国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

「国境の壁」に対峙する博物館 ~メキシコ~  2016年10月1日刊行
鈴木紀

アメリカ合衆国の大統領選挙が来月に行われる。「国境に壁を築くので、費用を払え」と有力候補者から圧力をかけられているメキシコ人も、その動向に無関心ではいられない。この7月のメキシコ出張の折、ホテルでテレビをつけると、その候補が所属する政党の党大会の模様がスペイン語の同時通訳付きで、実況中継されていた。もちろんメキシコ人は見ているだけではない。メキシコシティのある博物館では、アメリカ合衆国のメキシコ人差別の動きに強く抗議するインスタレーション(空間展示)が作られていた。

その博物館の名は「記憶と寛容の博物館」という。メキシコシティの中心部、アラメダ公園に面した一等地に2010年に開館したこの博物館は、20世紀初頭以降の世界の「負の遺産」をテーマにしている。前半は「記憶」展示場で、ホロコーストからはじまり、アルメニア、ボスニア=ヘルツェゴビナ、ルワンダ、カンボジア、グアテマラ、ダルフール(スーダン)におけるジェノサイドの実態や原因を伝える。後半は「寛容」展示場で、人間どうしの対立の根底には偏見や差別の態度があることを示し、それを克服するために人権、非暴力などの価値を説く。解説はすべてスペイン語で、主にメキシコ人に対する平和教育を目的にしているようだ。

くだんのインスタレーションは「寛容」展示場の一部、細長い廊下状の空間に特設されていた。壁の一面には、メキシコ人画家アルテール・オスの「抵抗」という壁画が描かれている。反対側の壁は鏡面で、観客は鏡に映った壁画とその前にたたずむ自身の姿を目にすることになる。そして鏡の中から時折マルチスクリーンが現れ、短い動画が上映される。「メキシコからやってくる輩は、一部を除いて、問題だらけの連中だ」と大統領候補が演説し、「偏見」「差別」「ヘイトスピーチ」という字幕が浮かび上がる。

このインスタレーションが寛容をテーマとする空間に設置されていることは重要だ。独断的な政治家の発言に対して感情的に反発するのではなく、むしろ寛容の欠如の問題として冷静に批判することにより、来館者に寛容の意義を訴えることに成功しているように思えた。

 

鈴木紀(民族文化研究部准教授)

 

◆関連写真

[img]

記憶と寛容の博物館の前には、湖に浮かぶ無数のピラミッドのモニュメントが広がる。
現在のメキシコシティの場所にかつて存在したアステカ帝国の都テノチティトランへのオマージュといえよう。

 

◆関連動画

記憶と寛容の博物館の中に作られたメキシコ人への差別に抗議するインスタレーション

 

◆関連ウェブサイト
記憶と寛容の博物館(スペイン語)