国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Taiwan  2010年9月16日刊行
野林厚志

● 夏の台湾調査行:国立政治大学の原住民族研究フォーラム

この数年来、夏の台湾調査の後半は、国立政治大学で開催されている「台日論壇」という研究フォーラムに参加して、なるべく自分の研究発表も行うことを目標としている。国立政治大学の民族学系(日本ではおおむね学科に相当)と原住民族研究センターはいまや、台湾における先住民族研究の一大拠点となり、この分野をリードする存在となっている。その研究センターが毎年、台湾と日本の研究者が1年間研究してきた成果をもちより、議論できる場を作ってくれているのだ。台湾では、総人口の約2%の人々が「原住民族」とよばれる先住民である。漢語では「先」という言葉には、過去や以前という意味が含まれてしまうため、もとから住んでいる人々という意味で、原住民族という呼称を用いるようになっている。

このフォーラムの特徴は、参加するのが原住民族について研究を行っている研究者だけでなく、一般参加者、とりわけ原住民族の人たちも議論に加わるという点である。研究者だけでなく、当事者も参加しての議論からは思わぬ発見も多い。例えば、私の今年の研究発表で使ったスライド写真の中に、原住民族の男性が腰に刀剣をさげた様子を描いた壁絵を写し込んだものがあった。この刀剣は、彼らの社会の中で「蕃刀(ばんとう)」と通称されていて、原住民族の各集団に共通して用いられてきたものである。「蕃刀」は通常、腰の位置にさげられ、私のスライドの写真では体の右側に下げられていた。これに対して、一人の原住民族の男性から、なぜ原住民族の慣習である左側ではなく、右側に下げられているのかという質問が出された。こうした原住民族の日常に関わる疑問は、取り組む課題を政治や経済、制度といった「高位」なものにひきつけようとしがちな私に、細部を丁寧に見なさいという警鐘を与えてくれる。実のところ、最初は「なんでこんな質問するんだよ、本論とは関係ないやろ」と思ったのだが、その後、反芻すればするほど、それが大切な問題であるということがわかってくる。なぜならば、その絵は原住民族ではなく、平地漢族の作家が原住民族の人たちに聞き取りを重ねながら製作したものであり、私の研究課題に非常に深く関連した問題をはらんでいたのである。

フォーラムの最大の楽しみは、台湾の研究者の考えていること、進行させている研究を知ることができるところにある。今年、非常に面白かったのが、若い原住民族の人々の中に、自分は2つの民族集団に属していると考える人が出始めていることであった。国立政治大学の王雅萍先生は、国立政治大学に通っている学生を対象に、アイデンティティや生活状況に関するアンケートならびにヒアリング調査を行った。その結果、自分の民族集団を2つ答えるケースが出始めているというのである。原住民族の社会では異なる民族集団間の婚姻は以前から行われてきた。筆者の経験では、両親が異なる民族集団に属している場合、その子どもは、居住している地域の民族集団名を自分の所属している民族として答え、かつ両親がどの集団に属しているという話をすることが多かった。例えば、パイワン族の父とアミ族の母との間に生まれた子どもがパイワン族の父の村で暮らしている場合は、自分はパイワン族だが、母親はアミ族であるという答えかたである。それが、自分の属している民族集団名を複数個答える若者が都市部では出始めているのである。都市に生まれ育った原住民族の人々は、パイワン族である、アミ族である、ということを実感する場面が、少なくなっていることは否めないであろう。そんなときに、個々人がどんな経験の中から自分の民族集団を感じとっていくのか、その過程についても知りたくなった今年の研究フォーラムであった。

野林厚志(研究戦略センター准教授)

◆関連ウェブサイト
国立政治大学原住民族研究センター
外務省ホームページ