巻頭コラム
- World Watching from Lebanon 2012年3月16日刊行
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菅瀬晶子
● したたかなレバノン移民の素顔
「ねえ、私もこれ、書かなくちゃいけないの?」
隣の席に座った女性に、いきなりそう訊かれたのは、イスタンブルからベイルートへ向かう機内のことだ。その手には、外国人用のレバノンの入国カードが握られている。
「あなた、国籍は?」
「カナダ」しかし一見したところ、金の十字架のペンダントを身に着け、やや派手な身なりの彼女は、典型的なキリスト教徒のレバノン人である。2011年3月に訪れたトロントで、気に入って連日通ったレバノン料理店が脳裏に浮かんだ。カナダのオンタリオ州とケベック州には、レバノン系とパレスチナ系の大きなコミュニティがある。おそらく彼女も、トロント郊外あたりに住むレバノンからの移民であろう。
じゃあ、やっぱり書いたほうがいいんじゃないですか。そう返した私とカードを交互に見て、やるせなさげにつぶやいた彼女の声音が、忘れられない。
「24年前にカナダに移住したからって、入国カードを書かなくちゃいけないの?私はレバノン生まれなのに……」
24年前といえば、まだレバノンが内戦状態にあったころだ。1975年から1990年まで続いた内戦の時代、多くのレバノン人が故郷を離れ、北米やオセアニアに移住した。キリスト教徒はことに海外移住の傾向が強く、すでに19世紀後半から移民を送り出してきた。首都ベイルートの港近くに立つ「移民の像」は、名もなき彼ら移民たちの象徴である。貧しい身なりで、ずた袋ひとつを肩にかけたその銅像は、はるか海のかなたを見つめ、まだ見ぬ世界とどうやって渡り合おうかと、思いを巡らせているように見える。しかしながら、すべての移民が期待を胸に、この地から旅立った訳ではないはずだ。後ろ髪をひかれる思いで戦火に焼かれた故郷を離れ、24年を経てようやく“帰郷”しようとしているのに、事務的に外国人扱いされるのだとすれば、彼女の胸中は、いかばかりだろうか。
しかし、そんな感傷は無用だったようだ。英語しかわからないらしい息子に入国カードを書かせる横で、彼女は機内食をぱくつき、時差ぼけで食欲がない息子のぶんまで平らげていた。どこへいってもたくましい、そう揶揄されるレバノン移民のしぶとさをかいま見た一瞬だった。
菅瀬晶子(民族社会研究部助教)
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