国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

みんぱくのオタカラ

ゾウリについて新発見  2012年7月20日刊行
飯田卓

みんぱくは、生活のなかで用いられるモノを資料として収集するだけでなく、それにまつわる情報を収集することをも務めとしている。モノに即しつつ、そのことを紹介したい。

今回紹介する2つの資料は、いずれも、1934(昭和9)年に渋沢敬三(当時、第一銀行常務)率いる調査団が鹿児島県トカラ列島の十島(としま)村で収集したものである。渋沢は、銀行家を本業とするかたわら、各地の民俗調査に理解を示してみずから参加し、パトロンとして支援した。彼とその同人たちが集めた資料約1万点は、いろいろな経緯をへてみんぱくにひき継がれ、日本展示場にて多数が展示されている。

当時、十島村には村営の定期船が就航したばかりで、渋沢の訪問目的のひとつは、その実情視察にあった。そのこともあってか、ある島に数時間滞在した後、また次の島に移るというように、たいへんあわただしい調査をおこなっている。収集したモノの詳細情報が十分に記載されないまま終わるのも、無理はなかった。

それから80年近く経った今年3月、わたしは、神奈川大学(神大)の研究班の一員として十島村の追跡調査をおこなった。神大は、渋沢調査団が写した写真や動画フィルムを継承しており、いわば、みんぱくのモノ資料を補完する資料を有している。みんぱく所蔵の十島村資料についての聞きこみは、神大の資料の活用にも道を開くと期待された。

さて、2つの資料である。いっけんよく似ているものの、標本番号H0016609は藁(わら)で作ったもので畑で使うもの、標本番号H0016613はイイという草で作り、村のなかで使うものだということが判明した。渋沢調査団は、はきものについての論考を多く残していたが、地域におけるこうした使い分けに注意をはらっていなかった。こうした事実を明かしてくれたのは、神大所蔵の写真の被写体だと名乗りでてこられたご婦人はじめ、島の生活を理解し現在も島でくらす人たちである。

島のくらしは、よそ者にはなかなか見えにくい。時をへてこうした新情報を集めることも、みんぱくのささやかな活動のひとつである。

飯田卓(民族社会研究部准教授)

◆今月の「オタカラ」
【上】標本番号:H0016609/資料名:アシナカゾウリ
【下】標本番号:H0016613/資料名:ゾウリ

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