巻頭コラム
- 文字をめぐる雑感 2015年2月1日刊行
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庄司博史
この記事の配信時には出版されていると思うが、この一年あまり『世界の文字事典』という本の編集にかかりっきりであった。当初は『世界のことば読み方事典』としたかった。しかし諸事情でこのようなタイトルに落ちついてしまい、巷にあふれる文字事典の中に埋もれ、一番活用してほしい層に届かないのではないかと少し危惧している。
それはさておき、グローバル化が進む現在、旅行や種々の国際交流で、日本人がさまざまな文字で表記された人名や地名、商品名などと遭遇する機会がふえている。文字の多くは表音文字で、意味はともかく、正しい読み方だけでもわかれば、という場面は多いが、そう簡単ではない。見なれたラテン文字を用いるヨーロッパの言語でさえ、場当たり的な読み方や誤った英語風読み方がまかり通っているのが現状だ。
言語にはそれぞれ独自の表記体系があり、英語風に読むのが正しいと思うのは多くの日本人の妄想にすぎない。実際、英語風の母音読みが通じる言語はほとんどなく、通用性では日本語のローマ字読みがはるかに普遍的だ。
事典ではこのような観点から他言語に頼らず、現在世界で通用している書きことばをなんとか声に出して読み、さらにカタカナで表記するワザを一般の人向けに解説している。取りあげたのは約80言語。世界で通用している公用語はほとんど入っている。文字種にはラテン文字、キリル文字とその他のアルファベット、ブラーフミ系文字、アラム系文字にハングルや日本点字、アイヌ語のカナ表記が加わる。
かつて私はどんな複雑な文字体系も長い歴史とともにそれぞれの言語に適応し、話者にとっては合理的で、学習不可能なものなどないと信じてきた。ところが今回、専門家により書かれた解説を幾度となく読み返した結果、その信念がちょっと揺らぎ始めている。そしてその原因は、ひょっとするとそれらの文字や表記法自体にあるのではないかというのが率直な印象である。
言語はそれぞれ音韻体系、音節構造がことなり、語形変化でも接辞を用いるもの、語根母音の交替を用いるものなどさまざまだ。ほとんどの言語は近隣言語や上位言語から文字や表記法を借用しているが、普通は時間をかけ改良を加えながら自言語の構造になじませていく。漢字からつくられた音節文字のカナなどはいい例だ。
しかし、中には元言語の音韻体系や言語構造に縛られたクセのある表記法をひきつぎ、何とも不合理で複雑にみえる正書法を持つものも珍しくない。おまけにチベット語のようにラテン文字に転写してbsgrigs(བསྒྲིགས་)「整える」となっても、実際にはディーと読む例など、歴史的綴りが読みと大きく隔たってしまった場合もあり、外国人や成人学習者の苦労に同情したくなる。専攻学生でも基本的な表記法の学習に一年はかかるという東南アジアのビルマ語のようなことばもある一方で、私は1日もあれば十分なフィンランド語とかかわれた幸運を感謝している。
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