みんぱくのオタカラ
- ~「梅棹アーカイブズ」より(2) 中国内モンゴル調査 2011年3月10日刊行
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小長谷有紀
1944年、張家口に創設された西北研究所において、梅棹忠夫は、最年少の研究者として勤務し、積極的に草原にでかけた。冬には今西所長らとともに北へ旅 し、翌年の夏には篠田統博士に同行して南へ旅した。これらの調査行は、梅棹にとって、研究の原点となる。とりわけ、理学部出身で文科系へとゆるやかに転進 していく大きな契機となった。
「そんなものは全部ほかせ。日本にかえったら、なんぼでも買(こ)うてやる」というセリフは、1945年8月、張家口を脱出するとき、着物類をもちかえろ うとする妻への発言として自ら記している。梅棹は、かの女を有蓋貨車に乗せ、自身はいったん西北研究所にもどり、今西所長の資料を行李につめ、無蓋貨車に 乗り込んだ。それが、張家口からの民間人をのせる最終列車だった。
こうして、かろうじて持ち出した資料は、あたかも動物学研究のように偽装され、無事に日本まで持ち帰ることができた。すべて梅棹アーカイブズとして保存されている。
小長谷有紀(民族社会研究部教授)
◆今月の「オタカラ」
無事に持ち帰るために偽装した本の箱
無事に持ち帰ることができたスケッチ◆関連ページ
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