巻頭コラム
- ヒトの隣にヒツジ・ヤギ ~パキスタン北部~ 2015年1月1日刊行
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吉岡乾
「仔ヤギが踊れば仔ヒツジも踊る」(『物事には好機というものがある』)
私が言語学の調査をしているパキスタン北部では、ことわざに多く登場する動物として、ヒツジ・ヤギ類が目立つ。冒頭のことわざもそのうちの一つだ。一方で、日本語ではヒツジやヤギは、なかなかことわざに姿を現さない動物である。日本だとイヌ、ネコ、タヌキ、サルなどが身近な動物であるため、どうしてもこれらの登用回数が多くなるのだろう。
パキスタンではヒツジ、ヤギが生活に密接に関わっている。羊肉・山羊肉は鶏肉に次いで食される肉であるし、ヤギのミルク、ヒツジの毛も大いに活用されている。だからこそ、次のような言語表現が生まれるのだ。
「自分のヤギの歯なら知っているぞ」(『騙されるものか』)
歯まで熟知しているとは恐れ入るが、それだけ大切に育てているのだろう。
一方で、次の比喩などは、彼らの生活の知恵を知らないと読み解けない。
「牝アイベックスが『ちょっと角を顔にこすっただけだから』と言ったように」(辛いことを隠すことの比喩)
パキスタン北部には、出産した直後の女性がアイベックス(高地に生息する野生ヤギの一種)の角を焼いてすり潰した粉末を、美容のために顔に塗布するという習慣がある。それになぞらえて、猟師に痛手を負わされて血の気の失せたアイベックスが、仔に心配させまいと辛抱してこう言った、という話があるそうだ。日本では生じえない喩えだ。
もちろん、次のような、日本人でもわかるであろう比喩だってある。
「ヤギに骨、イヌに草」(あべこべであることの比喩)
ヒツジとヤギは生物学的に似ているが、ヒツジが草ばかりを食べ、ヤギが木の皮なども食べる、という生態上の違いもある。だからか、ヤギが木に前脚を突いて立ち上がっている姿を見ることも多い。ヤギは高いところも大好きだし、単独行動をする点でもヒツジとは異なっている。冒頭のことわざも、ヤギのスタンドプレーを含意しているのかも知れない。
思い起こせば、未年の「ヒツジ」は、国・地域によっては「ヤギ」だったりもする。山奥で、単独で調査をしているヒツジ年生まれの私は、むしろヤギ年の生まれと言ったほうがふさわしそうだ。
さて、長くなってしまったし、最後に一つ現地のなぞなぞを出して終わろう。
「狭い庭でメェメェ鳴いている仔ヒツジ、な~んだ?」
答えは写真の中に。
◆関連写真
仔ヤギがぴょんぴょこ跳ねる(2014年3月撮影)
ヒツジは集団行動をする(2004年11月撮影)
ヤギは高いところが好き(2014年8月撮影)
古い古いアイベクスの絵(2007年8月撮影)
なぞなぞの答えは糸紡ぎの錘(つむ)
[毛をまとって、音を立てて小さな土台の中をあちこち跳ね回るから](2014年12月撮影)◆関連ウェブサイト
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