国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from India  2012年1月20日刊行
上羽陽子

● インドの新年は憂鬱!?

昨年10月、インド西部のグジャラート州で新年を迎えた。インドでは太陰太陽暦によって、毎年移動祭日となっており、昨年は10月27日が新年であった。新年は、ヒンドゥーの祭・ディーワーリーの翌日で、その前後数日間は、さまざまな儀礼やお祭りがおこなわれる賑々しい期間となる。ディーワーリーとは、冬の播種期を迎える祭りで、地方・宗派によってさまざまな言い伝えがあるが、当日は、富の女神ラクシュミーと、「始まり」を祝福する神ガネーシャにプージャー(儀礼)をおこなう。そして、語源ともなっている光の列をつくるために、夕刻に戸口、門、屋根、塀などに灯りを並べる。小さな素焼き器の灯明が並ぶ光景は、なんともいえない美しさである。

その一方、実はディーワーリーの時期がくると、私は憂鬱になる。原因は、花火や爆竹による爆発音だ。耳元で爆破しているような音が夕方以降、深夜まで続き、睡眠不足となる。この頃になると、神様の名前がついた大人気の噴出花火・ラクシュミーボムをはじめ、打ち上げ花火やねずみ花火、爆竹など、数々の花火が店先を飾るようになる。そして、当日を待ちきれぬ人びとは、日が落ちると花火や爆竹に興じ、その騒音と空気汚染は連日新聞で報道されるほどである。騒音対策として、グジャラート州公害管理委員会によって、125デシベル以上の爆竹の製造、販売、使用が1999年以降禁止されており、特に、ディーワーリー期間中は、委員会によってモニタリングの実施もおこなっているというのも納得がいく。

日本であれば、地面において使用する花火を、子どもたちが手にもったまま走り回ったり、投げ合ったりしている光景は、みているこちらが心配になる。親たちは、そんなようすを笑いながらみているのも不思議であるが、案の定、この時期の子どもたちは、身体のあちこちに火傷を負っている。

私が、現在調査を進めている女神儀礼布の染色工房において、女神や人物、動物などの描写にもっとも長けている職人は、右手人差し指第一関節から上を失っている。聞けば、小さい頃のディーワーリーの爆竹が原因だという。彼は怪我をしたからこそ人一倍、描写の猛練習をし、むしろその事故のおかげで、人より上手に描くことができるようになったと笑って語る。「職人は不器用な方がいい」という言葉は、不器用な人ほど、人の何倍も努力するので良い職人になれるという意味だが、ディーワーリーになると毎年、彼の努力を再認識させられるのである。

上羽陽子(文化資源研究センター助教)

◆関連ウェブサイト
Gujarat Pollution Control Board
グジャラート州ホームページ
インド(日本外務省ホームページ)