国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

女の子が生まれる日 ~インド~  2014年5月23日刊行
松尾瑞穂

リプロダクション(性と生殖)について研究している私は、1年間以上インドの農村の病院の2階に住み込み、調査をさせてもらったことがある。病院の1階には診察室と入院用の病室、そして小さな手術室があった。いろいろな診察や手術を見学させてもらったが、私が一番好きだったのは分娩に立ち会うことだった。陣痛促進剤を使用して分娩をコントロールする管理出産がそれほど主流ではない村の病院のことだから、出産は夜中から明け方に起きることが多かった。真夜中、階下からゴー、ゴーというお湯を沸かす音が聞こえてくると、分娩が近づいているということだ。私は寝ぼけ眼をこすって、邪魔にならないように手術室の隅っこで固唾をのんで見守る。生まれるまで時間がかかりすぎていったん寝に戻り、気が付いたらすでに生まれてしまっていた、などということもあった。

生命の誕生は素晴らしく、毎回等しく感動したが、残念ながら全ての出産が同じようにめでたいというわけではなかった。男児尊重の根強いインドの農村社会では男児の誕生は特別な意味を持っている。村の友人は、初めての子が女児だとわかると涙を流した。特に女児の誕生が続いた家族に向かって「(子どもが)生まれておめでとう!」と手放しでお祝いを述べるのはためらわれる、そんな雰囲気があった。生まれた子が男児だと、医師も含めて分娩室にいるみんながどこかほっとし、分娩室の外で待つ家族に声高らかに「男の子でしたよ!」と宣言するのだった。

男児尊重の風潮は、選択的女児中絶などを引き起こし、拡大する男女差(性差)として大きな社会問題となっている。2011年のセンサスによれば、インド全国の平均性差は男性1000に対して女性は943であり、州のなかで最も低い北部のハリヤナ州に至っては879である。いま、ハリヤナでは婚姻適齢期の女性が少なすぎて、結婚できない男性が増えているという、笑えない話まで聞こえてくる。

かつては男児が生まれるまで子どもを産み続ける、という夫婦も多かったが、近代化や経済発展とともに、多産に対する認識は変化し、いまでは少ない子どもにより良い教育を受けさせたいと願う親が増えている。件の友人家族も2人目は持たないと決め、娘には英語教育を受けさせるつもりだという。女児だからといって、現実の家族関係の中で親が差別をするというわけではない。それでも、分娩室のあのためらいが、深いところで女性問題とつながっているように私には感じられる。

松尾瑞穂(先端人類科学研究部准教授)

◆関連ウェブサイト
インド政府センサス(2011年)
インド(日本国外務省ホームページ)