巻頭コラム
- World Watching from Syria 2013年7月19日刊行
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菅瀬晶子
● シリア内戦を憂う
2011年2月初旬、わたしはレバノンの首都ベイルートから雪の峠を越え、陸路でシリアの首都ダマスカスに入った。大学院生時代の1997年春に訪れて以来、実に14年ぶりの再訪であった。
折しもエジプトでは、ムバーラク大統領辞任を求める民衆デモが最高潮を迎えようとしていたころである。もともと選挙制度の混乱や教会爆破予告のために緊張状態にあったレバノンは、「アラブの春」と呼ばれる民衆革命波及への懸念から、どこも息を詰めるがごとく静まり返っていた。対して隣国シリアは、不気味なほどに平常であった。ダマスカス旧市街のハミディーエ市場は人で溢れ、ウマイヤド・モスクの中庭では子どもたちが走り回っている。ホテルのロビーでTVを眺める従業員たちも、30年間エジプトに君臨したムバーラク大統領辞任のニュースを、他人事としてしかみていない様子であった。彼らホテルの従業員はほぼもれなく、独裁をしくアサド大統領の熱烈な支持者である。外国人といえども政権に批判的な態度をすこしでも取れば、容赦なく密告される。実際わたしも1997年の滞在中、ドイツ人とシリア人の両親を持つという青年に尾行されたり、ジャーナリストの知り合いがいないかという匿名の電話を受けたりしたものだ。
2週間の調査中、民衆革命がシリアに波及する気配は、わたしの知る限りではまったくといってよいほどみられなかった。わずかに一度、賃上げ要求の小規模なデモがあったらしいと小耳に挟んだのみである。だからこそ帰国直後、シリア軍の一部が離反して反政府活動をはじめたと聞いたときは、心底驚いた。驚きはじきに、「これは果たして、民衆革命なのか」という疑念に変わり、今はただ、悲惨な内戦状態に陥ったシリアのニュースを、なすすべもなく見守るしかない。
長期の調査をおこなった訳ではないシリアに、親しく連絡を取り合う友人と呼べる存在はいない。しかしながら、調査で出会った人びとの顔が、今でも時折脳裏にちらつく。キリスト教徒人口の流出で、コミュニティの維持が年々難しくなると語ってくれた、カトリックの司祭。「ムスリムだって、おれたちキリスト教徒なみに飲んでるんだぜ」と、ブドウを蒸留してつくる地酒の瓶を包んでくれた酒屋の主人。白い息を吐きながら、早朝のパン屋に一緒に並んだ人びと。誰もが無事であってほしい。そして一日も早く、彼らが不安におびえずに済む日が来ることを、祈るばかりである。
菅瀬晶子(研究戦略センター助教)
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