国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Romania  2013年1月18日刊行
新免光比呂

● 現代の悪魔祓い

冬の寒さの中で十字架に縛り付け、水だけしか与えずに聖書を読み聞かせるという悪魔払いの儀式によって、一人の修道女が衰弱して死亡した。2005年、ルーマニアのある小さな正教会の修道院での出来事である。この事件が報道された西欧諸国では、現代において野蛮な行為がなされたことへの驚愕や、事件がおきたルーマニアへの新たな懐疑といった反応が見られたようだ。1989年の民主革命から十数年をへても、ルーマニアがなおバルカンの未開地域であると思った人もいたかもしれない。

ルーマニアでは、現代でも呪いが信じられているという。この事件をもとに作られた映画Beyond the hills(ルーマニア製作、日本での封切りは2013年、邦訳は「汚れなき祈り」)のなかでも、日常生活における呪いの存在がさりげなく台詞に示されていた。夫の心を若い女が呪術で盗み、その妻が呪術をかけかえすという会話である。実際、有名な芸能人が呪いをかけ、呪われた人物が呪術をかけかえしていたという話もある。こうした呪いの担い手はやはりロマ(ジプシー)の人々で、占いと並んで呪いで財をなした話も耳にする。

その一方で、伝統的な正教会の影響力も根強く、一般の人々から強く支持されている。とくに革命後の混沌の中で指針を見失った人々は、欧米から進出した福音主義派のキリスト教に惹かれる一方で、ルーマニアの伝統を体現する正教会に救済を見出した。経済的に困窮した若者が修道院に逃げ場をもとめることもある。また現代の騒がしい社会から逃れて、修道院に平安を見出す若い女性も多い。

ルーマニア社会における呪術の存在と正教会の深い影響力を考えると、人は両者を結び付けて悪魔祓いを説明したくなるかもしれない。あるいは遅れた地域の人々のメンタリティのせいと考える人もいるかもしれない。この事件の原因や背景をどう分析するかは難しい問題だが、事件に対する人々の判断は、個々人の宗教観・人間観に左右されるだろう。一般に人間というものが理性に支配された存在とみるか、不合理な衝動と集団への同化欲求に満たされた存在とみるかで、事実の受け取り方が人によって異なるものになるからである。一般に、わたしたちは人間が不合理な情念に動かされ、かつ集団に同化しやすい動物である事実を目にしているのだが、それを意識することはあまりない。ルーマニアの悪魔祓いを通して、忘れていた事実に気づかされたといってもよいかもしれない。

新免光比呂(民族文化研究部准教授)

◆関連ウェブサイト
やっぱりヨーロッパ―春のみんぱくフォーラム2013
ルーマニア(日本国外務省ホームページ)