巻頭コラム
- World Watching from Osaka, Japan 2011年8月19日刊行
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菊澤律子
● メディアを通じてつながる―見える世界と見えない世界と―
7月末にみんぱくで国際歴史言語学会を開催した。その参加人数を確定しようとしていた矢先に東日本大震災が起こり、図らずしてメディアを通して見える「日本」像と、大阪の現状とのはざまで苦しむことになった。すぐに、延期や開催地変更に関する問い合わせが相次ぐようになるが、その背景にあるのが、世界各地で繰り返し流れる津波の映像であることは、想像に難くない。「大阪では地震の影響はありません」と回答し続けるものの、この状況の中で大阪の毎日が平穏であることを信じてもらうのは、不可能なように感じられた。原発問題が表面化しはじめると、「参加者全員を被爆させるつもりか」とのメールも。細かな放射線量の計測値よりも、問題の深刻さだけが幾重にも膨れ上がって伝わってしまっているようだ。
とはいえ、各国からの多くの参加者は静観していた様子で、最終的には海外から260名、参加者総数は通常の四割増で落ち着いた。一方で、「チェルノブイリのトラウマがある私には、どうしても今の日本に行くことができません」との、直前キャンセル。今度はこちら側には見えてこない彼岸の姿だ。そして、開催直前に飛び込んできたのが、オスロでのテロと銃撃事件のニュースだった。
学会長としてノルウェーからの参加者ひとりひとりに見舞状を書きつつ、メディアにもう、うんざりしていた私は、報道を通して聞く現地の状況が確かなのかどうかさえ、おぼつかない気持ちでいたが・・・。
「お手紙、ありがとう!」私を見つけた彼らは口々に、事件直後に自国を後にしなくてならなかった不安を語りはじめた。「私たちのは人災なのよ」それゆえに、日本の私たちの地震に対するものとは、また違う意味でのショックが大きい、とも。ここにも報道からは読み取れない、現地の人の気持ちがある。起こってしまったことは悲しい。でも、それを分かち合えたことが嬉しくて、最後は、その基礎情報を伝えてくれたメディアにも、ちょっとだけ感謝できる気持ちになった次第である。
菊澤律子(民族文化研究部准教授)
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