マングローブの森に包まれた小さな美しい島だ。

訪ねてみると、いまも片言だが日本語のできる現地の人がいる。また、通りを歩くと日本人の姿もけっこう目につくし、日本語の看板を掲げる店も珍しくない。

パラオの代表的なお土産品のひとつにストーリーボードがある。厚さ3センチほどのマホガニーの板に、パラオの神話や伝説にちなんだ物語が彫られた浮き彫りで、町なかの土産物屋ならどこでも売っている。

このストーリーボード、じつは日本統治時代に、一時期南洋庁の嘱託だった土方久功が、島の人たちに教えたものである。土方は、彫刻家であると同時に、パラオやサタワル島に計十年以上も滞在し、貴重な民族誌を残したことで知られている。

最大の都市コロールの繁華街の近くにあるベラウ国立博物館を訪ねた際に、敷地内に再現されている集会所アバイに立ち寄ってみたら、奥で初老の男が、ラジカセを聞きながら野球帽にTシャツで机に向っていた。近づくと、机に見えたのは、畳ほどもある大きなストーリーボードであった。男は、ストーリーボードの職人だったのだ。

少しばかり言葉を交わした最後に、私は男に「土方久功を知っているか」と訊いてみた。すると男は一言、「ヒジカタ センセイ」と答えた。年齢からみて男が直接土方を知っているとは考えにくい。たぶん、そんな風に彼らの間でいい伝えられているのだろう。

戦前の日本とパラオの関係については、いろいろ議論の余地はあるだろう。そもそも日本とパラオの関係自体が先生と生徒のそれだった、といえるのかもしれない。したがってそこには功もあれば罪もあるに違いない。ただ、そうしたこととは別に、私は、生前、その誠実さで会う人を魅了したという土方の人柄が、彼らの記憶の中に真珠のように輝き続けているのに、思いがけなく出くわしたような気持ちになっていた。少しだけ得をしたような気分になって、私は町へ下りていった。

川口幸也(文化資源研究センター)

◆参考サイト
民博アーカイブス 土方久功
パラオ概要(日本外務省)