巻頭コラム
- World Watching from Ulsan, Korea 2011年12月16日刊行
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太田心平
● 75年ぶりの帰郷
国立民族学博物館の本館展示場には、1万点以上の標本資料が展示されている。だが、舞台裏の収蔵庫には、その約26倍にもおよぶ標本資料が慎重に保存され、多様な研究者たちによる多彩な研究に利用されている。
それは1987年から88年にかけてのことだった。外来研究員として国立民族学博物館(以下「本館」)に在籍していたソウル大学教授(当時)の李文雄博士は、この収蔵庫の標本資料の目録を目にして、自分の故郷の近くで収集されたものが相当数ふくまれていることに気がついた。日本の学術調査団が1936年に植民地朝鮮の蔚山(ウルサン)達里(タッリ)(現「達洞(タルドン)」)で収集し、日本へと持ち帰った一連の生活財が、長い年月をへて、当事者に再発見された瞬間だった。それから約20年後、定年退職して時間的な余裕をえた李博士は、本館と韓国国立民俗博物館と蔚山市の3者に働きかけ、これらの生活財に関する調査研究を精力的におこなってきた。
こうして、2011年11月29日、開館して間もない蔚山博物館の第2回特別企画展として、『75年ぶりの帰郷、1936年蔚山達里』が開幕した。2012年2月5日まで、本館から借りた標本資料たちは、韓国国立民俗博物館の学芸員たちの調査研究の成果や、その他の機関から提供された写真や映像をともない、また蔚山博物館の学芸員たちの努力をえて、ふたたび蔚山の地にある。
私はこの開幕に合わせて、本館の須藤館長や朝倉文化資源研究センター長とともに、蔚山に行った。75年前には小さな農村集落だった達里は、いまや韓国有数の工業都市、蔚山の中心地となり、かつてのなごりがまったく見当たらない大都会に変貌していた。これまで学術調査団が写した写真や映像でしか達里に接したことがなかった私には、ここがあの達里だなんて、にわかには信じがたいほどだった。だが、1936年のことを記憶する人びとも、まだ健在だ。偶然に出会った1924年生まれの老人は、学術調査団の団員たちのことまではっきりと覚えていた。彼のなかでは、あの達里とこの達里が、確かに連続しているのである。
特別企画展の開幕に先立って行われた内覧会には、達里出身の人びとも招待されていた。標本資料たちが達里の人びとと対峙する様子は、はた目にみても感慨ぶかいものがあった。まるで、「おかえり」「ただいま」と再会を喜んでいるかのようだった。そして、にぎわう展示場の一角では、李博士や学芸員たちが、晴々しい笑顔でこれまでの疲れをぬぐいとっていた。彼らにむかって、ケースのなかに行儀よく並んだ標本資料たちが、静かに、だが確かに、語りかけていた。「ありがとう」と。
太田心平(研究戦略センター助教)
◆関連ウェブサイト
蔚山博物館
『みんぱくe-news』86号 「民博「蔚山コレクション」の発見に始まる出版記念会」
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