国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Fiji  2008年9月9日刊行
丹羽典生

● フィジー、ダクでの年に一度のお祭り「ダクの日」

2008年1月12日フィジー諸島共和国タイレヴ地方のダク村落におけるお祭りに参加した。名付けて「ダクの日」。ほかならぬこの日に祭りが開かれる所以は、ダクの歴史と関係している。かつてこの村落において開明的な指導者エモシが舵をとりさまざまな開発事業を推進した。ダクが達成した開発事業の水準の高さはフィジー各地にひろく知れわたり、地盤沈下の著しい村落の土木工事と土壌改良が着工された際に、それにちなんで謡われた「トンベルア島でビスケット食べる、5枚、6枚・・・」という歌詞とともに、いまでもフィジーの人びとの記憶に残されている。

1月12日はエモシが開発事業の任務に就いた日にあたり、年1回、フィジー各地で生活しているダクの人びとが集まり、祝いの席が催される記念日でもある。わたしがこの祭りに参加する最初の機会を得たのは2005年のことで、今回で2回目となる。ダクの日のスケジュールは、昼間に委員会の会議が開かれ、ダク開発事業の今後の運営等が検討される。その後、村人全員で食事の席をもった後に、南太平洋の伝統的な飲料であるカヴァを明け方まで飲み続けるならいとなっている。食事にはこの地方特産のマナーと呼ばれるエビが供されることもあって、みなの楽しみの場となっていた。

ところが、今年の会議の場は荒れ気味で、いつまでたっても終わる様子がない。ようやく会議にけりがつき、ついではじまったカヴァの席でそれとなく事情を聞き出すと、2007年に亡くなった委員会(エモシ没後、開発事業を牽引する母体)の長の選考をめぐって議論が紛糾したという。さまざまな対立が背後にあり紛糾の経緯は簡単に言い尽くせないが、ダクの村落開発事業がはじめられて70年、指導者エモシの没後からでも数十年が過ぎた現在、エモシのなした栄光と遺産をどう発展的に受け継ぐかという課題は、ダク村落民に重くのしかかっている。リーダーシップの一元化を図り、村落内での対立をとりまとめることで、かつて先進的な開発事業を推進した村落としての自負が回復できるのかは、今回の会議で選出された人物の双肩にかかっているといえよう。

丹羽典生(研究戦略センター)

◆参考サイト
フィジー大使館